子育ては難しい(3) | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 昨日は日曜日。天気もはっきりしないので外にも出ず、夕方からまた息子とテコンドーの練習をした。アラ50&デブ親父は、土日の基本練習はしない。理由は簡単で、身体に無理がありすぎるから、でも基本練習をしないと当然蹴るのが怖い。身体が軋むからだ。そんなわけで今日は息子の練習だけにした。


 やる事は多いのに、前回の練習でやったことを確認していくとどんどん時間が経ってしまう。身体が固く、どちらかと言えば運動センスに欠ける息子においては、この確認の作業でまた新たに修正が何度も入るからメニューの進みが遅くなる。


 不器用な者にものを教える作業は、大学、大学院時代散々やってきて私の最も得意とするところと自負しているのだが、理論を整理してあげると割とスムーズに理解して先に進む学問の世界と違って、運動関係は、頭の反復だけでなく身体で覚える為の反復練習が必須であるからセンスのないものは「身に着くまで」じっくり時間を取ってあげなきゃならない。そんなわけで、焦らないように、といつも自分に言い聞かせせながら息子の練習を見ている日々だ。


 さて、またまた子育ての話の続きである。今日は自分の幼少期の話から入ろう。


 実際に、「嬉しい」長男を授かってから今まで何度自分の子供時代を思い返したろうか。私は今から考えると、自分で言うのもなんだが、「少々出来る子供」だったと思う。


 子供の頃の私は父親はおろか、母親にだって遊んでもらった経験がない。父親には旅行だって連れて行ってもらった事がない。そんな私は、クラスメートが父親に、やれ野球だ、やれプールだ、海だ、と遊んでもらっている話を見聞きしながら途方もなく羨ましくてしょうがなかった。


 負けん気だけは強かったので、野球にしてもサッカーにしても、仲間内でやる時は、「大人に教えてもらっている羨ましい経験者」に負けじと張り合い、例え勝てなくても、そこそこ張り合っていたものである。


 当時は自覚がなかったが器用だったと思う。正しいか正しくないかは別として子供うちでやる運動やスポーツは、一度見れば、大抵な事は真似できた。


 器用だったなと思う一番分かり易い例として「プロレス話」がある。

 実は、私が幼少の頃一番好きだったスポーツは「プロレス」だった。プロレスがスポーツかどうかは別として、兎に角プロレスが好きで、アントニオ猪木の大ファンだったのだ。テレビが家に一台しかなく、録画なども出来ない時代、しかも屈強な姉達とのチャンネル争いをくぐりぬけて、一瞬だけ垣間見れるアントニオ猪木にいつも痺れていたあの頃。


 そして、私はプロレス技を覚えるのが兎に角早かった。プロレスを知らない人にはさっぱりだと思うが、「コブラツイスト」だの、「卍固め」、「リバースインディアンデスロック」等、どんな複雑な技でも大抵は一度、二度観ればすぐに覚えて実践できたのだ。


 金曜日の夜のプロレス番組を観て覚えた技を翌日の土曜日の学校で、友達に、その効果のほどを試すのが私の小1から小2までの週末の日常だった。

小3からはとうとうほとんど覚える技がなくなってしまい、今度はプロレス雑誌を見ながら覚えた技のさらなる研究に勤しんでいた程だった。


 大人からは呆れられるばかりで一切感心されなかったが、小学校の友達からは「何でそんなにすぐに覚えられるの?」とよく感心をされたものだった。 
 

 プロレスは所詮プロレス。大人の一般社会からはネガティブな視線しか受けられなかったのは当時も今も同じ。


 故に高校大学と進むつれ、こんな「プロレス技エピソード」を披露すると、友人達から、「くだらない奴だったな」と笑いものになったが、ま、私も「ウケ狙い」でこんな話をしてた次第。


 そんな「イケてないアローンな」幼年時代を過ごした私が、生まれたばかりの長男を前にして、


  「パパは全部一人でやってきて、そこそこの楽しみしか得られなかったけど、キミはパパがバッチシ基礎をアシストするからパパよりもっとハッピーになるよん!」


 と意気込んだとしても、決して責めらる話じゃないと思うんですね、ハイ。


 また駄弁が長く続きました。続きは次回に。