プロイセンの王子フリードリヒを表敬訪問したフランツ。
この時、政略的な理由で、フリードリヒにはテレーゼではなく別の王女との結婚が決まっていました。
結婚を目前に控えたフリードリヒは、大の女性嫌い。
フランツは、悲痛な面持ちで「意に沿わぬ結婚をする位なら死んでしまいたい」と話すフリードリヒの絶望的な様子を見て、「もし自分がテレーゼを失ったら」と考える様になっていたのです。
出会った時は、未だ小さなテレーゼでしたが、フランツがウィーンの宮廷を去る頃には、テレーゼも瑞々しい少女に成長していました。
フランツは、フリードリヒの不幸な結婚を目の当たりに見て、自分はテレーゼに恋をしている事を隠す事は出来なかったのです。
皇帝から、ハンガリーの総督に任命され再びウィーンの宮廷に顔を出して以来、度々、宮廷に顔を出す様になったフランツ。
ウィーナ・ノイシュタットの宮殿庭園の東屋で、ついに、二人は互いの愛を告白しあったのです。
しかし、恋人同士と言っても深窓の姫君テレーゼには、お付の人がピタリと貼り付いていてフランツと二人きりになる事もままならなかったのです。
唯一、テレーゼの教育係、フクスィンこと、シャルロット・フクス伯爵夫人だけは、テレーゼとフランツが二人きりになる事に、片目をつぶってくれたのだそう。
互いに「フランツル」「レースル」と愛称で呼び合う、王族では珍しい理想的なカップルの後押しをしてくれた、フクスィン。
後に、テレーゼは結婚式で花嫁の介添え役を、格別の友人として、フクスィンに頼んだ程、テレーゼは、キューピット役のフクスィンに恩義を感じていました。
しかし、
フランツがテレーゼを獲得するには、並々ならぬ困難がありました。
テレーゼに寄せられる多くの縁談もそうですが、フランスとの境界にあるロレーヌ公国が、ハプスブルクの傘下に入る事を危惧したルイ15世は、フランツの祖国をフランスに帰属せよとの命令したのです。
生まれ育った美しい国に永久に戻れない事はフランツを苦しめました。
ハプスブルクの廷臣達からは「国を捨てなければ大公女様は得られません」と宣言され、公国の存続に固執した母のロレーヌ公妃からは「お前は、この母を置いてまで、ハプスブルクの娘と結婚したいのか」と泣付かれる始末。
フランスから横槍を入れられたばかりに、早くも、母と婚家の板挟みとなったフランツ。
幸いフランツは無理を押して事を荒げる性格ではなく、時流に任せて生きる呑気な性格。
兎に角、テレーゼ以外の女性との結婚は考えられないフランツは、何とかなるさと国を捨てる事を選んだのです。
とは言っても、大帝国のお嬢さんを貰うのに、乞食同然の身分で結婚を申し込む訳にもいきません。
フランツはルイ15世に、ロートリンゲンをフランスに帰属させる代わりに、トスカーナ公国の領主と言う地位を得て、皇帝にテレーゼとの結婚の承諾を申し出る事に相成ったのでした。
・・・・・to be continued