現在、広島市立中央図書館移転問題について、署名を集めています。
先月にも問題点についてのブログを書きました。
ここに記載した内容は、とても重要な問題にもかかわらず、どの報道機関も一切報じていません。
これらの、重要な問題にもかかわらず報じられていない問題点を、改めて整理しておきたいと思います。
①移転後の資料の保管について
中央図書館には、旧広島藩主浅野家から寄贈された和漢古書のうち、被爆による焼失から免れた「浅野文庫」を含めた江戸時代の資料や、地元文学者関連資料や、被爆関連資料など、数えきれないほど多くの貴重な資料が収められています。
現在、エールエールA館に移転したあとに所蔵する予定の資料は150万点です。これを超える場合は、そのときに考えるとのことでした。つまり、こんな大事なことについても未だ全く決まっておらず、保管場所も状態の悪いところになる可能性はもちろん、場合によっては捨てられる可能性も十分ある、ということです。
このことは、著作権継承者らへの説明は一切されておらず、了承も未だ得られていないのが現状です。実際に、我々「広島文学資料保全の会」で県外にお住まいの著作権継承者らへ問い合わせたところ、「今、この電話で初めて知った」という方も。
このまま、エールエールに移転されるのであれば、中央図書館に寄贈している資料を引き上げるという話も出ています。
実際にこのようなことが起これば、図書館としての機能の1つである「図書館資料の保存」がなされていないことの象徴となってしまい、図書館の名を汚すことになります。
②エールエールA館の構造上の問題
建築基準法では、図書館には図書館のための基準が別に定められています。エールエールA館は商用施設であり、図書館のために作られたものではないため、図書館の建築基準を満たしていないのは明らかです。「改修すればいい」という問題ではありません。
また、エールエールA館の8〜10階に移転するということになっていますが、8〜10階のみを改修しただけでは、図書館の建築基準を満たすことはできません。上下の階の影響を受けることは想像がつくでしょうし、なんといっても、11階にはレストラン街があるわけです。つまり、そこまでガス管が通っているということです。なんらかの原因でガス管に不具合が生じ、異常が発生した場合、収蔵している資料に影響が出ないという保証はありません。資料に影響が出てしまったときは、どう責任取るのでしょうか。
③不公平な対応
担当である生涯学習課からは、不公平な対応をされています。
賛成派の団体に関しては、市長との面談を取りつぎ、その翌日には実際に面談を実現させました。しかし、反対派に関しては、生涯学習課長1人の判断で、「面談する必要はない」とされ、市長と話をすることを拒まれています。
広島市職員倫理規則には、
第2条 職員は、広島市職員としての誇りを持ち、かつ、その使命を自覚し、第1号から第3号までに掲げる倫理条例第3条の倫理原則とともに第4号及び第5号に掲げる事項をその職務に係る倫理の保持を図るために遵守すべき規準として、行動しなければならない。
(1) 職員は、市民全体の奉仕者であり、市民の一部に対してのみの奉仕者ではないことを自覚し、職務上知り得た情報について市民の一部に対してのみ有利な取扱いをする等市民に対し不当な差別的取扱いをしてはならず、常に公正な職務の執行に当たらなければならないこと。
(2) 職員は、常に公私の別を明らかにし、いやしくもその職務や地位を自らや自らの属する組織のための私的利益のために用いてはならないこと。
(3) 職員は、法律又は条例により与えられた権限の行使に当たっては、当該権限の行使の対象となる者から、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は供応接待(以下「贈与等」という。)を受けること等の市民の疑惑や不信を招くような行為をしてはならないこと。
(4) 職員は、職務の遂行に当たっては、公共の利益の増進を目指し、全力を挙げてこれに取り組まなければならないこと。
(5) 職員は、勤務時間外においても、自らの行動が公務の信用に影響を与えることを常に認識して行動しなければならないこと。
とあります。
第2条第1項について、守っているとは到底言えません。誰が見ても不公平であることは一目瞭然です。
差別・区別されているとしか言いようがなく、平和的な対応とは言えるはずがありません。
「国際平和文化都市」を掲げている広島市の対応が非平和的というのは、理解に苦しみます。
生涯学習課の田淵課長(前)は、これらの問題点について、どれだけ問いただしても誠実に答えることは一度もありませんでした。
広島市は利便性や費用面についてしか言及しておらず、このような重要な視点については一切考えられていません。
中身は全く決まっていないにもかかわらず、移転ありきで全てが進んでいるわけです。
今回の図書館移転問題に限ったことではありませんが、広島市は基本的に「文化」という視点が欠落しています。
1945年8月6日の原爆により、広島市内に根付いていた文化が失われてしまった、と考えることもできます。
しかし、だからといって、文化を大事にしなくていいということは、ありえないことです。
イギリスの人類学者であるエドワード・バーネット・タイラー(1832~1917年)は、1871年に出した『原子文化』(Primitive Culture)の中で、
広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである
と定義しています。
この定義は動物に社会が存在しないことが自明とされていた時代の定義であり、この文に続く進化主義的な議論はかなり批判されていますが、それでもタイラーのこの定義は今でも基本的には正当性が認められています。
つまり、「文化」とは、その社会の構成員、すなわち人間が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式であり、人間が生活していく上で必要不可欠なものなのです。
しかしながら、広島市ではこの「文化」という視点での議論は全くされておらず、利益優先の進め方がなされています。
人間が生活していく上で必要不可欠なものである「文化」という視点を度外視した、利益優先の進め方には不信感を抱かずにはいられません。
人事異動により、今月から課長や市民局長が変わりました。
これから、市民に対してどのような対応をするのか、市民がしっかりと監視しなければなりません。
