奴らの意識の中に、私の離婚の理由を大きく勘違いしたままだということだろうか。

なんであんな未熟者のために離婚したりするんねん(爆)

んなわけがなかろうに(--;)

でも、そうだと思っているのにあの態度は何!?

人を馬鹿にするなと言いたい。

病気にならなければ、今頃等に抜釘もすんでいて病院ともオサラバできたはず…

本当、これで宝くじにでも当たらなきゃ、割に合わない。(違う意味で大当りしまくってますが…(滝汗))

当たれば、中古マンションでも買って改装してバリアフリーにする。

残ったお金で残りの人生を細々と生きる。

親兄弟はどうせ見やしないわけで、息子が将来グループホームに入所する分のお金を残す。

それでいいと…結局世の中お金ってことで(笑)←(めっちゃ都合のいい妄想を思い描く(爆笑))

それにしても、なんて意地汚い病院なのかと思ってしまう。

人の事情もわけも知らず、勝手な憶測で噂をし、陰口を言うなんて…しかも患者を相手に。

で、勝手に実家へ帰れとか、別れた旦那と寄りを戻せとかを言う。

はっきり言って不愉快で気持ちが悪い。

もう気持ち悪さ全開でMaxだった。

なんていうか、治療もろくにできない上に中途半端でモラルはないし、なのに人のことをとやかく言うのだ。

とやかく言うなら、せめて治療ぐらいまともに診れば良いものを…

できない奴等ほど口が立つというが、本当に典型的なグループだった。

入院と言えばホイホイ入院できて、手術と言えばテキパキ対応するのが優秀な患者だとでもいうのか!?

そんな都合よく医者の言う通りにできるかっちゅーねん(怒)

患者(病人や怪我人)ちゅーんは、面倒臭いもんやって相場は決まってる。

そやからヘルパーなんぞいう職種があるねん。

手を借りなご飯も食べれんし、風呂もトイレもできん。

赤子と同じちゅーわけ。

子育てしたことある人間なら、その意味わかると思う。

そやけど、現代人は過干渉に過保護。

患者も同じで、過干渉・過保護は厳禁である。

けど、途中で子育て放棄する親もいるが、医療も同じで途中で面倒になって放棄する医者もいる。

難しいから、大変だからと言って子育て放棄するか!?

ウチの親はネグレクトだった(本人に自覚なし)けれど、医者も同じことしてたら世の中おかしなる。

だから、職員の過労死が問題になるわけで、みんなが自分の仕事をきちっと熟せばそんなこともないわけで。

カルト教団が人の命を金儲けの道具として軽んじる中で、医療機関は逆にそれが生業なのだからネグレクトはいかんわな。

それじゃカルトと同じレベルになってしまう…てか、現実には同じレベルかそれ以下の病院も数多くある。

嘆かわしいことだよ...orz



私の胸椎には、黄色靭帯骨化症というものがある。

そもそも靭帯って何!?

そう思った。

靭帯には、前縦靭帯と後縦靭帯と黄色靭帯の三つがあり、骨と骨をつなぐ役割がある。

そして、脊椎の中には太い神経の束があって、その束を保護する役割が骨。

骨は毎日老化と再生を繰り返し、細胞が入れ替わっているという。

だから、折れてもヒビが入っても再生するのだ。

それがどういうわけか、靭帯が石化してしまうのが靭帯骨化症という病気らしい。

で、石化した場所により、それぞれ病名が付く。

靭帯が骨化すれば、当然だが神経を圧迫してしまうので、身体に影響が出る。

神経とは、脳と身体の各部を電気信号でつなぐ回路だ。

回路が遮断されれば…動かない(麻痺する)というものだろう。

圧迫の影響は、痺れや痛みという形で自覚できる。

というわけで、最初は無自覚であったものが、肥大化すればしびれや痛みという形で現れ、いずれ麻痺していくのが骨化症。

いつか私は動けなくなるのだろう…

だから家族の支援が…と、大学病院のDrは言ったんだろうけど、家族からの支援が受けられる人ばかりじゃない。

福祉も当てにはできない。

私の通っていた整形で、骨折→神経損傷→慢性疼痛障害→頸椎症性神経根症→坐骨神経痛→腰椎脊椎管狭窄症→黄色靭帯骨化症と次々病気になったことで、こんな結果というか未来を予測できたなら、誰も離婚なんかしなかったと連中が勝手に思っているとしたら、それは大きな間違い。

障害児の息子に虐待する旦那と離婚したのは、こんな結果になってもならなくても離婚はしたよ。

それで苦境に立ってる私に対して「自分が悪い」とか「自業自得」とか陰口言っているなら、本当に大きなお世話だし医療従事者失格だと思う。

誰のためでもない、自分のための離婚。

離婚はそんなに責められ批難されるような悪いことか!?

