今日は、2022年3月11日。

もうすぐ、この1日も終わろうとしています。

 

 

 

みなさんは、今日1日、どんな気持ちで過ごしましたか?

 

 

 

11年前の今日発生した東日本大震災。

当時、僕は中学2年でした。

この日の午前中は卒業式があり、卒業生を送り出した後、午後は部活でした。

 

僕が通った中学校は併設型中高一貫校(公立)だったため、高校の吹奏楽部の定期演奏会に中学生部員も出演するため、その練習をしていました。

 

あの時見た津波の映像。

 

頭では理解していたつもりでしたが、実際のあの映像を見た時には、あまりにも恐ろしく、言葉を失いました。

映像には、子どもたちが号泣している様子もあり、胸が締め付けられました。

 

今も、あの映像を思い出すだけで胸が締め付けられ、涙を堪えることができません。

 

 

 

この震災がきっかけで作られた曲の中に、『群青』という合唱曲があります。

実は、この曲については2年前にこのブログで書いてはいたのですが、もう一度、改めてここで紹介させていただきます。

 

 

 

群青

 

作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生

作曲:小田美樹

 
 
 
震災が起こった当時、福島県南相馬市立小高中学校の音楽科教諭だった小田美樹先生が作曲されたこの曲。
 

福島第一原子力発電所から20km圏内にある福島県南相馬市。

避難を余儀なくされ、全国に散り散りになってしまった同級生。

津波に飲み込まれて犠牲となってしまった生徒もいる。

そのショックは、言葉では表すことのできないほどのものだったはずです。

 

実際、学校が再開しても、音楽の授業では歌も歌えなかったそうです。

生徒たちだけでなく、小田先生も歌えなくなってしまったそうです。

 

 

 
この曲の楽譜の最初のページには、小田先生の言葉が綴られています。
以下、引用させていただきます。
 

群青の子ら

 

 小高中学校のある福島県南相馬市小高区は、福島県の東端、浜通りと呼ばれる地域にあります。福島第一原子力発電所の北、半径20km圏内に全域が入り住民全員が今なお避難生活を送っています。

 平成24年度の卒業生は東日本大震災当時の1年生でした。106名いた学年の生徒のうち2名が震災時の津波の犠牲となり、97名がその後の原発事故による避難のため、北は北海道、南は長崎まで散り散りとなりました。4月22日にやっと市内の中学校を間借りして学校を再開したときには学年の生徒はたったの7名となっていました。

 ある日、誰がどこにいるのかを確かめながら仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていると、生徒たちは口々に「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながってるね」などの気持ちを述べました。その日から、「群青」の詩の核となる生徒たちの日々のつぶやきを綴る毎日が始まりました。

 小高区は「紅梅の里」と呼ばれており、小高中学校はその紅梅の色をイメージした「エンジ色」がスクールカラーとなっています。しかし校歌に「浪群青に躍るとき」という一節があることから、文化祭は「群青祭」という名称であり、野球チームも「小高群青クラブ」と名付けられています。「群青」とは本校に関わる誰もが自分たちの色と感じている色の名前であり、私たちの絆そのものです。

 「群青の子ら」は「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはずです。そして、そう思い続けることが私がここで今日を生きる力ともなっています。いつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じています。

 最後になりましたが、私たちの思いをこのように形にしてくださった本山秀毅先生、信長貴富先生、Harmony for Japanの皆様、そして私と本山先生をつないでくださった紅林美枝さんに心から感謝申し上げます。

 

平成25年7月18日

福島県南相馬市立小高中学校 教諭 小田美樹

 

 

 

 

また、2014年3月に行われた「Harmony for Japan 2014」において、

「群青」の混声4部合唱+オーケストラの指揮者を務めた、

大阪音楽大学学長の本山秀毅先生のコメントも掲載されています。

(以下、引用)

 

真実のうた「群青」

 

 原発事故のもたらしたものは、言うまでもなくほぼ全てがネガティヴなものである。しかしその困難を乗り越えていく活力に出会うと、いっそう貴く光輝いて見えることがある。

 

