ツインソウル ~魂の魔法~ | ツインソウル夫婦が贈るツインソウル・ヒーリング®︎、過去生ツインソウル・メソッド®︎&パワーストーンPrimaria☆Stone

こんにちはキラキラプリマリアです。

リブログとか再度まとめてみました。


 

 

”クンダリーニの覚醒・活性”とツインのエネルギーについてはこちらから

https://ameblo.jp/primaria/entry-12280646360.html

 

 

霊的な法則 宇宙の法則でいう結婚や離婚について。

https://ameblo.jp/primaria/entry-12159855055.html

 

 

 

 

こんにちは、ナグです。

 

後ほど一斉ヒーリングの告知のブログ出します。

 

 

「ツインソウルはいるのか、いないのか?」

の題名で書いたブログを再度


 

今まではあまり僕自身は、他の方のツインソウル・ブログを読んだりはしなかったですけど、相談に来られる方のお話の中で「〇〇さんのブログって、読まれたことありますか?」と、ときどき聞かれることがあります。

プリマリアに促されて読むことは、時々あります。

基本的に“その人の考え方はその人のもの”というスタンスなので、あまりほかの人の意見に対する見解を述べることは少ないのですが、

今日はあえて少しタイトルの

 

『ツインソウルはいるのか、いないのか?』

 

ということについて、書いていきたいと思います。

 

 

 

 

セッションを受けに来られた方や私たちのHPを見てくださった方はご存知だと思いますが、私たちは『ツインソウルかどうか?』という、いわゆる“鑑定”はしておりません。

プリマリアのブログでも、「ツインソウル概念」を入れすぎてしまうと、かえってそれが邪魔になる。ということを語っています。

 

結論から言うと、ツインソウルはいます。

 

 

 

しかしながら、答えを先に求める姿勢で、この「ツインソウル」という概念を当てはめることはどうかと考えています。

 

「ツインソウルだったら、○○なはず。」

 

このような考え方になってしまうと、概念にとらわれてしまいますよね。

 

また、『ツインソウルはいません。』と断言されている方もおられるようですが、それも“ツインソウルがいるかどうか?”にこだわっている、ということなんですよ。

 

 

わたしたちが大事にしているのは、ツインソウルかも知れない。あるいは、この人は私のツインソウルだ。と『あなた自身が想う気持ち』を大切にして、自分自身や相手と向き合うそのプロセスの中で起こる様々な気づきなのです。

 

どんなにスピリチュアルな理想論や、究極ワンネスの愛を論じても、

自分自身が

 

『この人こそ!!』

 

と思える人との関わりの中でしか、自分自身を省みたり、感情に向き合ったりすることなんてできないんです。

一体、人は人生の中で、何人の人に「本気」で向き合うのか。

 

 

相手がどんな立場の人であれ、既婚だろうが、未婚だろうが、

“本気”になればこそ、心も揺さぶられるし、感情も吹き出すし、どうしていいかわからなくってパニックになったりするわけじゃないですか。

その渦中にいるからこそ、どうにかしたい、なんとか自分が納得できる何かを現実の形にしたいと、もがくわけじゃないですか。

 

先に「ツインソウルかどうか?」気になる気持ちは

もちろんわかりますよ。けれど、「ツインソウルかどうか?」と

いうことよりも、今の瞬間に“本気になれる相手”に、どれだけ

自分が真剣に向き合うかがすべてでしょう。

 

『結果的に“ツインソウルである”とお互いに思う』ということが、

到達点だと体験から言えます。

 

出会いは始まりなんです。

 

 

『ツインソウルはいません。』って文字を目にした時に

 

だから何なんですか?と僕は思うんです。

 

あなたの創造する人生の中ではそうなんですね。

というだけなんですけどね。

 

 

『ツインソウルの見分け方』って文字を目にした時に

 

だから何なんですか?と僕は思うんです。

 

自分の理想の相手なら相手にするけど、

  そうでなければスルーします。ってことなのかな?とか

自分自身がもうすでに“完成形”って思っているわけですか?って。

 

“見分けよう”としているその姿勢が既に傲慢なんだけど、傲慢なことに気づかないのでしょうか?って僕は思うんです。

 

 

