子育ては難しい(2) | 白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

白帯以前素人による「なんちゃってテコン島」

独習しているテコンドーや子育てその他感じた事等駄弁を色々書きます。

 昨日、指導員と衝突してから初めての練習日。私はもう見学に行かないというか、もう行けない。約三ヵ月間の見学で大体やることはわかっているので、おおまかな「なんちゃって私の方法論」に新たに加わる事はないだろうが、子供の現場での進捗状況や他者との連動を見れないのはちと残念ではある。だが、元々「足りない部分」が多い自宅での「なんちゃって道場」。不足部分が多少増えたと思えばいい。


 送迎をしたのは妻。帰りの車中、「今日は型を丁寧に教えてくれたよ。いい先生だよ」と息子は言ったらしい。それを聞いて一安心。そう、子供はそれでいいのだ。先生に好感を持つことは「社会への扉」である。


 だが、型の練習はともかく、蹴りの練習は、やはり基礎講義なしの「やってみろ方式」だったという。ま、そこは当然そうだろうと予想通り。


 息子が道場に行く前には、勿論「なんちゃって道場」で練習させた。息子の体はアラ50&デブ親父より固い。それをここ1カ月逆ストとテコンドーストレッチ(教本に載っているやつ)で大分ほぐしてきた。まだまだだが、やるたびに効果がでているのが分かる。そして、ストレッチの後は蹴りの練習。道場では指摘どころかレクチャーもされない基本蹴りのフォーム、特に軸足の回転をきちっとチェックしながら反復練習をしていく。蹴りも大分上達してきた。やはり初心者においては何事も基礎の課題を反復する事が上達の一番の近道だ。それは運動も勉強も変わらない。上達者や経験者の中に混じって、今日はこれを練習し、次はまた違う事、その次はまたまた違う事、では、とてもじゃないが初心者が正常な時間で上達するのは無理だろう。自明の筈だが。


 と、前置きが随分長くなってしまったが、「子育ての話」の続きである。


 息子のテコンドー指導者が先日私に下したレッテルは、大まかに要約すると所謂「何もわかっちゃいないくせに子供にクチ出し手を出すバカな教育パパ」という事だった。


 このレッテルで私が同意できるのは、「バカ」という部分だけである。そう、私は確かに「バカか利口か」と問われれば、間違いなく「バカ」の部類に入る人間だと思っている。バカを自覚している故に、何事も誠意と努力を重ねる事を信条としている小さな人間である。これは皮肉でも嫌味でない私の中の真実である。


 では、彼が下したレッテルの内容が、これまでの過去を振り返って一度も私に当てはまらなかったか、どうかを問われれば、そこはやはり「そうではない。そんな時期もあった」と答えざるを得ない。


 長男が3歳か4歳の時期、確かに私は「バカな教育パパ」であったと思う。今から10年位前の話だ。


 皮相的な教育論で事足りると思っていた「頭でっかちでうぬぼれ屋」だったあの時期。今から考えれば、そんなバカ親父の現実を壊してくれたのは、まさに自分の息子だったんだから、そこは息子に感謝しなきゃならないんだろうな。ちょっぴり癪だけど。


 長くなりましたね。では、続きは次回。