集団的自衛権でさらに安全になる!~そして歴史は「誇り」になる・編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

ヘローです。


 何だか最近世間で色々あり過ぎてブログなんて


更新している暇なんてないような、なんて「嘘」の言い訳でも


でそうなぐらい「やる気」を無くしているあっしです。


 というか、脱力ですな。



 なんか最近あっしが幼少から成人、大人になるまで


過ごしてきた国と、今のこの国は「別モン」じゃないかって


思ってきました。


 あっしは何度となくブログで匂わしてきましたがね、


政治イデオロギーには興味ないんです。


 興味がないというのはノンポリであるという意味や、


「ロック的勘違い」のアナーキズムとも違うし、


はたまた70年代、80年代の、「夢想のコスモポリタン」に


あこがれてるわけでもありやせん。



 ただ「不合理的」なものに興味がないだけなんですな。



一人の政治家なり、人間なりが、たとえば、右であれ、左であれ、


どっちの立場でいようと、それは「政治信条=政治心情」ですから


あっしにはどうでもいいんですよ。



 ただし、「実際の政治」は一部の人間の「心情や信条」で


やられちゃたまらんというのがあっしの「立ち位置」。



 で、実際あっしのような「立ち位置」が戦後の日本の社会の


大勢であったような気がするんですよ。



 教育も社会も文化も。


判りやすく言えば、たとえば、大衆文化の中を見ると、


日本だけでなく世界的な評価を受けた映画監督の


黒沢明にしても小津安二郎にしてもその作品性は、


そういう雰囲気の中でそういう雰囲気を否定することなく


生まれてきたわけで、


 あっしが幼少に影響を受けたウルトラシリーズもそうだし、


ビートルズや洋楽、音楽の世界もそういう雰囲気の中で


欧米文化を受け入れ、また日本独自に


発展していったわけですよ。


 ま、これは別に事さら特別な見方ではなくて当たり前なんですが。


 だってね、その国の文化がその時々の時代の雰囲気の


影響を受けずに出てくることなんかないんだから。


 いや、むしろそういった社会的雰囲気がそれらを


押し上げていったとも言えるし、それもまた真でしょう。


 大事な事はね、日本の、アニメも含めたそういった


世界に名だたる評価を受けている大半の大衆文化は、


みんな「戦後日本のオリジナル」ですよ。


勿論細かい事を言えば、


それらの大半は西洋文化からの剽窃から始まったわけで、


その剽窃を見事に「日本オリジナル」に昇華させる力が


日本にあった、と



 で、それって「自虐」なのか。



これらも「ダメな日本から生まれたもの」なのですかね。



 もしこれら「ダメじゃないなら」、「社会もダメ」じゃないでしょう。



繰り返しますが、



 だって文化も社会も不可分ですから。



思い出せば、戦後50年、1995年辺りから、


自民党中心に始まった「戦後はダメ、自虐歴史観で日本がダメになった」キャンペーンが始まり、


 はじめは「冗談」かと思っていた、その流れが、



とうとう、約20年後には


立憲主義を標榜する民主国家の政治家が、


「解釈改憲」を行えるまでになったわけですよ。


時代が変わったとか、国防観が変わったとか、



   ああだ、こうだ言ってもね、アアタ、


立憲主義の国が与党の判断で、勝手に憲法解釈


(いや、本当は解釈じゃないんですがね。日本の憲法をどう斜め読みしたって集団的自衛権なんて出てこないですから)、



 そんな事がOKなら、もう「法治国家」じゃないですがな。



 しかるべき手続き(憲法改正)を無視しての行為は、


これは確実に後々禍根を残す事間違いないでしょ。



おまけに、「解釈改憲」を閣議決定した時の総理の言葉が、



「集団的自衛権でもっと安全になる」とか。



あっしはこの話を聞いて、「学生時代のある友人」を


思い出しましたね。


 彼、ダイエット食品は「食えば食うほどやせる」と


勘違いしていたのか、


三食の合間にダイエット食品を大食いしてたっけ。


結果は、言うまでもなく、一か月で大デブから超デブに変身。



マックでビッグマックを2個食べた後に、


カロリーメートを10個くらう彼見て、


 あっしも、こいつは「人として間違っている」と思いやした。



間違ってるでしょう?


 食えば、食うほどやせるとか。



 ま、彼の話は極端にしても、


世の中には、「食べながら痩せる」とか、「運動しなくても痩せる」


とか、「間違った話」が横行してわけで。



 それと同じですよ。


「集団的自衛権で安全性か増す」なんて事は。



 頭を冷やした方がいいですよ、賛成している人は。



人が死ねば、「子供を行かしたがらない」のは、


「みんなが大好きな戦前も同じ」だったんですよ。



だからこその「言論統制」であり、


「国民非主権」だったんじゃないの?



 みんな、「誇りある歴史」を振り返りましょうって、


自虐とかそんな枕言葉はどうでもいいから、


「誇りある歴史」をね、大事にしましょうって。


100年以上前、この国の近代は、


「江戸時代の韓流(=朝鮮通信使)」を捨てて、


朝鮮半島蔑視から始まったんですよ。


朝鮮半島蔑視から日清、日露という、司馬遼太郎の言う、


「誇りある正しい戦争」が始まったわけ。



 で、今は? 2014年の日本はどうよ?


歴史にならって、さあ、


「誇りある正しい戦争」はこれから始まるのかいなか。



これが「脱力」の正体なんですよ。


だってね、気持ち悪いわけですよ、何がって、


頭の中が。つまりね、


 こんな流れをあっしの中でどう整合させるるか。


こんな世の中を子供にどう整合させて話すのか。


難しいっていうか、無理くさくて、もう何がなんだか。



  ならもう「やせる」しかないのか。


明日から三食ガンガンに食べて、


食間にはカロリーメートをガンガン食べて、


「やせる」しかないのか。



 垂れた胸と突き出した腹をさすりながら、


カミさんに向かって、


「俺努力してるから! 俺頑張ってるから!」と、


泣きつけば救われるのか。



 のわけねえだろうと、


ぶん殴られますわ、カミさんに。



 ナンチャッテ……。




こうくると、

またオチはナンチャッテかよ、とお思いの方も多いでしょうが、



そんなあっしのいつもの駄文にあい失礼。


 だどもね、平和を望む気持ちはリアルで真実でんがな。


そんな気持ちを込めて、今日は最後に


「小保方さん、ファイテン!」


じゃなかった、


「日本がこのままずっと平和でありますように」、と



祈りの言葉でしめたいです。



ではでは。






たとえば、