2021年8月15日。

第4回 ピース・コンサート in ヒロシマ

 

終演から1ヵ月が経ちました。

 

 

 

この1ヵ月間、世の中はどうだったでしょうか。

 

新型コロナウイルスの蔓延が懸念されている中で、招致時から口癖のように言われていた「復興」すらも消え、強行開催された東京オリンピック。

 

オリンピックによってコロナが蔓延しているにもかかわらず、無理矢理開催され、さらには視覚障害のある選手が選手村を巡回する自動運転車と接触し出場予定だった試合を欠場することとなってしまうという事態まで引き起こしてしまった東京パラリンピック。

 

20年という節目を迎えたにもかかわらず、毎年恒例の追悼式以外何も行われておらず、特に30代以下の認知度が極端に低く、すでに風化してしまったといっても過言ではないアメリカ同時多発テロ。

 

アメリカ同時多発テロの報復として始まり、アメリカ国内でも大きく報道されることがほとんどない状態で「忘れられた戦争」として20年間の年月が経った結果、武装勢力タリバンが権力を掌握し、アメリカをはじめとする国際社会が支援してきた政権が崩壊し、自爆テロによる大規模爆発まで起こり大混乱に陥っているアフガニスタン戦争。

 

はたして、平和といえるのでしょうか。

 

 

 

「自分たちの国がほかの国より強ければ、それでいい」

「周りがどれだけ傷ついても、自分たちが傷つかないならそれでいい」

 

そんな考え方の結果、「自分さえよければ」という戦争文化の生き方の行き着く先を、76年前の8月に2度も経験しました。

 

 

あの死の灰と化した地獄から76年経った今、

再びあの戦争文化の生き方の行き着く先に向かっていると思えてなりません。

 

 

 

コロナの脅威もとどまるところを知らず、どんどん蔓延している中、

今年も日本全国各地で豪雨災害が発生しました。

 

未だ復興の兆しも見えない地域もたくさんあるにもかかわらず、

某政党ではコロナや復興は後回しにして総裁選。

 

留学生や在日外国人労働者は、人間として最低限の扱いを受けることもできず、命を杜撰に扱われる。

SNSだけでなくテレビなどでも、当たり前のように誹謗中傷や差別発言が繰り返される。

 

 

 

「自分さえ幸せなら、周りがどれだけつらくなろうが関係ない」

そんな世の中は、「平和」とは到底言えないはずです。

 

改めて、「平和」とは何なのか、どのような生き方をすれば「平和」といえるのか、

今一度考えるべきです。