 私が初めて小高中学校の合唱に出会ったのは、福島県合唱コンクールで彼らが歌う「エレミヤの哀歌」であった。故郷を破壊された哀しみや怒りを激しく歌いあげる彼らに、心が震えた。多くの人の思いと縁が繋がって、震災復興を願う合唱のコンサートに彼らを招くことが実現した。彼らのプログラムは、前述の「エレミヤの哀歌」に加えてNコン課題曲「fight!」、そしてこの3年生のクラス合唱を一心同体に育んでこられた小田美樹先生が遠慮がちに「もう1曲歌ってもよろしいでしょうか?」と尋ねてこられた結果、披露された「群青」その曲であったのである。

これらの曲を渾身の力を込めて歌う彼らの演奏に、会場は目頭を押さえる人やすすり泣く声が響くほどの大きな感動の渦に包まれた。卒業式を数日後に控えて歌う生徒らの、このメンバーによる一生忘れることの出来ないまさに最後の合唱だった。卒業後は自分の意思とは別に故郷を離れる生徒もいる。理不尽な別離もそこにはあったのだ。

 

 歌詞も配布していない会場だったが、特に「群青」のメッセージはその旋律と共に多くの人の心に沁み入った。反響は想像を超えるもので、多くの人から問い合わせを受けた。そして自作の管弦楽版演奏に居合わせておられた信長貴富氏をして、アレンジを申し出させるエネルギーをこの音楽と歌詞は持っていた。

 

 この曲は決して単なる卒業ソングではない。別れを告げることも、再会を誓うことも出来ないままそれきりになった友たちへの心からのエールである。故郷と友、そしてそこで過ごした時間に思いを寄せる「真実のうた」である。真実の中から生み出された言葉と音楽は、どのような創作にも勝り、高い純度を持っている。

 

 出会いが新たな出会いに繋がり、真実から生み出された音楽が一つの形を得て、世に送り出されることになった。私が今までに出会った曲の中でも、この曲ほど思いの詰まったものはない。歌詞を共同で創作して卒業していった当時の3年生たち、それを大きな包容力で包み込むような温かい音楽を付した小田先生、そして 心意気からアレンジを申し出て下さった信長氏、全ての皆さんに敬意を表するものである。

 

 「真実のうた「群青」」多くの人たちに歌って欲しい歌の誕生である。

 

本山秀毅

 

 

 

この曲は変イ長調(As-dur)。

抒情的で壮麗な様子を表す調。

小高地区であったいろんな思い出を思い出すかのような雰囲気で歌い上げる。

 

ああ あの町で生まれて

君と出会い

たくさんの 思い抱いて

一緒に時を過ごしたね

 

今 旅立つ日

見える景色は違っても

遠い場所で 君も同じ空

きっと見上げてるはず

 

「またね」と 手を振るけど

明日も会えるのかな

遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない

 

あの日見た夕陽 あの日見た花火

いつでも君がいたね

あたりまえが 幸せと知った

自転車をこいで 君と行った海

鮮やかな記憶が

目を閉じれば 群青に染まる

 

あれから2年の日が

僕らの中を過ぎて

3月の風に吹かれ 君を今でも思う

 

響けこの歌声 響け遠くまでも

あの空の彼方へも

大切な すべてに届け

涙のあとにも 見上げた夜空に

希望が光ってるよ

僕らを待つ 群青の町で

 

最後、半音上がって、

輝かしい確信と希望や誠実な感情を表す調であるイ長調(A-dur)に。

 

絶対に消えることのない強い希望を持った部分。

 

きっと また会おう

あの町で会おう

僕らの約束は

消えはしない 群青の絆

 

また 会おう 群青の町で・・・

 

 

 

僕が卒業したエリザベト音楽大学は、毎年、卒業式の前日には「卒業演奏会」があり、

学内のセシリアホールで、卒業演奏試験によって選ばれた学年代表によるソロ演奏と、卒業生による合唱が披露されます。

合唱は、基本的には卒業生のみですが、学生数の少ない男性のみ全学年で歌います。

僕が大学1年のときの合唱で歌った曲が、この曲でした。

 

あの時のセシリアホールの空気は、何かが違いました。

あのホールでは、学生時代何度も演奏してきましたが、言葉に表すことのできないあの空気を感じたのは、1度しかありません。

 

僕を含め、ステージ上で歌っていた人のほとんどが涙を流しながら歌っていたのを、昨日のように思い出します。

 

 

 

 

 

これは、元の校舎に戻ってから1年後に公開された動画です。

 

この想い、

我々人間は絶対に忘れてはいけません。