イエスが伝道活動を行なっている時は、まだイスラエルは律法契約の下にありました。

それ故にイエスの伝道の目的は「祭司の王国」の聖なる者をイスラエルの中から探し出す事が、主要な目的であって、決して全ての人に良い便りを伝える事が目的ではありませんでした。(マタイ15:24/マタイ10:6/ローマ15:8)

 

イエスは最後の過越を弟子達と過ごした時、彼等と新しい契約を結び、この晩餐を引き続き行うように言われれました。これが(主の晩餐)で毎年ニサンの14日(ユダヤ暦)に聖なる者(油注がれた者)を中心に行われます。

またイエスは自分が死んだ後、弟子達の助け手として、約束の聖霊を送ると言われました。

この約束の聖霊こそが、彼らが「女の裔、アブラハムの裔、祭司の王国の民」であり、聖霊は彼らの身分を証明するものでした。この聖霊はイエスの死後、50日目のペンテコステの日にイエスが選ばれた多くの人々に誰の目にも分かるような形で、配られました。

 

イエスの死によって律法契約から解かれた弟子達は、イエスからの良い便りを異邦人(アナトリア地方やテサロニケ、ギリシャ、そしてローマ)に宣べ伝え、多くの異邦人も「女の裔」に加えられました。この女の裔は「王なる祭司」としてその数(144000)が揃った時、霊体となり、天に上げられ、王として御使たちと地上の国民を支配し、また祭司として罪ある人間と創造者との間を取り持ち、1000年に渡って彼らを癒します。

 

しかし、12使徒が死んだ後、キリスト教は聖書に述べられている様に、どんどん背教が進み、2世紀の中頃には聖霊の働きによって奇跡的な業を行う者はいなくなってしまうのです。(教会史)これから以後、長い年月の間今日まで聖霊は誰にも降ってはおりません。

 

しかし世界中のキリスト教会やエホバの証人の中には、「自分達の中には聖霊で油注がれた者がいる」と主張しています。一世紀ののような奇跡の賜物が無いのはコリント第一13:8に「奇跡の賜物があっても、それは廃される」という聖句を示して、奇跡の賜物が無くとも確かに自分達は聖霊で油注がれたと主張します。

 

しかし聖書をよく読むと、コリント第一13章は愛について述べているのであり、奇跡の賜物が無くなる時期については述べていません。

これは千年王国の時代になった時の事を述べているのであり、その時はもう奇跡の賜物はいりません。

まして、終末が近づき、困難な時代に入る今、神は聖霊の賜物を与えてくれない事があるでしょうか。

 

 

 

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