「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月9日(金)

 

森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第3節「世界観としての『易』の特質」の3回目で、「易」がもつ根本的特質の三点を掲げています。

 

先に「三易」という語によって、易の世界観の根本的特色が表現されていると言ったが、その第一の特質というべきは、その「簡易」性の顕著なことである。即ちその世界観を構成しえいる根本原理は、結局陰・陽の二種の根本原理でしかないのである。しかもこの二種の根本原理の配合というか、組み合わせの可能的ケースは、実に六十四種の型を創造しているわけである。

 

そもそも根本原理というものは、その数の少ないことこそ、その意義があるというべきである。その上、かかる異質的な根本原理が単に異質というだけでなく、陰・陽という全く正逆の根本原理として立てられていることのもつ意義は深いと言わねばなるまい。

 

いわんや根本的に質を異にするばかりか、互いに正逆な対立関係にある二大根本原理が立てられていて、それ自由自在にその組成様式上に変化と転換が行われるということは、この無限に複雑多端にしても、多次元的な現実界を解釈する上で、最も卓れた長所を包有している、一種独特な世界観類型かと思うのである。

 

その根本的特質としては、(1)根本原理とされるものの数種並びに数の少ないこと(易簡性)、

(2)いわゆる根本原理と称されるものが、陰・陽という全く正逆の異質性を象徴している根原理だということ、(3)それでありながら、その組織の可能性が無限に自由で、如何なる意味においても、そこに凝固固定の恐れがないことである。

 

最後に念のために一言を要するのは、以上の見解は、「易」の思想を一個の世界観体系として、そこに内包されているものの本質的構造を、わたくし自身の“いのち”の自証光に照らしつつ、そこに内包されている“いのち”の内的本質的構造として考察したものである。

 

もし「易経」と呼ばれる古典的経典によって、六十四卦の形式的組織に呪縛されたとしたら、“いのち”の自証展開として、これを了会することは容易とは言い難いであろう。

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月8日(木)

 

森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本書は心情的な日本人にふさわしい哲学としての「全一学」を提唱する書でもあります。本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第3節「世界観としての『易』の特質」の2回目で、「易」的世界観とライプニッツ華厳的な世界観構造とは、どのような相違があるかを説いています。

 

「易」の世界観の根拠になっている根本経典は、易経・周易さらには単に「易」と呼ばれるが、その内容を為しているのは、陰陽の二原理を示す象徴的な符号であって、それを「卦」と呼び、これら陰と陽との組み合わせによって、六十四種の卦が成立するわけで、それには一語を以って名辞がつけられており、簡易な意義の解明がなされていて、それを「卦辞」という。

 

「易」というものは、天地人生、あるいは大宇宙と小宇宙というか、この天地人生の一切を陰と陽という、消極性と積極性とを象徴する二種の根本原理の、複雑極まりなき組み立てによって、天地人生の百般に事象を象徴し、その間に生き行く人間の取るべき道や方向を指示し教示するものといってよいであろう。

 

ではこのような「易」的世界観と、ライプニッツ華厳的な世界観構造とは、そもそも如何なる相違、ないし異同があるというべきであろうか。ライプニッツ世界観の特質を一言でいうとすれば、徹底的な多元論的世界観の典型といってよいであろう。

 

それとの対比において、この「易」的世界観を構造的に眺めてみると、そこに見られる最も顕著な特質は、陰・陽という二大根本的原理の無限の動的転換と展開により、転変極まりないこの現実的世界に対する動的解釈を可能とするわけである。

 

即ちライプニッツ華厳経的な世界観構造において知らしめられるのは、この大宇宙を構成している一切の事物は、相互に無限に相関連しているとの、極大にしてまた極微の解明である。それに対して、「易」的世界観構造によって、何よりもこの現実の天地人生は、一瞬も留まる時なく転変して止まないが、その転変たるや、「陰窮すれば陽に転じ、陽極れば陰に転ずる」という、無窮なる“いのち”の循環廻転と観ずるのであって、わたくしが時あっては「宇宙大法」と呼ぶゆえんである。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月7日(水)七草。

