パワースポットや神社等に行くと、時々、夫婦岩や夫婦楠や杉と呼ばれるモノがありますよね。
下の方で繋がったまま2つに分かれた、大きなモノと小さなモノが対になって佇んでいる姿は、仲良いご夫婦のイメージに重なるのでしょう
縁結びで人を呼ぶには、うってつけですね。
私も昨年、氷川神社で「夫婦楠」を見つけましたが、私はどうもこれらの「夫婦ナンチャラ」と言われるモノ達は仲良く寄り添うと言うより、根っこの部分こそ繋がっていますが、それぞれ独立して自分の世界を生きていると言う様に見えるんです。
・・・・と言うと、夢がないですかね?
でもね、それってパートナーシップと言う関係を続けて行くには、大切な事だと思います。
これからのパートナーシップの形として、やはり1人1人が独立している事。
でも、根底は繋がっていると言う事が大切だと思うんですよ。
例えば、この写真の夫婦楠。
この2本の幹にはそれぞれの世界があります。
右側の樹は1本の独立した樹として枝を伸ばし、呼吸をし、伸び伸びとその世界を謳歌しています。
左側の樹も同様です。
それぞれ、枝の伸ばし方も違いますでしょう?
こんな風に、私達もそれぞれ自分達の世界を謳歌し、その世界の中で感動し、考え、行動をしています。
それは家族や友人、夫婦も同じ。
どんなに思いが深くても、相手の人生を生きる事は出来ません。
また必要以上に依存してしまうと、相手の重さに耐えきれずに倒れてしまいますよね。
ですから、お互いに自立して、根っこの部分で分かり合っているのが良いのかな?って思います。
そう考えると、この夫婦何チャラと言うのは、パートナーの理想の形として、やはり縁結びの象徴なのかも知れませんね
そして、もっと言うと、これって、家族やパート―ナーと言った特定の関係のみに限らず、私達、地球上に生きる・・・いいえ、地球上にある全ての人や物、生き物に言える事だと思います。
私達は物質も含めて皆繋がっていると言われますね。
例えるなら、あのプチプチの梱包材の様なモノで、私達全てが1枚のシートの様に繋がっていて、1人1人は衝撃の抵抗を弱める突起物の様な存在と言う事です。
と言う事は、朝の通勤時に目の前を歩いている知らない人も、突起物の1人。
私も突起物の1人。
でも、突起物同士1枚のシートで無意識化で繋がっていると思うと、自然と相手を尊重しちゃいません?
どんなに嫌いな人でも・・・確かにその人の思考や行動は好きになれないかも知れないけれど、相手の魂までは嫌いになれないでしょう?
尊重すると言う事は、相手は相手でありのままで言いと言う事。
自分と違い、その違いが許せないなら、許さなくていい。
許せない自分を許して、無理に相手を変えようとせず、相手とは適度な距離を保てばいい。
どちらかが○で、どちらかば×じゃなくていいんです。
どちらも○・・・・尊重って、そんなシンプルな事で言いと思います。
どんな間柄でも、私達は常に個であり、それぞれの世界を生きています。
踏み込み過ぎず、距離感を大切にしながら、必要な時はそっと相手に寄り添う。
そんな軽やかな生き方が出来たら、もっと心は楽しく、平和になる様な気がします