真面目に教会に通い、聖書をよく読んでおられるクリスチャンと呼ばれる方々、また、キリスト教としては異端視されているエホバの証人や独自の教えを守っておられる方々、皆さんは聖書に対する理解の点で大きな勘違いをなさっておられませんか。
皆さんはイエスの語られた山上の垂訓や他の教えに深い感銘を受け、教会や集会に参加し、献身の洗礼やバプテスマを受けてこられた事でしょう。
誠実な人ほど聖書で語られている事を神が自分に語られ、そのような人になれるよう、これまで努力を重ねてこられたのではありませんか。
確かに聖書は人に高い倫理性を求めています。それを身に着けることはその人の人格向上に大いに役立つことでしょう。テモテ第二3:16、17にそのように述べられてもいます。
しかし、キリストが弟子達に要求していることはかなり厳しいことであることに気付かれた方もおいででしょう。その中には自分と同じように「苦しみの杭を背負って歩く」とか「狭い門を通って入りなさい。入ろうとしても入れない人が多い」ことや「迫害されても死に至るまで忠実でありなさい」とあるように弟子達には多くの困難が待っている事が述べられてもいるのです。
皆さんはこうした事を読んで、果たして自分はこのような試練に耐えられるだろうか、いやここに書かれていることは一世紀の初期のクリスチャンだけにキリストが言われた事でこの時代、私たちに要求されていることではない、と自分自身に言い聞かせておられる方もおいでかもしれません。
ではイエスが言われたことに今日のクリスチャンはどのように反応すべきでしょうか。
この意味するところを理解するために、話を創世記まで戻ってみる必要があります。
アダムとエバが蛇の誘いにのって罪を犯した時、創造者はすぐに蛇(悪魔)に対し、創世記3:15で「お前の裔と女の裔との間に敵意を置く。彼(女の裔)はお前(悪魔)の頭を砕き、お前は彼の踵を砕くであろう」とあります。
ここで問題なのが悪魔サタンの頭を砕き致命傷を与える「女の裔」の正体である。
読者はもうお気付きと思われますが、「女の裔」はキリスト・イエスである事は間違いなく、彼には仲間もいるのです。
その仲間は「神の友」とも呼ばれたアブラハムに約束された「地の全ての民はあなたの裔によって祝福される」ことが創世記22:18に書かれています。
これはアブラハム契約といわれ、この契約はイスラエルのモーセの律法契約の中に含まれて行きます。(創世記19:5、6) 残念ながらイスラエルはこの律法契約を守ることは出来ず、BC586年にイスラエル王朝はバビロニア王国によって滅ぼされることを神は許されます。
それ以後イスラエルはバビロニア、ギリシャ、ローマの属国として生き残ることになります。
しかし創造者が遣わされたメシアであるイエスをイスラエルは殺し、神は完全に律法契約を破棄されます。
ここで一つのポイントです。
イエスは殺される前の3年半、伝道活動を行いましたが、何のための伝道でしたか。
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