こんばんわ
すっかりご無沙汰しました
前回記事↓ の続きです~
「自己犠牲」のことは
ここ数年、書きたいのに書けなくて
鬱憤がたまっていたテーマです。
あーでもない、
こーでもない
と、下書きを推敲していたのですが
上手くまとめて書けないからUPしない
・・・と言う
いつものパターンに
はまってきたので
もう、小出しにUPします~
拙い文章ですが
お付き合いいただけたら
ありがたいです
私のblogタイトルでもあるんですが
私は、ここ十数年
本当の自分に出会う。
自分の本心を知り、
その本心を大切に扱う
って事を
心理療法とかスピリチュアルな
ヒーリングで
追及してきました。
自分自身を
「愛する」ことに
取り組んできた時間
だったなぁと思います。
それを角度を変えて
見てみたら・・・
脱・自己犠牲
の時間だった・・・んですよね
・・・で。
皆さん
「自己犠牲」って
どのように捉えらていらっしゃいますか
自己犠牲は
愛の形
美しい
尊い
素晴らしい
と、前向きな印象で
捉えられている方も
いらっしゃるかもしれませんし。
痛みを伴う
苦しい
残酷
とか
悲観的にと捉えている方も
いらっしゃると思います。
他に・・・
自己犠牲は
やむを得ないときもある
とか。
様々な捉え方が
あると思います。
どの考えが
「正しい」「悪い」とか。
それを言いたいのではないのです。
・・・でも
社会構造の大転換期を迎えている今
どうやったら
皆が手を取り合って
明るい時代を
迎えることができるのか・・・。
この十数年の心理の学び
体感してきたことを基にして
考えていくと
この「自己犠牲」の考え方って
いらない
と。
そう思うんです
この記事を読まれて
皆さんは
どんな風に感じられるんだろう・・・
そんなことを
思いながら今、書いています。
ええと
他人の事を分析とか、
あんまりしたくないのですけれど・・・
「我々は犠牲を払わなければならない」と
のたもうた
おっしゃった
IOCのバッハ会長さん。
彼は
自己犠牲することは
当然
必要
当たり前
という考え方をされる方
と推測しました。
(ほんとは、どう考えているかは
本人に聞かないと分からないのですけど、
私にはそう聞こえます)
~~~ん。
自己犠牲が大好き!
だから
いつでもなんでも私が犠牲になるよ~
なーんて
考えている人
少ないと思うんですけど・・・
・・・だけど
さっきも書きましたが
自己犠牲は
やむを得ないときがある。
って
自己犠牲を
消極的に
受け入れている
そういう方は
まあまあ多いんじゃないかな
と思うのですが・・・
私は
昔、
消極的に
受け入れていました。
で・・・
心理療法と同時に
潜在意識の法則
引き寄せの法則なども
同時に学んできたのですけど・・・。
この法則は
ほんまに、そうだな~
と実感していますし
私は信じているのですが・・・。
人って
自分の潜在意識の中にある
信念体系(思い込み)に合った情報しか
見えないし
聞こえない
ものなんです。
そしてそれは
自分の信念体系に合う考え方しか
できない
思いつかない
ってことでもあるんです。
(ゼロとは言わないです~)
・・・という事は
「自己犠牲することは
やむを得ない」
って
信念体系にあったら・・・
全員が助かる方法は
思いつかない
ってことなんです。
(何度も書きますが
ゼロとは言わないないですけど)
・・・というか
思いつきたい
と思わない
と言った方がいいかなあ・・・。
悲しいかな・・・
誰かが犠牲になる
ってことが
当たり前に
大前提として
脳裏にあるから。
全員が助かるなんて
思いもよらない
事になるんですよね・・・。
最初っから
諦めモード・・・で
色々考えているってことです。
でもね
究極に困った事態が起こったとき
全員が助かる方法を
全員で真剣に考えたら
何かしらの方法
見つかりそうに思いません
自己犠牲は当たり前-。
やむを得ないですー。
って半ば諦めかけた気持ちで
色々考えて
画期的なアイデア
生まれてくると思いますぅ
ゼロとは言いませんが・・・
生まれにくい
と思うんです。
・・・なので
話は戻って。
バッハ会長さんに
言いたいのん
犠牲当たり前とかいう考えはやめてから
オリンピック開催方法を
を考えてくれるかなー
ってねえ
・・・そうじゃなければ
コロナの被害がなく
オリンピックが成功する
最善の策なんて
見つからない
って。
私は思うんです・・・
が・・・ね・・・
で。。。
次のお話ですが・・・