 

昨年から森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第3節「世界観としての『易』の特質」の1回目で、「易」の世界観の根本的特質が(1)「易簡」(2)「変易」(3)「不易」の三義にあると説いています。

 

では、「易」の世界観はいかなる点に、その独自の存在意義があるというべきであろうか。思うに「易」の世界観は、一面からは広大極まりないとも言えるが、同時にそれは我々の却下の卑近な日常的現実についても、極めて端的明白にこれを解明し、陥りやすい迷妄より導き出す力を本具していると考えるのである。

 

しかもそのような卑近な却下の悩みを説くのに、その高遠な世界観的原理を当てはめることによって、その苦悩の開眼超脱を導くわけである。このような哲学となれば、専門家と非専門家との間に、両者をへだてる次元的な差別が無いわけではないとしても、西欧哲学におけるような明白な界線はないわけで、根本的にその趣を異にするといってよい、

 

それでは「易」の世界観とはいかなるものかというに、その発生の起源よりすれば、古く殷の時代に亀甲を焼いてそのひび割れの形によって吉凶を占ったところに、その端を発したが、やがて次の周代に入るや、亀トよりも巫竹を用いて、吉凶を占う法が普及するに到ったといわれる。

 

しかしながら、「易」は時代の推移と共に次第に内面的に解せられるようになったが、その最初の基礎は孔子の「繋辞伝」によって成され、さらに後世大成したのは朱子といわれるが、単なる占いから、中国哲学の原点的意義を有するに到ったといってよい。即ち大宇宙と小宇宙との関係を明らかにする、いわゆる天・人の学の根本古典と考えられるに至ったのである。

 

「易」については、古来「三易」と言われているが、(1)「易簡」(2)「変易」(3)「不易」という三義というわけである。極めて易簡な原理にも拘らず、高大なる宇宙的真理を示すと共に、一面変易といわれるように、つねに変転して止むことなき現実界に対して、何ら固定することなき解釈を可能とするが、他面不変の真理性が宿っているとするのである。

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月6日(火)出初式。

 

昨年から森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」を紹介しています。本書は西洋の論理中心の「哲学」に代わり、心情的な日本人にふさわしい哲学としての「全一学」を提唱する書でもあります。

 

本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第2節「“いのち”の無尽相映性と『易』の世界観」の最終回で、「易」の哲理は西洋の哲学論理には見られない特質を有する、東洋的世界観だとしています。

 

では、東洋の「単子論」ともいうべき華厳の教学にあっては如何というに、知的には人知の極限的展開を成就したと言えようが、人々はそれによって、人生の現実的苦悩から脱し得たかというに、一部の例外を除いては、ほとんど不可能といってよいことは、やがて禅への推移展開を見るに到ったことによっても明らかだと言えるであろう。

 

即ち禅の立場は、華厳の教学において展開された、その広大なる“いのち”の曼荼羅に対する観念的映像を破却して、重々無尽なる“いのち”のうちの唯一個に過ぎない「個」の“いのち”に徹到せんがための、鍛錬打成に対して全身心を挙して取り組む他なしとするに到ったわけである。

 

これ即ち華厳経の荘厳極まりなき、所謂因陀羅網的世界観構造の単なる観念的模写像では、眼前に横たわる些々たる日常の現実的苦悩すら、これを超える真の威力たり得ないことに徹到することによって、重々無尽的な教学から、只管打坐を力説する禅の展開を必然としたゆえんだと言ってよい。

 

かくして華厳より禅への推移転換の必然は、ついに“いのち”の絶対不可避必然性だったとも言えるであろう。尤も禅が只管打坐に徹することによって、“いのち”の開眼を可能とする根底には、知性による“いのち”の極限的な展開体系としての、華厳の重々無尽性の教学が、その背後に予想されることは言うを要しないであろう。