縁あって関わった人、その人に自分が本気になったのなら、今この瞬間の自分の思いを大切にして、それと同じように(だって相手は自分なんだから)、相手の思いが一体どんなふうに動いているのか必死に感じ取ろうとして、その中で人は心に触れ、魂が磨かれ、輝きを放つんじゃないですか。



レムリアの時代は全ての人が両性具有だったんです。そして、『自分の欲求を満たす』ことが、そのままほかの人たちのことにつながっていたのです。しかし、それでは他者を理解する、ということが体験できない。それゆえに男性、女性といわば両性具有者からしてみるとまさに“両極”である、二つの性へと分離したわけです。

これは、罪でも罰でもなく、より高い次元の霊性を体験を通して実感し、経験するためだったのです。

 

しかしながら、その分離の喪失感、完全であった自分が不完全になった、というギャップ・・・。
そういったものが魂の深奥に傷を残してしまったのです。

 

 

 

そもそも魂的には、誰の内側でも「ツインソウルとともにあった」という両性具有者の記憶が残っているわけです。そして、最初は分離は痛みとして感じるのです。だから自分の内側にツインソウルがいるわけだから、自分と向き合っていくだけで完結という思いや考え方もよくわかるんですよ。

 

 

だってね、長い歴史、時代の流れを見ても男尊女卑の時代が長く、女性性と調和して協力するのではなく、女性の力を封じ込めるような男性の傲慢さ(実はこれは女性性に対する男性性の恐れからなのですが)が、特に今生女性で生まれている魂の奥底に深い傷の記憶をもたらしているのですから。

 

 

今の時代、女性が感性を解放して、魂としての自分に目覚め始め、自分の力を取り戻してきているんですね。その中で、男性はと言えば、過去の男尊女卑の魂的な記憶の傾向が残っていて、プライドや男としての立場、にしがみついてしまっているわけです。なので、男性が女性に愛される。男性が愛を受け取る。ということが困難になっているところもあるのです。

 

 

そこで、男性へ向けて自分の思いを放ち、愛を向けたけれども、相手が気づかない、というようなときに、女性側の傷ついた記憶が吹き出してきて、結果的に「なんだ、男ってわかんないんじゃん。」みたいな、失望や落胆を感じたのち、“男性を見下す”立ち位置に入っていってしまうのも、わかるんですよ。
(これから出会おうとする場合や、相手と関わろうと必死に取り組んできた場合ね。)

 

あともう一つは、魂的な女性性の傷、つまり男性に虐げられてきた魂の記憶が強く、今生に影響してしまっているケースなんですけどね。

 

無意識に「男性をライバル視してしまう」というところが出てくるんです。すると、女性が自分の力を取り戻していく過程の中で、男性との調和ではなく、男性と張り合い、見下す形になって、内側の両性具有の記憶(ツインソウルの記憶)で完結していると錯覚してしまい、結局は『男性と関わらない方向』へと突き進んでいくのです。例えば、自分の霊性が高いと思い込んでしまうとか、自分の次元が高いと思い込んでいるから相手には理解できないとか、いうふうに。

 

なのでね、したり顔で全てを知ったような物言いをして、自分が傷つくこと(男性と関わること)を恐れるがあまり、安全地帯に逃げ込んでしまう場合もあるのです。

 

「安全地帯」にいる。ということは、誰にも触れられないところにいるってことですからね。

 

 

そしてまた、相手が本物かどうか?見定めたいという思いはよーくわかります。

誰だって傷つきたくはないから。

『本物なんてない。』って、言い放ってしまえば、周りの人たちを鏡に、自分に向き合わなくても良くなるってこともわかりますよ。でも、それは自分を大切にしている、といういうよりは自分の本心から目をそらしてごまかすことなんですよ。

 

 

「自分が傷ついた」と思わない限り、人は傷つくことなんてできない。

ただ、傷ついたと思ってしまうことがあるんです。
勿論僕もです。

 

 

『ツインソウル』との関わり、

そのプロセスの中で、魂の奇跡、魂の魔法がかかるんですよ。

 

 

今、本気で相手を想う自分の思いに、もしも、自分に対する嘘やごまかしがあったとしたら、それを一点の曇りもない自分の真実が見えるまで、磨き上げていくだけ。これだけなのです。

 

 

厳しい話になったかもしれないけれど、僕が思っていることです。

 

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