水の様に生きる | Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

Salon.de.Yからの贈りもの〜大事な事は全てお姫様達が教えてくれた。毎日を豊かに生きるコツ

元ワイン講師であり歴史家。テーブルデコレーションを習いに行った筈が、フランス貴族に伝わる伝統の作法を習う事になったのを機に、お姫様目線で歴史を考察し、現代女性の生きるヒントを綴ったブログ。また宝石や精神性を高め人生の波に乗る生き方を提唱しています。

人生、良い事もあれば嫌な事も起こります。
 
悟りの境地に立つような方は嫌な事があってもイライラせず、不安になる事もない…そもそも、普段「私には良い事ばかりしか起こりません」と仰る様な方は、さぞかしネガティブな事は起きないのだろうなぁ、と思いきや、やはりネガティブな事も起きる時には起きるのだそうです。
 
ただ、その様な事が起きても感情に捉われず、内面を静観するのだそうですよ。
 
何事も水が流れるがごとし、出来事や感情を引きずらず、沸き上がる思いを静観し直ぐに手放せる様になったら人生の達人ですね。
 
さて、マリー・ルイーゼは名門ハプスブルク家の大公女として生まれながら、フランス皇帝ナポレオンに降嫁を強いられたお姫様です。
 
オーストリアが戦争に負けてしまったが故に、結婚を誓い合った恋人と泣く泣く引き離され、高値でナポレオンに売付けられ、その数年後、ナポレオンが失脚すると、今度はナポレオンから引き離されたマリー・ルイーゼは偶々オーストリア皇女に生まれたばかりに、自分は人間として扱われない事を思い知りました。
 
「国家の為」と聞こえは良いけれど、自分は単なる駒に過ぎない。
自分はメッテルニヒの都合の良い道具だ…。
 
昔々のお姫様(マリー・ルイーゼも大分昔の人ですが)なら、お城の奥深くで育てられ、何も分からないまま、大人しく国家要請に従って結婚をしたでしょう。
 
しかし、王政が倒され、人間が自由を謳歌し人権の尊重を旗印に国家と戦う様になった時代に生まれたマリー・ルイーゼは、1人の人間として自分もまた幸せを感じたいと言う欲望が無かったとは思えないのです。
 
ウィーン会議で自分一代限りの約束でパルマ公国の総督になったマリー・ルイーゼは、戦争で荒廃したパルマの復興に生涯を捧げました。
 
勿論、ハプスブルクの名代として、ハプスブルクに利のある政策をする一環だった事もあるでしょう。
 
しかし、一族の為と言う気持ちが無かった訳ではないにせよ、自分もまた戦争の為に人生を犠牲にされた者と言う意識が強かったマリー・ルイーゼは、戦争で路頭に迷う人々や、音楽堂など文化を失ったパルマの人々を助けたい、同じ辛さを持つ者同士として、音楽を通じて少しでも心が癒せるならと、居ても立ってもいられずに行った事が復興に繋がったと解釈して良いのではないかと思います。
 
むしろ、マリー・ルイーゼにとってハプスブルクと言う存在は足枷に過ぎず、どうでも良かったのではないかとさえ思うんです。
 
マリー・ルイーゼは絵を描くことと歌う事が好きでしたし、その才能は玄人はだしでした。
 
音楽がなくても人は生きて行けるかもしれない。
でも、音楽がどれだけ人の心を潤すか。
 
マリー・ルイーゼは軍人ではありません。お姫様です。
 
軍人なら復興の為に「贅沢は敵」と律して働けるでしょうけれど、お姫様ですから辛い時こそ、精神の豊かさを大切にし、文化の力が必要だと思ったんですね。

だから真っ先に音楽堂の再建築に着手したんです。
 
不愛想な為、音楽家として職に就けず、貧困の中で妻を失った若き日のベルディに手を差し伸べたのはマリー・ルイーゼでした。
 
やがて時は過ぎ、イタリアにもナショナリズムの嵐が吹き荒れると、戦渦から立ち直ったパルマの人々が、今度はハプスブルクの支配から独立する為に革命を起こそうと何度も蜂起する様になります。
 
奇しくも、民衆はヴェルディが作曲したオペラ「ナブッコ」の中にある「行けわが想いよ。黄金の翼に乗って」の歌詞に自分たちの愛国心をなぞらえ、「行けわが想いよ…」を街のあちらこちらで口ずさむようになりました。
 
当然、宮殿にあるマリー・ルイーゼの部屋の下からも、この歌詞を口ずさみながら通り過ぎる人々の歌声が聞こえます。

わざとではない…イタリア統一に向けて心からの思いがつい歌となって口ずさんでしまう…マリー・ルイーゼは館の外から聞こえる「ナブッコ」の一節を耳にしながら、パルマの人々の思いに寄り添ったのではないかと思うのです。
 
ハプスブルクの人達は、マリー・ルイーゼがパルマの街を立て直したのに…と口々に言いますが、マリー・ルイーゼは「時代が変われば、人々は(こちらの)した事など忘れてしまうもの」と時代の変化を静かに受け入れたと言います。
 
時代の流れに数奇な運命を辿らざるを得なかったが為に、マリー・ルイーゼは物事に執着をする事をしなかったのでしょう。
 
こう言うと投げやりな印象を与え誤解を生みそうですが、彼女は国家の事などどうでも良かったのではないかと思います。
 
ただ目の前にある事を大事に、一生懸命向き合った。
そして起こる事は起こるとして、静観し流れに逆らわずに生きたのではないかと思います。
 
起こる事に抵抗しないと言うと何か諦めの様な印象を受けないでもありませんが、流れに身を任せる事によって大きな衝突もなく国を治め、またプライベートでは彼女が心から欲したモノを手にします。
 
それは… 
 
女性として幸せに生きる事。
自分で自分の人生をつかみ取る事です。
 
陰陽で言うと、女性のエネルギー(女性性)は陰にあたります。
 
女性性とは受ける事。太陽の様に愛で包み込み、全てを受け入れる事。
まさに水の様に全てを受け入れ流す事です。
 
パルマでナショナリズムの嵐に火が付いても、決して誰かが傷付いたり、罰せらる事なく、対話によって穏和に解決に導く事が出来たのも、物事は全て移り変わるもの、諸行無常だと悟り、変化を柔軟に受け入れたからこそだと思います。
 
大切な事・モノこそ執着が生まれやすい。
しかし、執着を良く見るとそこに依存があります。
 
感情の波に溺れず、中心にある真実だけを汲み取れる様、いつも穏やかな心でいたいものですね。