 

さてここまで辿り着いたことによって、何時までもかかる極限的知性に展開図だけでは、我われの日々当面している平凡凡庸な苦悩に対して、ほとんど無力となる恐れが多分に感じられるのである。

 

「全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

1月5日(月)官庁御用始め。

 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申しあげます。

 

昨年の9月18日(木)から恩師、森信三先生の「創造の形而上学」を紹介しています。本書は西洋の論理中心の「哲学」に代わり、心情的な日本人にふさわしい哲学としての「全一学」を提唱する書でもあります。新しい年も引き続き、本書から抜粋して紹介します。

 

本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第2節「“いのち”の無尽相映性と『易』の世界観」の4回目です。前回は「世界観と人生観に関して、心ある人ならばそれぞれの資質と教養に応じて、理解し身につけるべきだ」と主張していました。本日は西洋の哲学が「人間としての苦悩や苦患からの脱却に対して、いかほどの力になるかどうかは疑問である」と説いています。

 

さて、ここまで辿りつくことによって、何故わたくしが、形而上学としての世界観構造としては、ライプニッツを以って、永遠に普遍な原理と考えていながら、さらに易的世界観の考察をも併せ学ぶ意義があるかの疑問がある程度納得が行くかと思うのである。

 

その理由を端的に言えば、ライプニッツ華厳的な重々無尽的な多元的世界観は、高度の知性をもっている一部の人々には、その理解を拒むものではないが、その人が日々の生活の中で如何ほどそれを生かし得るかということになると、容易なことでないばかりか、至難中の至難事と言ってよいであろう。

 

何となれれば、哲学を以って純粋知性の学とし、それの日常生活面への適用などという考えはなかった、西欧近世の哲学思想の一つであるライプニッツにあっても、その「単子論」が人間としての苦悩や苦患からの脱却に対して、いかほどの力となり得たか否かについては、それを知る手かがりはないといってよい。

 

同じく西洋近世のスピノザ「エチカ」にあっては、彼の人生の苦悩に対して、如何に深刻な救いの光となったであろうかは、ある程度の想察を可能にするといってよい。それは彼の哲学体系が、少なくともその構成において極めて明白易簡であって、何ら曖昧なる余地を留めなかったが故であろう。

全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

12月31日(水)大晦日。年越し。

 

この一年もご覧いただきありがとうございました。森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」は、「日本人独自の哲学とは何か」を考える出発点です。本年最後の本日は第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第2節「“いのち”の無尽相映性と『易』の世界観」の3回目で、世界観と人生観に関して、心ある人ならばそれぞれの資質と教養に応じて、理解し身につけるべきものと説いています。

 

最も典型的な哲学としては、まずカント哲学と言ってよいであろう。次いでカントの流れを継承展開したドイツ観念論についても同様のことがいえるであろう。西洋の近世哲学においては、一般にその道の専攻家でなければ歯の立たぬものとされ、それに対して何らの疑いも抱かれずにきたかと思うのである。少なくともわが国の哲学界においては、今日も依然としてそのような哲学観が支配的であり、圧倒的だといえるであろう。

 

このように哲学の専門家とそうでない人々との間に、かくも厳しい一線を画して両者を峻別することは、西洋的な分別知に基づくものであって、必ずしもそれを以って至上と考えなくてもよいのであり、否、そのよう一線を設けないのが本来ではないかと考えるのである。

 

ちなみに古来東洋の天地にあっては、哲学という名称で人々が希求しているような世界観と人生観の統一的知見が無かったわけではない。それらの学たるや、必ずしもそれを専攻した人でなくても、その大要は一種の教養、人間的な“たしなみ”として身につけることは、至難の業ではなかったと言えるであろう。

 

