『虞美人草』のその後  | 日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

日記「ウクライナ人の戦い」 Masanori Yamato

「ウクライナ戦争」を描くことで、プーチンとは何者なのかを書きたい。

『虞美人草』のその後   2024/5/12    3:00

 

 以前、漱石の小説『虞美人草』と晶子の短歌を並べて短い一文を書いた。漱石の『虞美人草』の中では3人の女性が描かれている。藤尾と糸子、そして小夜子である。その中で漱石が3人の誰れを虞姫になぞらえて「虞美人草」と名付けたのかわからんと書いた。わからんではいかんじゃないかと思って、再度読み返さなくちゃいかんと書いた。

 虞美人草という呼び方は、紀元前2世紀頃の秦王朝滅亡後に覇権を競った項羽と劉邦の時代に生きた実在の女性「虞姫」の別の呼び名である。項羽の妃であった。

 項羽の軍勢は垓下の地で居城を劉邦の軍勢に囲まれてしまう。夜になったら城の外から歌が聞こえてきた。聞くと、それは郷里の楚の歌ではないか。項羽は楚の民衆まで劉邦に寝返ったのかと思い、もはやこれまでと自刃を決意する。虞姫も項羽の死を知ると自決する。明くる年、虞姫の墓の周りには赤い花がいっぱい咲いた。人々は虞姫の血が花になって表れたと思い、赤い花を「虞美人」と呼んだ。それ以来、中国ではポピーの花は「虞姫」と呼ばれている。漱石はこの逸話を知って小説のタイトルとした。

 

 漱石の小説『虞美人草』であるが、長編で実に読みづらい。読みづらいんだが全部読んだら驚いた。「虞美人草」ということばが全然出てこないのである。3人の男と3人の女の恋の関係を描いているのであるが、読んでも読んでも「虞美人草」は出てこない。

 藤尾というのは若い哲学者河野の妹で彩色兼備の女であるのだが、気性の激しい女である。彼女は兄河野の友だちで、文学を研究している小野を愛している。小野は帝大の教授職を目指して博士論文を書いている最中にある。ときどき甲野の自宅で藤尾の英語の家庭教師みたいなことをしている。

 その小野の心は恩師の先生の娘小夜子と藤尾のあいだで揺れていた。小夜子は控えめな女で密かに小野を慕っており、自宅で病弱の父親の身の回りの世話をしている。小野は度々恩師の家を訪ねているから小夜子とも顔見知りだった。だから、恩師の先生は小野に小夜子を貰ってもらえないかと期待していた。

 もう一人、宗近という男がいる。妹に糸子がいる。宗近は外交官試験を目指している。糸子は聡明な女性で、甲野からときどき歴史や哲学の本を借りてきては読んでいる。糸子は河野を尊敬し愛を抱いている。そんな関係の中で、糸子はそれぞれの関係をじっと見てきた。

 宗近が外交官試験に合格して、いよいよ1ヶ月後にはロンドンに赴任することが決まったとき、糸子が兄宗近にいう。ロンドンに発つ前にそれぞれの関係を片付けてやってから行かなくちゃならないんじゃないかと。

 宗近は、糸子と、小野と小夜子を連れて河野の家に行く。糸子は河野に自分の気持ちを打ち明け、小野は小夜子と結婚することを藤尾に伝えるのである。小野は小夜子を選び、糸子は甲野に愛を告白する。これを知った藤尾は脳の血管が切れたのか、ガクガクと全身を振るわせて仰向けにぶっ倒れてしまった。

 

 小説『虞美人草』は初期の作品であるが、漱石のその後の作品を貫いている「人はどう生きるのか」「道義とはなにか?誠実とはなにか?」という漱石哲学の問いかけがすでに色濃く出ている作品である。

 

 北枕に寝かされた藤尾の枕元に銀屏風が立てかけられている。その屏風に描かれていたのが「虞美人草」だった。漱石はその虞美人草を次のように描写している。

 「逆に立てられたのは二枚折りの銀屏(ぎんびょう)である。一面に冴へ返る月の色の方六尺のなかに、會釋もなく緑青を使って柔媛(たわわ)なる茎を(みだ)るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の盡きる茎の頭には、薄い(はなびら)(てのひら)(ほど)の大きさに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つる(ばかり)に軽く描いた。吉野紙を縮ませて幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。凡てが(しろがね)の中から生へる。(しろがね)の中に落つるも銀の中と思はせる程に描いた。—花は虞美人草である。落款(らくかん)(ほう)(いつ)である」

 

 2000年前のポピーの花がどんなものであったろうかと探したが出てこなかった。そこで、AIにいろいろ話しかけて描いてもらったのが1枚目の写真である。AIは深遠な山の中に咲く真っ赤なポピーを描いてきた。

 2枚目の絵は明の時代に描かれたポピーの図柄である。「蛺蝶知春意、隨蜂遶綠苔、因風忽爭起、還向玉階來 壬午(みずのえうま)孟夏之望 栖霞」と書かれている。壬午だから、1702年であることがわかる。Google翻訳機にかけると次のように翻訳してきた。「蝶は春の意味を知っています。 緑の苔の周りのミツバチを追ってください。 突然、風のせいで喧嘩が始まった。 翡翠の階段に戻ってください」

 3枚目の写真が藤尾の枕元に立てかけられた銀屏風に虞美人草を描いたとされる酒井抱一の作品である。藤尾の枕元に立てかけられた銀屏風は月冴えわたる中のヒナゲシである。その花びらは赤と紫に描かれていたと描いている。だから、写真の作品とは違う。抱一は宝暦~文政年間に活躍した光琳派の画家である。

 

 

 写真は

①   AIが描いたポピー

②   明の時代に描かれたポピーの花「中国語スクリプト」から

③   酒井抱一の絵