聖なる関係 続「2」 | ツインソウル夫婦が贈るツインソウル・ヒーリング®︎、過去生ツインソウル・メソッド®︎&パワーストーンPrimaria☆Stone
体験してきた方が読むとしっくりくるでしょう。

実際に2人の関係に起こる事だと。

続き


私たちの心理学的自己は、はがねの合金から作られた刀のようなものである。
初期体験の形成的圧力のもと、私たちは幼少期に灼熱の溶鉱炉で鍛え上げられた。
この人生の初期にこそ精神的要素が確立する。
そして鋼鉄と同じように、それは激しい熱と圧力によって形作られた。
押さえ込み、あからさまな敵意を持つ破壊的な両親などにより、虐待された者もいる。
援助も忠告もなしに放っておかれた者もいる。
そしてすべての親子関係はこの二極間のどこかに当てはまる。

インナーチャイルドに関する数多くのワークショップが開催されており、
幼い自分自身に遭遇することは確かに価値のあることだが、
それは楽しいことばかりではない。
私たちの社会的神話では、幼年期は純真な時期であり、
子供たちにとって世界のすべてが完璧な時期とされている。
これは少数の子供たちにとっては真実だが、
大多数の子供たちにとっては決してそうではない。

私は何年か前、セラピスト仲間のホーム・パーティーに招かれたときのことを記憶している。

その場に集まった大人のほとんどはセラピスト、心理学者、精神科医や医療福祉関係者だった。

私は大きすぎるソファーにどっしりと腰を下ろし、

アイスティーを飲みながら、ある注目すべき出来事を目撃した。

あるセラピストが彼の息子と息子の親友をパーティーに連れてきていた。

二人の男の子が大の仲良しであることは明らかだった。

彼らはカードゲームで互いに礼儀正しく順番を守って遊んでいた。

インチキをする気配はまったくなく、

二人はまるで美しい友情という泡の中に包まれているかのようだった。

そこに男の子の父親が現れ、二人に何か必要なものがないかと尋ねた。

二人は天使のほほ笑みでその父親をみあげ、「大丈夫だよ」と最もかわいらしい声で答えた。

父親は去りながら息子をほめると、何気なく息子の友人も同じようにほめた。

その瞬間、彼の息子はその出来事を絶望的恐怖で見つめていた。

彼が自分の目の前で起こったことを信じられずにいるのがはっきりとわかった。

そして父親が角を曲がって別の部屋へいってしまうと、彼の息子は親友の顔を叩いたのだった!

これは幼年期の純真さではない。

これは幼年期の激怒である。

この息子は父親の愛情を、たとえ親友とであっても分かち合うつもりはなかった。

このような嫉妬心は高等動物に典型的なものであり、

独善的で自己満悦の妄想をしている私たちもまた、哺乳動物なのである。

どれだけ霊的に成長しようとも、生きている限り私たちは哺乳動物と兄弟姉妹の習性を分かち合うのである。

子供の内面生活は、周囲の人々が想像するものとはかけ離れている。

危険とチャンスの両方に囲まれ、子供の心理はあらゆる出来事に対処するための選択肢によって、直接形成されていく。

精神錯乱の親や幼児虐待者などの命を脅かすようなことであっても、

誰とプロム(高校、大学などのダンスパーティー)にいくかというような無害なことであっても、ある意味かまわないのである。

生きるための戦いの衝撃は、子供が大人になるまでその心理行動に刷り込まれるが、

誰とつき合うかというような人生の小さな選択もまた、影響を与える。

大小すべての選択が内面に心理的な熱と圧力を作り出す。

その人の個性の合金が結合するか、または焼き払われる。

私たちが大人になるころには刀は鍛え上げられ、個性の合金は固まるのである。

この幼年期の溶鉱炉から鋭い刃を持って出てくる者もいれば、

鈍い刃を持って出てくる者もいる。

その刃を抑制できる者もいれば、決して抑えられない者もいる。

鋼鉄というのは、いったん溶鉱炉を離れると原型を保ち続ける。

そして鋼鉄の形が変わるのは、その鉄が打たれたときと同様に熱せられたときである。

続く