虞美人草 2024/5/6 6:00
与謝野晶子は明治45年に「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟」と歌った。パリで夫鉄幹と再会できた喜びを燃えるポピーの赤い色に託した。その頃、夏目漱石は小説「虞美人草」を発表している。
中国ではポピーの花は「虞姫」と呼ばれている。それは、紀元前2世紀頃の秦王朝滅亡後の楚漢戦争(項羽と劉邦)に由来する。3枚目の画像は楚の項羽の愛妾虞姫の姿である。画像に添えられた漢語は「和英王城下歌云汉兵已略地四面楚歌举夺王、意氣盡賤妾何聊生」と書いてある。「垓下の居城は劉邦の軍勢に取り囲まれてしまった。城外から聞こえてくる歌は楚の歌ではないか。夫項羽は自決を決意している。愛妾としてわたしはどう生きたらいいのか」と解釈するのであろう。そして、項羽は烏江の岸辺で自刃するのである。虞姫も項羽の後を追って自決する。翌年、虞姫の墓前に赤い花が咲き乱れ、人々はこれらの花を虞姫の血化だと言い「虞美人」と呼んだ。
漱石はこの言い伝えを知っていて「虞美人草」というタイトルで小説を書いた。明治40年だから「虞美人草」の方が早い。この小説は長編で、まあなんとも読みづらい作品である。藤尾と糸子と小夜子という三人の女性が出てくる。漱石が誰をもって虞姫になぞらえたのかわからない。わからないではいかんと思い読み直さなくちゃならなんと思っている。
晶子は、漱石の「虞美人草」を嫌って「ひなげし」を「雛罌粟」と書いて書いて、フランス語で「コクリコ」とカナを振った。
話はわが国に還るのだが、項羽と虞姫の死からそれこそだいぶん経って、徳川家康を支持した細川忠興であるが、妻ガラシャは石田三成の人質として捕らえられるおそれがあることを知って自害する。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」という辞世の句を残して。
今、ポピーの花が咲き誇っている。「ひなげし」と呼ばれ、「コクリコ」と呼ばれ、はたまた「虞美人草」と呼ばれるポピーの花。中には毒を持った外来種が道端に咲き誇る「ナガミヒナゲシ」もある。東京調布市ではこの外来種の駆除に乗り出したと聞いた。北海道幌延町の公園にはヒマラヤンブルーといわれる「メコノプシス」という色鮮やかなポピーも咲く。
福岡県小郡市の「あじさかポピー公園」には色とりどり100万本のポピーが咲き誇っている。初夏の風にうなずくように揺るがすその姿を見ていると、女の生き方とポピーとの関係を想わずにはおれなかった。
毒性ポピー「ナガミヒナゲシ」
虞姫「中国語スクリプト」から