子育ては難しい(4) | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 昨日は私一人の練習。メニューは大体、腕立て105回、腹筋50、背筋50をしてから逆スト、ストレッチをして、アップチャギ(前蹴り)、ヨプチャチルギ(横蹴り)、トルリョチャギ(回し蹴り)、ネリョチャギ(踵落とし)、パンデトルリョチャギ(後ろ回し蹴り)の練習をして、ここまでで大体40分。そして仕上げは外へ出て、ウォーキングを10分あるいは20分、2.8kmのランニングをスロージョギングで27分から28分かけて行う。息子と一緒に練習する時は、外へ出る前にミット蹴りを行うのだ。


 ズブの初心者を効率よく教える「システム」になっていない道場に息子を通わすために始めた「なんちゃって独学テコンドー」も気がつけば、もう3カ月である。ここに来て、テコンドーに対する知識の整理も大分進んで第一段階の練習メニューが整ってきた感がある。


 後は、これで上手く体重が落ちて、首腰の痛みがとれて、持病が再発せずに進めば、次の段階に入れる筈である。あれだけしつこかった首と腰の痛みがテコンドーのトレーニングですっと消えて、となればどんなにいいだろうか。だが、こちとらアラ50&デブの身、病的な痛みは治まってきたが、今度は疲労性の痛みが出て難儀になっている。


 運動すると「痛み」が出るというのを私の場合30代後半から感じるようになった。持病が発生した40代前半には、運動もろくにできず、たまにやれば、病気の悪化とともに「苦痛」が増強する始末で、運動をする勇気も出なかった時期もあった。


 運動をしないとすぐ太る体質の身体もまた恨めしく、完治しない病気を抱えてこのままデブ路線かな、と諦めていた矢先の「なんちゃってテコンドー」。


 身体は軋んでいるが、アラ50&デブのこの身でも、きちんと理論立てて練習すれば、まだまだ蹴りが上手くなりそうで、そこは何だか少し「楽しい」のだ。


 昨日できなかった事が「今日できるようになる」。それが他人はおろか自分から見ても、微々たるものであってもいい。


 目標は前に置くのではなく、横に置く。そんな事を私がこの先もずっと続けられて、尚且つ、この事を息子にも伝えることができたら精神的な部分での親の役割は大体終わりと私は考えいるのだ。


 また脱線が過ぎましたな。さて、子育て話の続きです。


 幼少の頃運動神経がよくて、器用だった私、小学校の頃は6年生を除いて当然のごとくリレー選手(6年の時は中学受験でデブに進化してしまい足が遅くなってしまったのだ)。妻も子供の頃運動が得意で、リレーの選手はこれまた当然で、中学の時は陸上部でも鳴らした程。


 そんな一年生夫婦が我が子を前にして、「この子はきっと運動神経がいいぞ」と信じていたって、さもありなんでしょう。


 幼稚園に上がる前から一緒に遊ぶ時間を多くして、足腰を鍛える為によく散歩にも出たし、年中からはスイミングクラブとサッカークラブ、自転車も補助輪を外して……でも何か、運動のセンスがないんだな。そこそこやるんだけど、活発に自分からチャレンジするタイプじゃない。幼稚園でも1月生まれも原因なのか、ほかの子供についていけない部分も多く、よく先生を困らせるとは妻の弁。


 もしか近年騒がれている注意欠陥多動性障害なのか、とも疑ったり。


 しかし、家でよく観察すると、ひいき目じゃなく、どこをどうみても「正常」にしか見えない。日常子供と接している妻は、幼稚園や公園で他人の子との「差」をつぶさに見ているから、こちらが大丈夫だと言っても、中々納得しない。そうこうしている内に何だかこっちも不安になってくる始末である。「ええ? おかしいのかなあ……? マジ? 嘘だろ?」みたいな。


 兎に角、その頃には他人様の子供が全て優秀に見えるという、「こんな筈じゃないだろう」状態に深く陥ってたわけだ。


 そんな悪い時には悪いことがよく追い打ちかけてくるのは人生の常でよくあること。ある日の幼稚園での父母の集まりの時、担任の先生(なりたての20台そこそこので、こちらから見ると男の子にしかみえない)が、会がお開きになった後に妻を呼び止め、


「●●君(息子の名前)は、おかしな子供だから何とかしてください」とぬかしたわけ。


 妻は予想もしていなかった「口撃」に絶句するしかなかったという。


 そう、人間予想もしない言葉(=暴言)を予想しない立場の人間から言われると固まってしまうもの。この時の妻の胸中を察するにあまりある、というもの。


 さて、また長くなりました。続きは次回へ。