3月30日は、広島の反戦詩画人・四國五郎の命日です。

広島の原爆投下を描いた山口勇子による絵本『おこりじぞう』の挿絵を描いた人、といえばピンと来る人も多いでしょう。

 

1924年5月11日、広島県椹梨村(現在の三原市)で生まれた四國五郎は、14歳の頃から広島陸軍被服支廠で働いていました。

1944年、20歳のとき、赤紙が届き、第五師団広島中国軍管区輜重兵補充隊第五連隊(輜重隊)に徴兵されました。

その後、満州にて関東軍に入隊、蛸壺掘りをさせられていました。

蛸壺というのは、歩兵が敵弾を避けるために作る小さな防御施設(塹壕)のこと。四國五郎は、敵の戦車や車両の下に爆弾を抱えて飛び込む特攻でした。

その順番を待っているときに8月15日を迎えたため、出撃することはありませんでしたが、すでに満州に入ってきていたソ連軍の捕虜となり、シベリアで抑留され、強制労働を受けました。

3年後の1948年11月、やっと解放され帰国、帰広した四國五郎は、そこで初めて、最愛の弟・直登が原爆の被害で亡くなったことを知りました。悲しみと怒りから、広島で絵を描くことで反戦反核を訴えていくことを決意し、詩人・峠三吉をはじめとする活動家と交流を深めました。

峠三吉らと取り組んだ運動の1つに、『辻詩』が挙げられます。『辻詩』とは、反戦反核を訴える目的でポスターのように絵と詩を組み合わせて作ったもので、街角に張り出していました。当時は連合国軍による占領下で、軍の批判は罪に問われる恐れもあったため、仲間たちは街中に張っては、警察が近づくと急いで取り外す、ということを繰り返しました。そうしたなかでほとんどが没収されるなどし、今では8枚しか残っていません。

 

こうして生涯を通して反戦反核を訴え続けた四國五郎は、2014年3月30日に89歳で亡くなりました。

 

 

 

四國五郎は絵だけではなく、たくさんの詩も残しているのですが、声楽家の今田陽次さんはそれに曲をつけて歌っています。

その中に、『灯ろう流し』という詩があります。

 

『灯ろう流し』は、1977年に書かれた詩で、今田さんが歌い始めるまでは未発表になっていました。

メモ書きのように書かれたまま、眠っていたのです。

ご子息の光さんは、「おそらく、思いついたままに手近な紙に書き記し、そのまま忘れてしまったものと思われる」とおっしゃっています。

2020年、ピアニストの山下雅靖さんによりこの詩に曲がつけられ、新しい命が吹き込まれました。

山下さんは、作曲した想いを、「戦争を知らない私たちは、一生懸命作曲して、一生懸命演奏する、それしかないんです」とおっしゃっています。

 

毎月15日と30日にYouTubeで配信しているインターネットラジオ番組「Hihukushoラジオ」では、毎回「文学コーナー」を設けて広島陸軍被服支廠にゆかりのある作家の作品やその他いろんな文学作品を紹介していますが、2022年3月30日配信回では、四國五郎の命日であることから、追悼の意を込めて、今田さんが歌っている『灯ろう流し』を流します。

 

 

 

それに先駆けて、今回のブログでは、この『灯ろう流し』という曲について、①文学的視点、②音楽的視点の2つの視点から、僕なりに考察してみたいと思います。

 

①文学的視点

まずは、『灯ろう流し』の歌詞を見てみましょう。

 

はなれないで 流れてゆきなさい

おとおとよ いもうとよ

二人は仲よしだったから

 

三十二年たっても

二人は子どもだから

小声で唄いながら 流れてゆきなさい

 

あかと白の 灯がきえぬうち

またたきが 閉ぢないうち

わたしは 河岸を去るから

みんなと 一緒に 流れてゆきなさい

 

※歌詞中の「三十二年」は、作曲の都合上、「三十年」に変更されています。

 

