子育ては難しい(13)~ヤングウェイは永遠に編~ | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

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独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 さてさて、私の自転車話の続きだが、


 東京から引っ越してきて、「哀しい改造」ドレミ7を駆る日々が続いてた。


 ところ変われば、生活変わるで、大人も子供もこっちではどこへ行くにも自転車。


 東京から来た子供から見れば、街中に自転車が溢れている状態に見えたくらい。


 東京と言っても細かい場所で差があることを知ったのは大人になってから。

ずいぶんと自転車が乗る人が多いところもあるそうで。


 私の住んでいた場所(港区のあるところ)では、前回も書いたように子供で自転車を持っている人なんか数えるほどしかいなかったし、自転車に乗りたい人は自分で買うより、所謂「自転車公園」みたいなところで、自転車をお金を出して借りて乗る、なんて事が普通だった。


 「こっち」では勿論そんな公園はない。当たり前である。住民のほぼ全員が家に自転車、それも家族一台という感じでもっていたのだから。


 蛇足だが、昔を思えば「こっち」も随分変わった。車も増えたし、住民の交通手段のメインが自転車であることは変わらないが、自転車に乗らない子もいたり、ドレミ7ではないが、キャラクターデザインの自転車もよく見かける。


 誤解を恐れずに言えば、随分洗練されてきたのだ。


 私の時は、そうじゃなかった。


「こんなに自転車が溢れている街」なのに、そして「まだまだ仮面ライターのブームが続いていた」のに、街でドレミ7に乗っていたのは私だけ。


 当時ドレミ7がどれだけ売れたのか知らない。


 しかし、「こっち」と東京の「子供の自転車の中のドレミ7率の差」は歴然としていだろうと思われる。


 東京では、数少ない子供の自転車の中に結構ドレミ7があったのではないか。


 60年代~70年代、まだ日本が貧しかった時代、例えば地方で初めてベンツに乗った人なんか、よしあし別としてそれなりの羨望の眼差しを浴びたと思うが、


 同時代、「こっち」で一台しかないドレミ7に乗っていた私は、周囲の子供中から「バカにされて」いたから堪らない。


 ま、ドレミ7とベンツを比べたってしょうがない、のは分かってんですがね。


 ちなみに我が、3台目の自転車、親に何度も拝み倒して、約半年の交渉の末、小5になって買ってもらったのが、


 ブリジストンのヤングウェイという26インチ、5段変速、セミドロップ、ディスクブレーキ、トリアルタイヤという当時は「サイクリング自転車」と呼んでいたシロモノ。色はシルバーとブラックがあったらしいが、私のはブラック。


 初めてこの自転車を手にした時の感激感は、ドレミ7の時の感動より、より大きく、またよりリアルに覚えている。


 すでに友達達の中では、小4ぐらいからギア変則付きサイクリング車が主流になっていた。私の18インチの改造ドレミ7はすでにボロくみすぼらしくもなっていた。


 見てくれだけじゃなく、野球とかで集団で移動する時など、軽快に走る友達達の大きな自転車の中で一人、サドルを目いっぱい上げた18インチの改造ドレミ7で、皆についていこうと汗だくになってペダルを踏んていた、あの苦痛から解放されると思うと、それだけでも涙が出るほどうれしいってものだった。


 TVも他のおもちゃも遊びもいらない。ただ自転車に乗っているだけで楽しいと思えた日々がそれから数日、数週間続いた事もはっきり覚えている。


 そんな我が、ラブリーなヤングウェイも時間の経過とともに、


 壊れては直しの繰り返しで、ギアはいつしか、一番重い(早い)1段に固定され、ほどなくギアチェンジもできなくなり、トリアルタイヤもなくなり、デイスクブレーキも利かなくなり、元のライトもなくなり、その他なんやかんやで原型をとどめない形になっていった。


 中学からは、自転車でどこかへ遊びに行くこともなくなり、我がヤングウェイは自宅と駅を往復するだけの通学自転車になりさがっていたが、愛用であることに変わりはなかった。


 周囲では、小学生の時にサイクリング車に乗っていても中学、高校になれば、大半が所謂「ママチャリ」に乗りかえる中で私は、壊れたら直し、壊れたら取り換えでずっと乗っていた。もとい、買いかえる気など起きなかったのだ。


 だが、そんな愛車とのお別れの日は高3のある日唐突にやってきた。学校からの帰り途、駅から降りていつもの自転車置き場に行ってみたら、無くなっていた。


 「よりによってあんなボロ盗まなくてもいいだろうに」と思って、それでももしかどこかにあるかもとその日と次の日に駅の自転車置き場を探しまくったが、結局見つからなかった。勿論哀しかった事は言うまでもない。


 人間の思い入れというのは、「引きずるもの」で、あれから何十年も経った今でも、


 「あの自転車どこへいったのかな」と思う時があるから不思議だ。


 執着も悲しみも、盗まれた怒りも、もはやあるわけもない。


 ただ、どこへいったのかな、と思うだけである。


 つまりは、あのヤングウエイの自転車はまだ私の記憶の奥底で、


「私を待っている」のかもしれない。


 思えば、私はそれ以来、自分の自転車を持った事がない。


 そのことが、逆に私と私の自転車たちの「思い出」の距離感を遠くさせなかったのかどうか、それは分からない。


 でも、確実に言えるのは、私の幼少時代に、心身共に自転車の占めるスペースは大きかった事だ。


 それ故、今、「自転車、いいなあ」と思っている子供達に私は完全に感情移入をできる自信がある。


「そうだろう、自転車っていいよな」って。


 また、「自転車、いいなあ」という感情が自分の子供に、別に強く「せがまれてもいない」のに買い与えているのも事実だ。


 ところが、ウチの子供たちには、「自転車に対する思い」が無いんだな。


 ホント、全くないんだ。呆れるぐらい。


 「何でないの?」という親の空振り三振感を埋める為に、もといその疑問を考察するためにこの項を書いている次第。


 でもまた、今日も駄文続きという事で失礼。


 ではでは。