高等数学、原子物理学など高度に専門化した自然科学の領域にあっては、局外の徒には絶対に伺えない厳しい界線の存することは言うを要しないことであろう。ただ哲学という学問という場合には、いささかその事情を異にして然るべきではないかと、いうのが多年抱懐してきた見解である。

 

世界観と人生観に関しては、いやしくも心ある人ならば、それぞれの資質と教養に応じて、それぞれの程度において理解し身につけるべきだというのが、わたくしの考えである。そのような考えは、東洋人の一人として、“いのち”の全一的世界観への萌芽を、いわば自らの「血」の中に本具内在せしめているが故かと思うのである。 *1月3日まで正月休みとさせていただきます。

全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

12月30日(火)

 

森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋しています。「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日から第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第2節「“いのち”の無尽相映性と『易』の世界観」の2回目で、視点が漢民族に特有な「易」の世界観体系へと変わります。

 

ここまで辿り着いたわたくしは、以下いささか自らの観点というか、視座の角度の移動、ないし変更を試みようかと思うのである。形而上学における世界構造の根本原理というべきものは、ライプニッツ華厳的なる“いのち”の無限照応的構造たる、かの重々無尽的なる多次元的構造の他はない。

 

いやしくも人類において、形而上学的希求の有する限り、根本的には永劫に不変なる、世界観構造の原型というべきかに考えられるといったのに、如何なる理由によって、それからやや視座を動かし、視角の変更を試みようとするのであろうか。それは何故であろうか。

 

これから取り上げてみようと考える今一つの世界観体系は、他ならぬ漢民族に特有な「易」の世界観体系に他ならぬわけである。ではそれは如何なることかというに、この易的世界観というものは、一面非常に高大であると共に、他面甚だしく浅近であって、日常生活の諸相について洩れるところなく、当てはまらぬ処なきまでの普遍性をもつがゆえである。

 

ここに普遍性の語を用いたが、端的にいえば、いつでもまた何事についても、その適用が可能だということである。そのような点では、これまで考えてきた華厳的な重々無尽的世界観とは、ある意味では天地懸隔するものともいえるであろう。

 

同時に、ここまで辿りつくことによって、かねてから抱懐してきた哲学という学問に対するこれまでの考え方に対して、ある種の疑問ともいうべきものについて、この際述べてみることによって、大方の批判を仰ぎたいと思うのである。

 

それというのも、西洋において哲学という学問は、人間知性の極限的探求とも言え、すこぶる高度なものであって、その道の専門家でなければ、容易には学び得ないものとされてきたと言ってよい。否、わが国の現状としては、その道の専門家といわれる人々でさえ、必ずしも易解ではないと言ってよい。

全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

12月29日(月)

 

森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋しています。「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日から第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第2節「“いのち”の無尽相映性と『易』の世界観」の1回目です。

 

先生の哲学基礎形成期の所産である「恩の形而上学」(昭和13年刊)が「所照の自覚」(いのちの所照=生かされている自覚)が静観的とすれば、本書「創造の形而上学」(いのちの自証=この世に生きる意味、使命を知る)は「やや動的展開」と述べています。その心は、哲学は哲学者のものではなく、万人に役立つものでなければならないということです。

 

さて、世界創造の所産としての“いのち”の相互相映性は、それを次元的にいうとすれば、実に無限なる多次元性という他ないであろう。ところが、純粋思惟の努力としての形而上学の立場としては、かかる無限な多次元性の立場に立つほかなく、世界構造の究極としては、このような立場を以ってその至極境というべきで、これ以上の世界観構造は根本的に考えられないかと思われる。

 

それというのも、哲学的基礎形成期の一所産たる「恩の形而上学」が生まれた当時のわたしの見解であった。今や人生の晩年にあたり、再び自らの形而上学への再努力たる、この書の執筆に当たって痛感せしめられることは、その間40年の歳月を介在せしめているにも拘らず、世界構造の超時空的な本質的構造の面においては、寸毫も異なるところが無いということである。