病気になると誰が予測できた!?

本当、世知辛い世の中だ...








人生の断捨離。
怒り、嫉妬、悲しみ、悔しさ…負の感情。
時には吐き出すことも必要な感情。
負の感情は、決してマイナスではない。
それはエネルギーとなるものだから...
負けたくないと、起き上がるエネルギーになる。
人に負けたくない、自分に負けたくないと想う気持ちが力になる。
人の生死にかかわると、向き合えなくて逃げ出す人がいる。
逃げる人、逃げられるなら逃げてもいい。
人には自分のキャパシティというものがある。
越えられない壁がある。
立ち向かう人ばかりじゃないけれど、逃げ出せずに蹲る人もいる。
それを悪いと責めることはできない。
力尽きて倒れる前に救いの手を差し伸べられる人ばかりじゃないから...
弱さを受け入れるのも勇気。
けれどズルい人間にはなりたくはない。
卑怯な人間になりたくはない。
他人を犠牲にしてまで生きたくはない。
自分の人生、最後まで責任を持って生きる。
越えられない壁が立ちはだかる…
無力な己を思い知る。
打ちのめされ、絶望を味わった。
自分の人生、振り返ると打ちのめされることばかりだ...
それでも立ち上がり、向かい風を正面で受けてきた。
私の人生はまるでドンキホーテだ。
ならば最後まで道化で構わない。
立ちはだかる壁に打ちのめされても、立ち向かわなければ生きていけないのだ。
途中で投げ出すのは簡単だけれど、投げてもどうせ変わらない人生ならば、最後まで立ち向かって生きよう。
頑張っても頑張らなくても結果は同じだというならば、投げやりな人生で終わりたくはない。
人は自分の人生がいつ終わるかなんてわからない。
わかるのは、きっと病院のベッドの上で、白い天井を見つめて死を迎えるということだ。
苦しんで死ぬのか、眠るように死んでいくかわからないけれど、死を受け入れて後悔しない人生であってほしい。
後悔しない人生なんてわからない...
わからないけれど、生きていてよかったと、思える最後だといいな。
病院で嫌な面ばかり見てしまったので、不信感でいっぱいだけれど、それでも立ち向かうしかないんだよね。
捨てる神あらば、拾う神あり…そう信じて明日も病院へ行きます。
私はまだ死ねないから...

