ご愛読頂きました、チタさんのお話も、この回を入れて2話となりました。
皆様、有難うございます。そして、お疲れ様でした。
さて、晩年のチタは33人の孫と17人の曾孫を持ちながら、90歳を過ぎても、なお、カクシャクとし、世の中の動向を把握しようとしていたそうです。
1962年、70歳の時には退位宣言を拒否した為、オーストリア共和国への入国許されなかったチタ。
しかし、1982年。93歳になったチタにオーストリアへの入国許可がおりました。
それまで、国境近くからオーストリアの山々を見る事しか出来ませんでしたが、実に63年ぶりに故郷に帰る事が許されたのです。
4月1日。今は亡き夫カールの誕生日に、オーストリアの地を踏んだのです。
第一次、第二次大戦を含む激動の時代を生き抜き、牽制を振るっていたド・ゴール、チャーチル、ルーズベルトなど当代一の政治家達が泉下の人となる中、その誰よりも長生きをしたチタ。
過酷な亡命生活にも関わらず、チタの声は明るく、話し方は穏やかですが明瞭で淀みがなかったそうです。
63年と言う長い亡命生活で、不撓不屈の精神は旺盛でしたが、微塵の暗さも持たずに故郷に帰ってきたと言われています。
チタの帰郷は新聞の一面を飾りました。
チタは自分をこの様な運命に向かわせた祖国に恨みはないかと聞かれると、「自分に降りかかった困難は仕方が無かった事で、誰も恨んではいない」と答えたそうです。
チタの帰郷には大勢の人が詰めかけました。
特に帝国崩壊から社会主義国に併合された時代を知らない世代が、チタのオーストリア支援の活動を知って、熱狂的な歓迎の意を示したそうです。
・・・・to be continued