 

即ち世界観構造の根本的構造としては、結局ライプニッツ・華厳的なる重々無尽的な“いのち”の無限呼応としての、その相互相映相照的なる無尽次元的な構造という他ないが、「恩の形而上学」にあっては、いわゆる「所照の自覚」(生かされている自覚)の光に照らして、これが静観を試みたのに対して、

 

この書においては“いのち”の無尽生成を世界創造の立場から観んとするのであって、もし前者を静観的といえば、この方はその観点がやや動的展開の相に向けられている点に、その相違があるといえるであろう。

 

日蓮上人――仏僧③

 

12月27日(土)

 

内村鑑三(1861年〜1930年)により1908年(明治41年)に刊行された英文著「Representative Men of Japan」の鈴木範久よる翻訳「代表的日本人」(岩波文庫)から、新日本の創設者としての西郷隆盛、封建領主の上杉鷹山、農民聖者の二宮尊徳、村の先生の中江藤樹、仏僧の日蓮上人の5名を紹介しています。本年の最後は日蓮上人の最終回です。

 

日蓮の生涯は世の権力、支配者との絶えざる戦い

 

そのころ国土を襲った多くの災難を契機にして、今なお代表的名著とみなされる「立正安国論」を著しました。その救済の道は、最高の経典である法華経を信奉することにあります。その賜物を拒んだ結果が、内乱と外敵の侵略であると指摘したのです。

 

「立正安国論」はそのまま鬨の声であり、決然とした宣戦布告でありました。名君の一人北条時頼は、この熱狂徒を首府から放逐することで弾圧をはかろうとしました。小さな仲間は力づくで解散させられ、その指導者は流人として遠国に追放されることになりました。

 

「立正安国論」以後の十五年間は、日蓮の生涯にとりこの世の権力、支配者との絶えざる戦いでありました。まず伊豆に追放されましたが、その地で過ごした三年の流刑生活の間にも改宗者をつくりました。

 

鎌倉に戻ってからも、その頭上にふりかからんとする破滅をものともせず、頑固坊主に復したのです。ある日の暮れ、数人の弟子を従え布教して回っていると、突然、剣を手にした一群の男たちの攻撃を受け、三人が殺され日蓮は額に一つの傷を負いました。

 

本当の危機は1271年に訪れます。これまで僧侶の死刑は禁じられ、日蓮の生命は失われるまでには至らなかったのです。しかし、わが国の既成宗教、また聖俗を問わず権力者に対して浴びせかける日蓮の悪口を抑えきれず、北条氏は例外的な非常処置として、日蓮を死刑執行人の手に渡す決意をしました。

 

これが宗教史上名高い「辰の口の法難」事件です。泰然自若として祈りながら最後の太刀を受けんとする、威厳に満ちた日蓮の態度を見たなら、首切り役人が怯えたことは想像できます。異例の死刑を決めた為政者も恐怖に襲われ、急ぎ死罪に代わり流刑に処するとの使者を走らせたのです。

 

日本人のなかで最高の独立人

 

今度は最重罪悪人の流される地として知られる、日本海の孤島佐渡に流されました。この島にあって五年もの期間を生きのびた事実は奇蹟でありました。以来、佐渡と島に隣接した多くの人たちが住む越後は、日蓮の教えの熱心な信奉国になりました。

 

1274年、日蓮の不屈の勇気と忍耐は、今や鎌倉幕府の恐怖と共に尊敬をも招きました。あわせて外寇(がいこう)の予言が当たり、蒙古来襲のあったことが日蓮を首府に帰還させる許可をもたらしたのです。日蓮の精神はその後七百年間にわたり、勢力を保つことになります。

 

この人物も今は五十二歳、一生の大半を世との戦いに過ごしてきました。「インドの尊師」にならい、静かな瞑想と弟子の教育で余生を終わりたく、富士山の西方、身延山に居を定めました。南の方には壮大な眺めの太平洋、近くには崇高な山々がつらなる地でありました。