卑怯な奴らって…類は類を呼ぶのか、それとも朱に染まれば赤くなるのか、似た者同士の集まり。
責任逃れ…それが彼らの常套手段。
もう、リハビリなんかどうでもいいし、障害追うような骨折じゃなかったのに、神経麻痺の障害者。
途中で放棄するなら、最初から手術すんなっつーの(怒)
整形外科は、患者に障害負わせても罪の意識はないのか!?
極端な話、OPEミスで死亡させても誤魔化して終わり!?
そんなの白い巨塔の時代の話じゃないのかよ(怒)
たとえば震災や戦時中などのどさくさで物資がない時代に、OPEミスで死亡したり障害が残るような事態になったとして、誰も医者を責めないと思う。
今のこの現代において、ミスで死なせたり障害負わせたら…ふつうは謝罪するのが当たり前じゃないのか!?
そう思ったものだけど、25年ほど前の某宗教団体における裁判を思い出した。
彼らは今でも、病は気から…の教えを信じており、現代医学を否定しつつ、一方では陽光健院なる専属医療機関を持つ。
末端信者には薬は毒であり、手術(注射も含む)などの医療行為は神から授かった肉体を傷つける大罪と教える。
そのため、彼らは病院へ行くことを憚られるので、教団唯一の医療機関で診察を受けるのに予約待ちで数年間過ごすという。
風邪などの場合は、清浄化と呼び医療行為(投薬)も一切拒む。
熱があっても腹痛や頭痛があっても医療行為は受けない。
すべて「手かざしの業」で済ませるのだ。
その結果、重病人などは悪化しても入院せずに教団の神に縋る。
そして、当時はまだ不治の病であったがん患者が多数亡くなった。
亡くなっても文句ひとつ言わず教団へお布施をし、神に召されたことへ感謝の言葉を述べ讃えるのだ。
が、中には多額の寄付(お布施)の甲斐なく死んだ遺族が訴訟を起こした。
それが医療裁判なのだが、当時マスコミが記事をすっぱ抜いて週刊誌に連載した。
だが、教団には裏の顔があるので、すぐに週刊誌の記事は闇に葬られ、記憶の片隅に追いやられてしまった。
本部から教団各支部に通達が行き、一般人同様に病院へ行くようにと指導がされるも、結果的には今もそのままである。
事実は闇に葬られ、関係各所は口封じのため組織幹部へと昇進させ、彼らを取り込みもみ消した。
そんな教団に、私は10代から20年近く関わりを持っていた。
裏も表も知り尽くした私…すでにマインドコントロールは抜けている。
つか、辞める前から解けていて、フェードアウトを目論み抜けた。
まるで、この教団のような組織に似ているのが●●整形外科病院だ。
カルト教団のような病院…それが私の持つイメージ。
人は、集団(組織)化すると正しい行い(思考・判断)ができなくなる。
たとえ間違っているとわかっていても、それを口にすることを憚られ、いつしか思考(判断力)がマヒしていく。
罪を犯した人間が目の前にいても、組織においては力関係が優先されてしまう。
やがて、その事実を黙殺する行為に慣れ、悪いのは罪を犯したものではなく、受けた被害者が悪いとなる。
正義や真実など金と権力の前には無に等しいと、そう悟らされてしまう。
けれど、正義は人の心次第で動くものだ。
自分を誤魔化さず、まっすぐに誠実であれば恐れるものはない。
ただし、世の中は正しい行いだけでは成り立たず、そんな世の中は生きにくいものでもある。
だけど、自分の心には正直でありたい...
間欠性跛行で悩んだ昨年末。

11月末に突如立てなくなった。

小一時間もすれば元に戻ったけれど、あの瞬間は焦った。

時間外で診察しても、いつものように何の処置も指導もなかった。

その少し前に遡ると…ペインに通い始めて1ヶ月の頃、背中の痛みにブロックを打とうとして突起物に気が付き、それがきっかけで再度MRIを改めて整形で撮ることになり、3番目の胸椎にもOYLがあると知った。

どれもこれも通院中の整形ではなく、外の医療機関で指摘された結果、改めて検査を受けて病気が見つかっている。

そんな病院に、当に愛想も尽き果てていたけれど、抜釘を受けたければ通い続けるしかほかに道はなく、諦めて通院していた。

が、このままでは私は本当にこの整形外科病院で、廃用にされてしまう恐怖が頭をもたげた。

【悪意】…そう、ココまでくれば悪意だろう。

人を殺せる生きた人間による悪意。

私は通院を止めた。

あれから1ヶ月半が過ぎる。

一度も間欠性跛行は起きていない。

右腕に起きていた強張りもほとんどない。

首や背中の痛み、右腕の痛みや両手のしびれは相変わらずだが、頭痛や臀部痛は緩やかになった。

起きられないような背中の痛みも疲労感も週一ぐらいに減った。

通院を止めたらこんなに楽になり変化があった。

人の悪意は、他人を殺せるほどの影響があるという...

ならば、人の病状を悪化させることも簡単だろう…

通院を止めて正解だった。

本当に恐ろしいものだ、人の悪意というものは...orz

20代の頃、こんな実験をしたことがある。

植物の苗を二つのプランターに分けて同じ条件で育てる。

一つのプランターには、毎日プラス思考の言葉をかけ、もう一方のプランターにはマイナスの言葉をかけ続けて育てた。

すると、後者の方はある程度のところで成長しなくなり、枯れてしまった。

勿論、前者はすくすくと元気に育って実を実らせた。

これを人に応用したのがセラピーであり、理学療法というわけ。

人の手が持つ癒しの力を治療に活用している。

なので、悪意により逆の効果を示すことができるともいえる。

つまり治すのではなく悪化させることも可能なのだ。

人の意志で、人の身体がもつ治癒力を高めるのがリハビリテーション。

それを悪用するしないは…セラピスト個人が持つモラル。

今回、それを強く感じました。

ま、悪意には近づかない…それが一番ですね。

いわれのない逆恨み…

故に人の業とは恐ろしい...orz