この詩の中で、注目すべきところは、やはり「流れてゆきなさい」という部分でしょう。

普通であれば、「安らかに眠ってください」という言葉や世界平和への誓いなどになりそうなところがすべて、「流れてゆきなさい」になっています。

四國五郎は、どんな気持ちでこの詩を書いたのでしょうか。

最愛の弟を亡くした四國五郎は、どのような思いで灯ろうを流したのでしょうか。

僕は、この「流れてゆきなさい」という部分からは、永遠に会うことができなくなってしまったその悲しみ、つらさを感じており、

本当に胸が締め付けられるような感覚になります。 

 

②音楽的視点

一般的に、音楽には「長調」と「短調」があります。

長調は明るい調、短調は暗い調として認識していただいて構いません。

また、同じ調号(「調号」とは、西洋音楽の楽譜を書く際に用いられる、♯や♭といった変化記号のセットのこと。 主として、五線の最初に置かれており、 調によってどのように置くかが決まるため、調号と呼ばれる。)の中に、それぞれ長調と短調があり、この関係を「平行調」といいます。

 

このことを念頭において話を進めさせていただきます。

 

この『灯ろう流し』という曲は、基本的には変ホ長調(E♭ Major / Es-dur)です。

変ホ長調は、基本的にはヒーローや英雄を表し、祝祭的で壮大なイメージを与える調ですが、青空を表す場合もあります。

変ホ長調であるものの、この曲は明るい曲ではなく、何とも言えない切なさが陰に隠れています。

平行調のハ短調(C Minor / c-moll)は、悲劇的な力や、激烈な感情、影を表す調です。

最愛の弟を亡くした四國五郎の心奥深くにある悲しみが、表現されています。

 

また、イントロの部分や曲の後半に出てくる「みんなと一緒に流れてゆきなさい」という部分で印象的に使われている「ソ─シ♭─ソ─ファ」という音型は、フォーレ作曲の『レクイエム』の第4曲『Pie Jesu』(日本語訳で「慈愛深いイエスよ」)の中に繰り返し出てくる「レ─ファ─レ─ド」(こちらは変ロ長調(B♭ Major / B-dur))と音程が一致しています。

 

 

『Pie Jesu』の楽譜(IMSLPより)。

「レ─ファ─レ─ド」という音型が4、6、8、9小節目にあります。

 

 

実は、今田さん・山下さん・僕の母校であるエリザベト音楽大学では、カトリックの大学であることもあり、入学式と卒業式のときには、式の初めに必ず「世界平和祈願」というものを行います。その際、パイプオルガンで小さめの音で演奏がなされるのですが、その時に演奏される曲がこの『Pie Jesu』であり、少なくとも8回は学内のパイプオルガンでの演奏を聴いています。そのため、この音型は物凄く印象に残っています。

 

『Pie Jesu』の歌詞は、

Pie Jesu Domine,(慈愛深いイエスよ、主よ、)

dona eis requiem,(与えてください、彼らに、安息を、)

sempiternam requiem.(いつまでも続く安息を。)

となっていて、まさにこの「灯籠流し」の意味と一致しています。 

 

これは僕の推測にすぎませんが、山下さんはこの『Pie Jesu』からインスピレーションを得て作曲されたのかもしれません。

 

 

 

①文学的視点、②音楽的視点の2つの視点で、『灯ろう流し』という曲を見てみました。

2022年3月30日配信回の「Hihukushoラジオ」の「文学コーナー」にて、この曲を流させていただきます。

 

 

 

ただし、皆様にお願いです。

四國五郎が亡くなってから、まだ8年です。著作権はまだ切れておりません。

そのため、詩に曲をつけて歌うということ自体、光さんをはじめとするご家族の方と綿密な話し合いを何度も行って決められたことです。

今後もこの2人でしか四國五郎の作品を演奏しないことを、ご家族と約束されています。

心苦しいところではありますが、くれぐれも、採譜を行ったり、演奏を行ったりすることがないよう、よろしくお願いします。