 

恐れをもっとも知らぬ人間、この人の勇気は自分が仏陀の、この世への特別の使者であるという確信から生じたものでした。日蓮自身は「海辺のいやしい身分の子」でありましたが、法華経の伝道者たる能力においては、天地全体に匹敵するほど重要でありました。

 

日蓮の私的な生活は、この上なく簡素でありました。鎌倉の草庵に居を定めて以来、三十年後の身延でも同じような建物に住んでいました。裕福な弟子もでき、望めば思いのままに安楽な生活を送ることできたのです。

 

「仏敵」と呼んだ者には苛烈でありましたが、貧しい人たち、虐げられた人たちに対しては、まことに優しい人物でありました。弟子たちに宛てた手紙には、あの記念すべき「立正安国論」の炎のような烈しさとはうって変わり、実にやさしい気持ちがこめられています。

 

日蓮から十三世紀という時代の衣裳と、批判的知識の欠如、内面に宿る異常気味な心(偉人にありがちな)を除去してみましょう。私どもの眼前には、世界の偉人に伍しても最大級の人物がいるのがわかります。日本人のなかで、日蓮ほどの独立人を考えることはできません。

 

その創造性と独立心とによって、仏教を日本の宗教にしたのであります。他の宗教がいずれも起源をインド、中国、朝鮮の人に持つのに対して、日蓮宗のみ純粋に日本人に有するのであります。(「代表的日本人」了)

 

全一学」提唱の「創造の形而上学」

 

12月26日(金)官庁御用納め。

 

森信三先生の晩年の大作、「全一学」提唱の「創造の形而上学」から抜粋しています。「日本人独自の哲学とは何か」を考える手がかりとしてご覧いただければ幸いです。本日から第5章「陰陽論――東方的動的二元論」の第1節「“いのち”の自証の形而上学」の3回目で、西欧の形而上学の限界を述べ、新たな形而上学は日本民族の間に兆しつつあると述べています。

 

西欧の哲学界で時に見られる形而上学を軽視する傾向は、西欧哲学自身の衰弱を証示するものと言えるであろう。その要因の一つはその起源とされるアリストテレスがプラトンと対比せしめる時、著しく抽象的傾向の顕著な哲学者だったが故であろう。

 

そうしたアリストテレスを源流として汲む、西欧的形而上学に対して、“いのち”の自証の全的展開としての新たなる形而上学の生誕のために、一つの道標を樹てるべきかと考えるわけである。序でながら、西欧にみる最近の形而上学忌避の傾向については、やはりカントの認識批判の哲学が作用していることは言うを要しないであろう。

 

最近ベルグソンの「創造的進化」に見られるものは、カントに見られる抽象的形式的な立場に対する一種のリアクションとして、新たなる形而上学的希求と言えるであろう。またハイデッガーの「存在と時間」に伺われる哲学説も、その中心を成しているものは、具体的な人間生活における日常性の反省として、「生」の自覚の哲学といえるであろう。

 

しかもその主要関心事は、その基礎づけというべき序論部分の基礎工作に、その叙述的エネルギーの大方を割いているかに思われる点はさすがに血は争えず、全くカントとの間に意外なほど共通性が見られると言えそうである。

 

さらに一歩を進めていえば、その主著「存在と時間」が単に上巻のみに了って、ついに下巻が出なかったのは、カント哲学において主力の注がれたのが「純粋理性批判」であったのと、相通じるもののあることを思わしめられるのである。

 

では何故ハイデッガーがこうなったというに、“いのち”の自証の全的展開という、根本的立場に立たないが故という他あるまい。このような“いのち”の自証の全的展開の立場に立つ新たなる形而上学は、種々の点よりして東西文化の切点に立つ日本民族の間に、すでにその萌芽は兆しつつあるかに思われるのである。