子供の自転車の話をするつもりが、前回と前々回は私の話で脱線・駄文が相変わらず長くて、我ながらしょーがねえなあ、と思っている次第。
さて、私の初めての子供、長男の自転車ストーリーなんだが、一番最初の子というのは、なかなかどうして力んでしまうもの。多分、その力みは、多少の差こそあれ、他の人も似たようなものなんだろうけど、
自転車についても多少力んでましたね、ハイ。
それは、子供が欲しがるから買う、親にせがんで買ってもらう、
という「俺達の時代」とはやっぱり違うって事もあるんだろうな。
私の親は両親ともに、「子供を自転車に乗せたい」なんて思った事はないというのは100%断言できる。
「子供が欲しい、欲しいとうるせえから買ってやる」というカンジか、
「周囲の子供が皆もっているならしょうがない」という、仕方ないモード80%ぐらいだったなのではないか。
友達の親も似たようなものだったと思う。
幼稚園の時、14インチに食指が動きそうになったけど、どうせ、すぐに小さくなるだろうと、年中の時にトイザラスで「トーマス」の16インチを買った.。
ウチのは何年も前の昔のヤツでちょっと違うけどこんなカンジのヤツ↓
- 上尾工業 きかんしゃトーマス 16インチ 幼児車 BAA適合 ブルー/上尾工業
- ¥19,800
- Amazon.co.jp
- で、買った日の事はっきり覚えてんだけど、思ったより喜ばなかったんだな。
- ちょっとショック。。。
でもって自分から乗れねえの、我が息子ながら「なんてヤツ」って思ったよ。
これが時代なのか! と空に向かって吠えてみたが、そんなことしたって息子が乗るわけないので、当時よく私ら夫婦でよく長い散歩に出ていたんだが、息子自転車、我々散歩というスタイルでよく出歩きましたねん。もうそこは無理やりね。はじめは気乗りしなくても、
乗れば乗ったで結構楽しんで走らすんだけど、こっちとしてはもっとハードに走り込んでほしいと思ったり。
「俺がガキの頃はよ、坂道をノーブレーキでどこまで耐えられるか、または自分の限界までスピードを上げて疾走したもんだ」
という「不満」が、安全運転しかしない息子を見るのつけしょっちゅう頭に浮かんだりしたけど、実際息子がそんなマネをしたら血相変えて止めるだろう、と即思いなおして、「ああ、昭和はもう遠いんだなあ」と何だかわけのわからん感慨に耽ったり。
ま、なんのこっちゃ、だね。
- それで一年くらいは、補助輪付きで乗っていたんだけど。
年長の時のある日、補助輪を外して乗らしたら、すぐに乗れてしまってびっくり。
私の子供時代には、なんかの本で、「20回も転んだら(補助輪なしの)自転車は乗れるようになる」なんて言われてて、私も何度か転んで乗れるようになったのは以前に書いた通り。
運動神経は「ぜんぜん」なのに、何で? なんて思って、これは今でも私の中の、「息子の七不思議」になってる。
運動神経と自転車は関係ない……!?
そう言えば、あのフィギュアスケートのオリンピックチャンプ、韓国のキムヨナも補助輪付きの自転車に乗ってCMの撮影をしてた覚えが……。
運動神経全然の息子がすんなり補助輪なしに乗れて、
運動神経抜群のオリンピックチャンプが補助輪付きの自転車に乗っている。
そこには何か相関があるのか。
あるわけねえだろ、と。
で、この「トーマス号」、補助輪外して、スタンド付けたり、ライトを前後に装着したり結構マイナーチェンジを繰り返したわけ。そうなると中々愛着が出てくるもんで(勿論息子じゃなくて私が)、なんとか6歳離れている二番目の娘の為に残そうとしたんだけど、
「やはり自転車は乗っていないとタイヤがダメになる」という近所の自転車屋のアンちゃんが言っていたように、まずタイヤがダメになったし、カバーを掛けていたものの、長い月日でボロボロになってしまい、最後は捨てるしかなかった。
今から思うと、きちんと写真でも撮っておけばよかったな、という後悔の念がある。何と言っても息子のファースト自転車なのだから。
私のファースト自転車なぞ、写真はおろか記憶にさえ残ってない。
それはやはり寂しいじゃないか。同じ事になれば息子だって寂しいに違いない。
で、最近中学生になった息子に「トーマスの自転車」の思い入れを聞いてみたんだが、
「ああ、そんなの乗っていたね」……だけ。
続けて、初めて補助輪なしで自転車乗れた時の事覚えてるか? 感動したとか、凄く嬉しかったとか、と聞けば、
「よく覚えてないよ、そんな昔の事。大体そんな事で感動とかする?」だと。
口にはしなかったけど、思わず心の中で、
「コノヤロー!」と叫んでした私。
一体私は子供に何を求めて自転車を買っていたのか。
その日はそんなことを深く考えさせられた日だったな。
結論なんて出る前に一杯飲んで寝ちゃったけど。
ではでは、まだ駄弁は続きます。