聖書の言葉は沢山の人々やほんのなかで引用されています。
貴方もホテルに宿泊した時に。枕元に聖書が置かれているのを見たり、また少し読んでみたりした事はあるのではないでしょうか。
アダムとエバの失楽園、モーセが紅海を分けてイスラエルをエジプトから救った話、イスラエルの王ダビデやソロモンに関する映画や小説、イエス・キリストの誕生、逸話や教訓、奇跡的な出来事、更には黙示録のハルマゲドン、これらの事は数限りなく映画や本や多くの講演で見たり聞いたりして来られたのではありませんか。
人にこれ程の影響を与え、歴史に刻み込まれたものがあるでしょうか。
聖書はBC16世紀からAD1世紀の期間、凡そ1600年の長期の間に書かれた66の文書を集めた本でバイブルという名はビブリア(小さな書庫)という名に由来しています。
この本の筆者は40人と言われていますが、其々の筆者が前筆者の弟子が引き継ぎ書いたと言うのではなく、その筆者の職業は軍人、羊飼い、漁師、預言者など様々ですが聖書全体は一つの方向に向いています。
この様な本は他に類例を見ることが出来ません。
筆者の1人であるパウロは聖書全体が「神の霊感を受けた」(テモテ第二3:16)ものである事を記しています。
又聖書は預言の書としても知られています。
取り分けダニエル書は紀元前6世紀の預言者ですが、彼の書には後の世の覇権国家の盛衰が記されていますが、あまりにも正確に成就したので神の存在を疑う人達は、この書はずっと後の時代に書かれたものだと主張します。
しかしダニエル書の預言は、終末預言が記されている黙示録と重なる部分があるので聖書研究者の関心の向くところでもあります。
ここまでは聖書の幾らかの概要を書いてきましたが、この聖書の目的は何なのでしょうか。
聖書は単なる倫理の書物でも預言書でもイスラエルの寓話でもありません。
又、多くのキリスト教会が勧誘のために強調する天国への道でもありません。
最初の人間アダムとエバが犯した罪によって失った神と子の親密な関係( 神は罪人とは交渉を持たない)をもう一度取り戻す為の、その過程を記した書物なのです。
その道程の中にアブラハム契約、モーセによるイスラエル民族のエジプトからの救出、ダビデとの王国契約、処女マリアからのイエスの誕生そして30才の頃イエスはバプテスマを受け、聖霊が注がれキリスト(救世主)となり、キリストの伝道活動により多くの弟子が生まれる。(彼らの内ある者は聖霊が注がれ聖徒となる)
そして神は神を認めず、キリストの人類の罪の贖いを認めない人々を裁かれる。(終末)
生き残った人々はキリストと聖徒達が統治する千年王国の下で身体的、精神的な不完全さが癒やされていく。
千年後、最終的な試み(多分アダムとエバが受けた様な試み)があり、その試みを克服した人々は神との良い関係(父と子の様な)を取り戻す。
この地は神の当初の目的どおり、一つの家族の様になり、そこには愛(利他的な愛アガペー)が溢れる。聖書はその時の地球をこの様に描写しています。
イザヤ33:24 そして、「わたしは病気だ」という居住者はいない。その地に住んでいる民は、自分の科を許された者たちとなるのである。
イザヤ35:1〜2 荒野と水のない地域とは歓喜し,砂漠平原は喜びに満ち,サフランのように花を咲かせる。 それは必ず花を咲かせ,喜びと喜びの叫び声とをもって真実に喜びあふれる。レバノンの栄光,カルメルとシャロンの光輝が必ずそれに与えられる。神の栄光,わたしたちの神の光輝を見る者たちがいるであろう。
詩篇72:16 地には穀物が豊かに実り, 山々の頂であふれんばかりに実ります。
これまで聖書全体は神と人類の良い関係を取り戻す為、神は何千年もの時をかけて来られました。
それは「人が人を支配して害を及ぼした」(伝道8:9)
長い歴史の事実を認識し、受け継いだ罪(利己的な欲望)を認め悔い改める時間を与えられました。
しかしそれでも改めようとしない人々が居るなら、神の目的はいつまでも達成はできません。
止むを得ず、神は時を定めこの世を裁かれるのです。
神の本質は愛である(ヨハネ第一4:8)ことが記されています。神は決してご自分の創造物である人類が滅びる事を望んでいる訳ではありません。
生きて回復された美しい地球を受け継ぎ、歓び溢れる永遠の人生を送る事が神の目的であり、歓びであるのです。
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