2022年になって、もうすぐ1ヶ月が経とうとしているのに、ブログは何も更新しておらず…………

 

今更ですが、明けましておめでとうございます。

 

 

 

昨年12月20〜22日、鹿児島に研修旅行に行ってきたのですが、それから1ヶ月ほど経った2022年1月25日、その報告会を行いました。

 

研修旅行に行ってきたのは、僕を含む「Peace Buddy」の7人です。

「Peace Buddy」とは、NPO法人Peace Culture Village(略してPCV)が運営する修学旅行生のための平和共育プログラム「Peace Dialogue」で平和公園のガイドやワークショップのファシリテーションを行う若者メンバーのことです。

「Peace Dialogue」は、教えるのではなく、互いに学び合い、協力して学びを深めていくプログラムです。

「Peace Buddy」はそれぞれ、異なる背景を持っています。だからこそ、グループに付くBuddyが違うと、学ぶことも違います。

これが「Peace Dialogue」「Peace Buddy」の特徴です。

 

今回の研修旅行でも、感じたことはメンバーそれぞれ違います。

メンバーがそれぞれ感じたことをシェアするために、この報告会を行いました。

 

研修旅行から1ヶ月が経ったタイミングで報告会を行ったことで、研修旅行で学んだことをみんなにプレゼンするということを通して、思い出し、学び直すいい機会になったので、改めて、自分なりに研修旅行を振り返り、3回にわたってまとめてみようと思いました。

 

 

 

まず、研修旅行の日程ですが、

20日

 新幹線で鹿児島に移動

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 知覧特攻平和会館見学

 

 ↓

 ヘルシーランド露天風呂 たまて箱温泉

 ↓

 お宿やまびこにて宿泊

 

21日

 レンタカーで移動

 ↓

 日当山無垢食堂

 ↓

 ひより保育園見学

 ↓

 ユクサおおすみ海の学校にて宿泊

 

22日

 自由行動

 ↓

 新幹線で帰広

 

という流れでした。

 

 

 

20日のメインは、知覧。

 

特攻隊とは、「特別攻撃隊」の略で、決死の任務を行う部隊のことで、特に体当たり攻撃が有名だと思います。

重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める特攻作戦、その中でも特に航空機による作戦が有名ですが、実際には、この航空機によるものだけでなく、魚雷の本体に外筒を被せて、酸素の入った気蓄タンクの間に1人乗りのスペースを確保させた人間魚雷もありました。対戦車用地雷を抱えて、生身で敵の戦車の下に飛び込むというものもありました。

その中でも、航空機による特攻に関しては、知覧基地を始め、宮崎県の都城などの九州各地、そして当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から17〜32歳の青年たちが出撃していきました。出撃した人数は1,036人にのぼります。知覧基地からは、本土最南端だったこともあり、その半数近くの439人が出撃していきました。

 

知覧特攻平和会館で、大きく2つのことが印象に残っています。

 

1つ目は、展示してあった「一死生還」という言葉が大きく書かれた日章旗です。「死して生還する」。仮に、搭載した爆弾で敵の船を沈めることに成功したとしても、生きて帰還することは一切許されなかった。つまり、「どんな理由があろうが、死んでこい」ということです。

「現状を突破するには、特攻作戦しかない」と特攻作戦を言い渡されたとき、「これは強制ではない。家の事情などで参加できない者は、紙に×と書け」と言われたといいます。しかし、当時の軍国主義の中、逆らうような行動をとることはなかなかできなかった。×と堂々と書くことは、なかなかできなかったのです。

当時の青年たちには、選択肢が与えられていなかったと言えるでしょう。展示してある遺書には、「お国のために、立派に行ってきます」などと書かれていますが、それが全てなのでしょうか。遺書でさえも、検閲があり、「死にたくない」「行きたくない」などの気弱なことを書いていたり、軍に批判的なことを書いてあるような、いわば「不適切な内容」のものは書き直しを命じられたりと言うこともありました。出撃予定日を言い渡されてから出撃日を迎えるまで、青年たちはどのような気持ちで過ごしていたのでしょうか。

 

2つ目は、企画展示室での展示です。「米軍が見たカミカゼ」と題し、知覧特攻平和会館が収集・調査した米国国立公文書館の特攻関連資料が展示してあったのですが、その中に戦艦ミズーリについての展示もありました。右舷艦尾付近に「神風デッキ」と言う場所がありますが、ここは1945年4月11日、沖縄海域での戦闘で神風特攻機が衝突した場所です。爆弾は投下済みで爆発はなかったものの、火災が発生。消火作業の後にデッキの上で発見されたのは、特攻隊員の上半身のみの遺体だったそうです。敵兵ではあるものの、使命を果たしたことに敬意を表し、当時の艦長のウィリアム・キャラハンは水葬することを決めました。米軍の水葬なので、通常は遺体を星条旗に包んで海に送るのですが、隊員が日本人ということで、乗組員は日本の旭日旗をあり合わせの布を使い徹夜で作理、翌朝、多くの乗組員が見守る中、水葬が行われ、祈りが捧げられたとのことです。

僕は、この展示を見たとき、涙が出ました。ウィリアム・キャラハン艦長(当時)や他の乗組員は、どのような気持ちで水葬を行い、祈りを捧げたのでしょうか。

特攻隊というと、飛び立ってお国のために命を捧げた特攻隊員ばかりに注目しがちですが、「攻撃した側」がいれば、その反対に「攻撃された側」もいるわけで、そちら側の視点もとても重要です。そのことを改めて痛感した展示でした。

 

 

 

その後は、開聞岳の近くにある「たまて箱温泉」で疲れを癒し、元々介護施設だったところを宿泊施設にリノベーションした「お宿やまびこ」で宿泊しました。

 

(サングラスをかけているのが僕です(笑))

 

今回の研修旅行の1〜2日目は、「株式会社musuhi」の代表取締役であり、PCV専務理事の住岡健太さんの親友の野崎恭平さん、めぐる食と暮らし研究家で野崎恭平さんの奥さんの萌さんに案内していただいたのですが、1日目の夜は、野崎恭平さん・萌さんご夫妻と娘さん、息子さん、そして、教育活動家の手嶋州平さんとともに、旅行に行ったメンバー全員で盃を交わし、普段はなかなかやらないような深い話などで盛り上がりました。

(普段の2倍をはるかに超える量を飲み、二日酔いになったのは、また別の話(笑))