こじりと尻合わせ

 

鋏が何故、よく切れるのか....

 

鋏は基本的に包丁と異なり、同じ要素の刃物が力点、支点、作用点の働きがあって鋏となします。

 

鋏作りの始祖種子島から堺に伝わりその技術が播州や三条にも受け継がれ維新を経て150年。

 

その155年の間、1975年50年前に口清の火が落ち、1980年代からの京鋏支えたのが安広や大覚寺、重春です。

 

共通している技術共有が無い中で、おそらく堺や播州が始祖で京鋏口清をモデルに修理や研ぎを経てその仕組みを体得しながら京鋏が出来てきたと想像ができる。

 

そして、その形状に至るまでの環境経験によって現在の鋏が出来てきた。

 

槌名、讃岐親方曰く師の技術は継承されるが形状は微妙に異なる。

 

と仰っています。

 

当然ながら、代々受け継がれている手入れの趣向についても、3代後の自身の技術はそれ相当の継承習得するものの、能力に至っては遺伝はない。

 

よって作る形状は微妙な変化によって其々の個性となって世に出てくる。

 

今回、鋏が何故、よく切れるのか.....その2、になるが今回は尻合わせ…..

 

前回、こじりについてブログを書き始め、その際ずっと自身の中で懸案だったこと

 

「何故京鋏の刃が一回転するのか?」

 

今回それが一回転させるための形状ではなく、或る状況回避から出来た技術であると判明した。

 

それが口清近藤氏の云う「かみ合わぬ」様になのだ。

 

讃岐親方曰く.....調整の段階で軸下より反り打ちすることで「かみ合わぬ」様になる。

 

これを尻合わせという作業工程の云う一工程であることを聞いた。

 

尻あわせ.....なるほど帳尻合わせ…..調尻。

 

今回、調べた中で新潟系一丁を除いた2丁はその軸寄せと握り部分の

開きが浅い作りであることも分かった。

 

 

これは、佐助正定堺系の鋏は肩で止まるようにしている為回らないが、芯がね部分が緩むと京鋏に限らず刃部分が回る様になる。

 

それぞれの寄せ開きの形状画像

堺系の植木屋鋏は「寄せて開く」の形状になっている為、結果回る事が確認出来る。

続いて京鋏画像

 

画像は口清、左画像ツル手部分が開き、右画像の軸寄せが真直ぐ合わされている。

次は先代安広画像

左寄せ画像を見るとこれも真直ぐに寄せられ、ツル手部分化の開きは口清と同じく開いている。

続いて大覚寺画像

こちらも寄せ共にに開きが同じ

次は重春画像

ここまでの調べでは京鋏の寄せ開きは共通した形状が確認された。

 

それらは刃形状が回る事を意識した作成工程では無く、あくまでも噛み合わない様にする為の制作、後継技術である事も解った。

 

次は、新潟三条系の鋏

京型1号の例では、驚いたことにこの鋏の刃が回転、つまり寄せ開きともに京鋏に近い形状を確認したが、同じ形状の鋏では刃部分が回ることはなかった。

 

つまり、回ることを意識した作りでないことが分かった。

もう一つ2号の場合、こちらは胴腹が太目形状なので、最初から回ることはない。いずれ芯金が緩めば回ると思う。

 

その形状は持ち手部分の力点、刃を支える支点は、裁断する刃形状全体が刃だけで無く、驚くべき事は全体が「プロペラ」形状である事も解った。

 

次は京津島、こちらは京…..津島とあるのでそこまで意識された作りではないことがわかる。が、寄せ開きの尻合わせがほぼない。

 

讃岐親方からのアドバイス

 

「人の手はよく出来ている。グー👊する時(握る動作)に自然に力が入るので刃がくいあわない様、尻を合わせる」

 

おそらく、使用頻度が高くなると芯金が緩み始めで刃と刃の噛合いが始まる。

 

が、想像でしかないが他に比べて顎がしっかりしていることでガタガタの状況は回避されるもおそらくはその状態に至るまで使う者もいないのかもしれない。

 

植木鋏の選び方2020-03-17 21:36:37

 

 

その昔、いい鋏の選び方云々から50年、先輩から手のひらサイズが良いとか、鋼は永切れする青鋼がいいとか、、、白いいとか。

 

やはり、そこは総合的な判断が求められる。

 

もちろん手に余る大きさでは困る事なので、それだと大久保や佐助型になってしまうので、京型や津島が除外される表現になりそうだ。

 

そう意味では、何をどの様な手入れにするのか?が最重要で判断するべき

 

カチコミにしても角丸にする理由、今回で解った事は、顎無し芯がね丸棒構造は支点部分が安定しないため、遊び緩みを曲がらぬ様神経を払いながら丸める。

 

しかし、丸棒の利点平均に心棒が減ることも意識されているとなると工程上これも制作段階では一手間となる工程であることを再認識した。