ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
あってはならぬ事~外交革命と7年戦争~④
間一髪!
フリードリヒに女神が微笑んだ。
ロシアのエカテリーナ2世が心臓発作の為世を去ったのだ。
後を引き継いだピョートルは熱烈なフリードリヒ支持者だった。
1辺のほころびで総崩れとなった世に言われる「3枚のペチコート作戦」は終わりを告げた。
※3枚のペチコート作戦とは、フランスのポンパドール夫人、オーストリアのマリアテレジア、ロシアのエカテリーナの女性3人の間で結ばれた作戦だった事に由来する。
ロシアが協力から外れた事によって、フリードリヒは戦況の巻き返しを掛けた。
それによってテレーゼのシュレージエンは永遠にオーストリアに戻る事はなくなった。
では、オーストリアは無駄な戦いをしただけに終わったのだろうか?
答えは否だ。
「下手に手を出したら、プロイセンの様に大やけどをするぞ」
オーストリアを狙おうとする者はもう誰一人いない。
「オーストリアにマリアテレジアあり!!」
テレーゼの名前は、ヨーロッパ中で不動のものとなった。
国家の為に次々と子を産み育てながら、女だてらに諦めず2度にわたる大きな戦争を戦い抜いた!
テレーゼの評判はヨーロッパ中の女性に希望を与えた。
「私達、女だってやれば出来る‼︎決して劣った存在なんかじゃないんだわ」
ヨーロッパ中の女性がテレーゼに憧れた。
特にイギリスの女性達の賛辞は熱烈で、テレーゼに為に寄付を募りたいと申し出が起きた程だった。
これにはテレーゼも苦笑いだったが、心遣いは嬉しいもの。
「有難う。お気持ちだけを受け取らせて頂きます。」テレーゼは丁重に辞退する。
フリードリヒの姉さえも「レースルは凄いわ~!!」と称賛の手紙を送って寄こしたものだから、後でフリードリヒにバレて、こっぴどく叱られてしまった。
現在、ウィーンにあるマリアテレジア像の下に配置されている男性像は、この時マリアテレジアを支えた官僚達である。
あってはならぬ事~外交革命と7年戦争~・完