もう既に1914年の「終わり日」が始まって既に109年の年月が過ぎています。
「過ぎ去らない世代」は何世代まで伸びるのでしょう。
きっと統治体はこの「世代」に関する解釈を変えたいのでしょうが、それはものみの塔の根幹を成す教えであるので,これを変える事は多くの信者を失なう事になってしまいかねません。
これまで「終わりの日」を多くのキリスト教の宗派が計算し、皆失望に変わりました。
この時の算出にエレミヤの70年の預言が大きく関係している事が挙げられますが,そもそもこのエレミヤの70年の預言の解釈自体に問題があります。
Googleで(エイレナイオス エレミヤの70年)検索してみて下さい。
1世紀当時、イスラエルや近隣諸国に出来たキリスト教徒の会衆には聖徒(油注がれた者)と信者がいました。(エフェソス1:1、コロサイ1:2)
聖徒には様々な奇跡的な賜物の業が有り、それが彼等の聖徒としての身分証明書でした。
今日の統治体と称する人々は自分達の権威を自分達は聖霊を受けた者と自分達で自称しているだけで、奇跡的な賜物は彼等には有りません。彼等は聖霊によって聖書を正しく理解し、聖書預言の解釈も与えられたと主張しますが、その解釈は何度も修正しなくてはなりません。
神からの聖霊による理解だというなら、聖霊が間違う事があるのでしょうか。
それは神を侮辱している事にはなりませんか。
間違うのは単なる人間の解釈だからではありませんか。
聖書は「終りの日」に聖霊を受けた人が再び現れ、奇跡的な業を行い、世界中に神のご意志を伝える業を行う事が記されています。
聖書は「終りの日」に関してキリストの再臨と結び付けています。
キリストが再臨した時、地上で忠実にキリスト教に関心を持つ人々を霊的に養っていた「忠実で思慮深い奴隷」に祝福お与え、彼等の中のある者達に聖霊を注ぎ彼等を聖徒として天に迎える用意がある事を示されます。(啓示12章女から浮かれた子は神の王国ではなく聖徒を表す)
こうした祝福を受けるのは今日の大きな教団とは言えません。
何故なら彼等は相応しく信者を養ってきたとは言えないからです。
三位一体,免罪符、魔女狩り、地獄の教理、多くの戦争を繰り返してきた教団や、政治的,金銭的目的の為に人々を利用してきた教団に神が関心を向ける事はないでしょう。
ものみの塔はこれらの教団は人々を誤導すれば,それは聖書が示す様に「盲人が盲人を案内するなら2人とも穴に落ちてしまう事になる」と教え、救われるのは自分達だけであると信者を鼓舞します。
今エホバの証人は8百数十万の信者がいるそうですが、ここ十年間はあまり信者は増えてはいません。
この数字は世界人口からすれば僅か0、1%程度です。
そうすると神は99、9%の人々を滅ぼされるという事でしょうか。
ヨハネ第一4:8には「神は愛」と述べられ、その本質が愛であられる神が0、1%の僅かな人々しか救わないといわれるのですか。
マタイ12:31には「このようなわけであなた方に言いますが,人はあらゆる種類の罪や冒とくを許されますが,霊に対する冒とくは許されません。」とあります。
99、9%人が皆,聖霊に対する罪を犯しているというのですか。
エホバ証人はこのマタイ12:31〜32を正しく理解していますか。
この聖句は神からの聖霊を受けた者が奇跡を行い、その奇跡を神からのものと認めない者,つまり神を認めないものは救われない、しかしそれ以外の人々は終りの日に聖なる者の奇跡を見て、神を認める者には救われる機会が開かれる事を意味します。
まだこの様な聖霊を受け,奇跡を起こす「聖徒」は起こされていません。
自称聖霊を受けたとする統治体の成員に、聖徒の証となる「神からの力」はありません。
「目ざめよ」1995年4月22日号6頁にカトリック教会の中で「幼児性虐待」に対する批判記事が載っていますが、ものみの塔の中でもそれよりずっと以前から同様の問題が起こっていた事を統治体は知っていたはずです。2019年5月号の記事でその事を明らかにしていますが、彼等が如何に偽善者である事を示す一例ではないでしょうか。
エホバ証人の皆さん多くの人たちが正直で,真面目な方々である事はよく知っています。
2世3世の方の中には組織に疑問を感じておられる方がたくさんいることも理解しています。
問題は聖書にあるのでは無く、組織を導く人間にあるのです。
ラッセルは純粋な気持ちで聖書探究をしてきた事は疑う事はありませんが、その後組織が大きくなり,多額のお金が集まってくると道を誤って来たのです。
統治体も罪を背負った人間だからです。
状況からすると「聖徒」はそう遠くない時代に現れる事でしょう。
その時皆さんが、イエスを迫害したパリサイ人の様にならないことを祈ります。