ラノベ「双頭の鷲―ハプスブルク家物語―」
プランツ・オイゲン②
1683年、トルコ軍による第二次ウィーン包囲の時の事。
この時も皇帝レーオポルトはやらかした。
敵の宰相ムスタファ率いる9万の大部隊が帝都に向かって攻めてくるとの報をうけるや否や、レーオポルトはオロオロ、いそいそと浮足立ち、攻防戦の体制を整えるどころか宮廷人や市民を置いて真っ先に逃げ出してしまった。
「おーい、皇帝が我々を見捨てて逃げ出したぞー」
「ひぇーっ。何てこった」
「これじゃ俺たちで都を守るしかないな。よし皆、ここは一致協力して難を凌ぐんだ!!」
後に残された守備部隊とウィーン市民は城門をぴたりと閉め切って、トルコ軍の猛攻撃に耐えようとした。
この市内を守る城門跡が、現在のウィーン名物「トラム」の路線だ。
しかしトルコ軍の破壊力は想像以上だった。
それでも何とか2ヶ月程トルコ軍の攻撃に耐えたウィーン市民だったが、やがて食料も尽き籠城戦も終りが見えかけていた。
とうとう、明日、明後日には降参するしかないと諦めかけたその時・・・・
キリスト教徒の連合軍がウィーン北にあるカーレンベルク山から一気に駆け下り、屈強トルコ軍を駆逐してしまった。
この時の軍師が後のマリアテレジアの夫フランツ・シュテファンの祖父、ロートリンゲン公である。
そして、この時もう1人、後のハプスブルク家に関わりの深い男がいた。
それが、若き日のオイゲン公である。
つづく