ポールじいさんの病欠と息子の「ヘイ・ジュード」~さよならジョン・レノン・編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

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独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 ヘローです。


また日が開きました(こればっかで失礼)。


 少々遅ネタですがね、


ポール・マッカートニー大先生、結局日本公演が


すべて病欠になりました。


 こんな事を書くと、


「えっ? チケット持っての? そりゃ残念だったね」


とお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、


ご安心ください。一枚も持ってやしぇん。



 とは言うものの、前に書いたかどうか、


あっしも「遅れた世代」ではあるものの、


ビートルマニアでした。


でしたというのは、最近すっかりフォローをしてないからですが、


それなりの「マニア」だった事は確かでんねん。


 ポールのコンサートも、90年、93年と


一応二回は東京ドームへ行ったっけ、と思い出しつつ、



 病欠のポールの歳が71歳と聞くと、


ああ、もうそんな歳なのね、としみじみホント思いますわ。


そりゃ病気にもなるわ、と。



 でもって最近、中学生の息子が学校の英語の授業で、


「ヘイ・ジュード」や「オブラディ・オブラダ」なんて、


ビートルズの歌をやるもんで、


 興味も持ったらしく、あっしに色々聞いてくる。


 「おお、息子もやっとそんな歳になってきたか」と、


あっしも内心喜んでいた、と。


NHKのニュースなんかにもコンサートキャンセルの


報道なんかが出て、それを見て、


「ポール病気なんだって?」


 なんて目を見開いてくる息子に、


ビートルズの歴史やら、メンバーの人となりを話そうとした矢先、


突然ふと頭によぎったんですわ。



 何がって?


 ポールの相棒のジョン・レノンの事が。


  そして脈略もなく思ったんですな、


レノンが生きていたら、


 今の日本に来ただろうか、と。


ポールより2歳年上のジョンは生きていたら73歳の筈だけど、


ま、それはそれとして、


ポールが今回来日した際に見せた、


日の丸Tシャツの姿で手を振るなんて事を、


ジョンならしなかっただろうと。


もとい、ジョンなら今の日本へ来て、


コンサートもしなかっただろう、とも。



 ま、ここであえて注意書きをするとですね、


あっしは別にジョンやビートルズを


神格化しているファンとは違んですがね。


もっとも10代から20代前半まではレノンにかなり傾倒していた、


ちょっと「青くさい歴史」はありましたねん。



 ジョンの平和運動は、


 ジョンがビートルズとして、伝説のロッカーとして、


一人のソロミュージシャンとして、


音楽で勝負をしなかった裏返しのそれとして、


またヨーコの手のひらに乗ったそれとして、


20代後半からのあっしはあまり評価してないんでゲス。



だけど、だけどですよ、


なぜか今、そんな「青くさい平和」が懐かしい、


そんな「青くさい平和を訴えるヒーロー」が懐かしいでゲスヨ。



そんな事も、あっしからビートルズやポールの話が


出るのを期待して目を輝かせている息子を前にして、


頭によぎったんですよ。


 いや、一瞬にして一瞬頭に充満したというべきか。



 いや、レノンだけじゃないですよ、


ポールだってジョンに負けじと政治的な歌を歌った事があった。


でも二回ぐらいか。


ウイングス時代に、「アイルランドに平和を」、


80年代前半に「パイプ・オブ・ピース」かな。



 その後ポールは、9・11以降、


ジョンの「イマジン」が放送禁止になったアメリカで、


9・11の追悼コンサートが開かれた際には


「フリーダム」を歌った。



難民救済のチャリティーコンサートで「レット・イット・ビー」を


歌うセンスのあるポールが、


何でそこで「イマジン」をやらないねん!


 とあっしは思ったりもしたんですが。



  ろくにまだビートルズを知らない息子が、


「ジョンよりポールがいいな」って言う。


  おお、そうか、と思いつつ、


息子の世代はビートルズのファン的に何世代目なのかな、


とふと思うわけ。


 ビートルズが来日した時、あっしはヨチヨチ歩きの世代。


そんなあっしらが第二世代か第三世代か。


そんなあっしらでもうんと背伸びして、


「ジョンもポールもベトナム戦争に反対だったんぜ」とか、


「60年代のフラワームーブメントってすげえよなあ。あの時代に生まれたかったなあ」とか、


「ポールのシリー・ラブソングとか冗談じゃないよな、


やっぱジョンのインスタント・カルマだよ」とか、


「女は世界の奴隷なんだよ」とか、



ただビートルズやソロ作品を聴くだけでなく、


知ったような顔で「青くさい台詞」を友人たちと


飛ばしあっていやした。



 ああ、あの恥ずかしい、あの青い時代……。



 なぜ、それが今は懐かしいのか、



それはとってもミステリー。



新しいビートルズ世代になろうとしている息子の前で


そんなミステリアスな頭になってしまったあっしは、


ある決断をしましたね。



 息子が将来、ビートルズの歌を口ずさみながら、


「やっぱり集団的自衛権てあって当たり前でしょ」


なんて言ったあかつきには、



 あっしがあげたビートルズのCDも書籍も全部返してもらうと。



そう決めたあっしは握りこぶしをつくりながら、


息子に「ヘイジュード」の説明を始めましたね、


「いいか、ジュードってのは、ジョンの前妻の息子の


ジュリアンの事なんだよ。両親が離婚してしょげているジュリアンを


励ます歌なんだ。だけどな、発売当時は、ジュードがユダヤ人を


侮辱する言葉に似ているって抗議まで来たんだぜ云々」と、


 そしたら息子のやつ、興味なさそうにあくびしながら、


「ねえ、そんな事はいいから、オブラディ・オブラダって


どういう意味なの」ときやがった。



カッとなったあっしの答は、勿論、


「知るか!」


 これにてその日の親子の「楽しい」ビートルズ談義は終了。



  ちなみにオブラディ・オブラダは、ポールの知り合いの


コンゴ奏者かなんかの造語らしいけど真偽の程は知りません。


ポールはそれを「人生は続く」という意味で解釈してたとか。



 ♪オブラディ・オブラダ、ライフイズゴーオン♪



 まさに「人生は続く」わけです、あっしも息子も、


そしてこんなスッテンコロリンなブログをご覧になられている


ステキな皆様にも。


ではでは。