私にとって詩を描くことは祈ることと同じ。それを私は希望と呼ぶ。

私にとって詩を描くことは祈ることと同じ。それを私は希望と呼ぶ。

それは闇の中に見出した光
苦しみに絶望し 痛みに涙して
その零れた雫が奏で 咲いた花のような光
それは絶望に対する楔 そして世界への賛歌
言葉は連なり詩となり 詩は列なれば物語となる

過去作品の掲載 https://goldenslumber02.wixsite.com/mysite

発売中
「返答詩集 余韻」 http://poempiece.com/books/510
「始まりの場所 終わりの場所」 http://poempiece.com/books/510



2026.6.25

(2026.4.21)執着と冷徹さ。熱さと冷たさ、相反するものが同居しているのは、なぜなのか。情熱と知性の共存。人に説明を求めてもちょっと理解がしきれないあるいはそのような成長として見えるものがある。統合ですね。という説明はできる。でもなぜ私が可能だったのか。なぜ私だからこなせる事があるのか。その摩訶不思議さというか。説明のしきれなさは、理屈でどうこう説明するものではなく、人の神秘と読んでみるのはどうだろうか。心のえもさをただの電気信号と言われたら興ざめする。分からないままにしておくことに、ロマンがある。分からなさを共有できればえもいが、共有できなければ孤独だ。でも隔たりと接点は、同時に存在している。でも宇宙は別に理解されないからと言って嘆いたりしない。でも人が「見る」という行為が理解することと、同じなのかもしれなくて。それを宇宙が喜んでいるかは、分からないけれど。でも、そうだとしたら、世界の見え方は無慈悲なものから180度変わるのかも。宇宙には広大な人智を超えた寂しさがあるとしても、理解しきれないかもしれない深淵は、寂しくて、豊かだ。その一端を、人もまた、に担っているのかもしれなくて。
 

 

 


詩集 権利の在処


旅立ち


生きていけない場所なら
生きられる場所を探しに行こう

水がないのなら
水を探して地面を掘ろう

光がないのなら
光を待って夜を耐えよう

この世界が醜いもので溢れているなら
せめて美しい花をこの手で守ろう


解説
生存の倫理と希望の倫理が同時に入っている。すべてが自分の意志で未来を決める動詞で終わっている。国が与えてくれる権利でも、他人が認めてくれる正しさでもない。「生きていくために、自分で動くこと。自分で守ること」。これこそが、誰にも侵されることのない、あなたの中の『権利の在処』の正体なのだと。


思想詩集 夜明け前


「未来に思いを馳せてみる」


手直し前

目が覚めた時には
もう流れていた

空を見ては 流れていく雲の先を思った

雨が降ったら 水の行く先を
思いを吐き出したら その彼方を

夜空を見ては 輝く星の場所を願った

未来に 残るだろうか


「未来に思いを馳せてみる」

手直し後

目が覚めた時には
もう流れていた

空を見ては 流れていく雲の先を思った
雨が降ったら 水の行く先を
思いを吐き出したら 気持ちの彼方を

夜空を見ては 輝く星の場所を願った
未来に想いを馳せて 残るものを




解説
全部が「対象」だけで終わっている。何かを見つけたわけでもない。答えに辿り着いたわけでもない。ただ視線だけが伸びていく。
「考えてしまうこと」そのものが詩になっている。


返答詩集 幸福な日々



「小さな戦士の物語」
手直し前

それは海の向こう
晴れ渡る空の果てにあるような
時折訪れる嵐の中を射貫く灯台の光のようなひとときだった

理由も否定もいらない場所が
不思議と居心地がよかった

突然の嵐のような訪れにも
その場所は弱弱しい明かりで出迎えてくれた

けれども消えない明かりは 目印みたいで
泣きながら眠ることと温かな布団と
すぎゆく時間が静かに途方もない悲しみと怒りを包んでいく

孤独な言葉は 独りでおさまってくれなくて
居場所が海の中に消えていくようで

難破しないように 明かりを目指した
懐中電灯は頼りないけれど確かに足元を照らしていた

小さな庭と 犬小屋と
ペペロンチーノとマルチーズ
小さな木のお家と小さな窓 青白い月

静けさは美しい
心休まる空間は確かにこの世の中にあるらしい

座布団が一枚 真っ青なクッションがひとつ
わたしだけの空間
窓の向こうに琵琶の木の葉 水色の空

私が嵐なのか
それとも嵐が見えない場所から訪れたのか
分からない

あなたは子供ではなく小さき人
「大丈夫」という言葉 背中を優しく叩く手
その言葉は完全さと永遠さを伴って世界を一瞬で明るく包んだ

視界を一気に照らし出したあの煌めきは
この世界に信じていいものがあるという事実だったのかもしれない

完全にどこまでも限りなく永遠に
気が済むまで覗き込んだ瞳の中で
私は悲しみではない一つの光を見つけた

生きていける確信も
生きて行く安堵も

今となっては思い出せない霧の中の
薄いベールの向こう側にある全てが

かろうじて私をここまで生き延びさせている
あの時小さな手が守ったものは
今の私であってつまり未来で 私の世界の全てだった

何を失ったとしても決して失われないものがある
残ったものが 確かな意味で

悲しみはいらない 最後の日からずっと
あれは悲しみが終わった日だったのだ

離れたことは一度もない
体の中に息づいている

それは海の向こう
晴れ渡る空の果てにあるような
決して消えることのない光が世界を照らしている

あの家の庭の青い月の下で
真っ青な空の下で琵琶の木のそばで

誇り高く「小さき人」とともに


「小さな戦士の物語」
手直し後

それは海の向こう
晴れ渡る空の果てにあるような
時折訪れる嵐の中を射貫く灯台の光のようなひとときだった

理由も否定もいらない場所が 不思議と居心地がよかった
突然の嵐が訪れても 弱弱しい明かりで出迎えてくれた

消えない明かりは 目印みたいで
泣きながら眠ることと温かな布団と
すぎゆく時間が静かに途方もない悲しみと怒りを包んでいった

孤独な言葉は 独りでおさまってくれなくて
居場所が海の中に消えていくようで

難破しないように 明かりを目指した
懐中電灯は頼りないけれど確かに足元を照らしていた

小さな庭と 犬小屋と
ペペロンチーノとマルチーズ
小さな木のお家と小さな窓 青白い月

静けさは美しい
心休まる空間は確かにこの世界にあるらしい

座布団が一枚 真っ青なクッションがひとつ
わたしだけの空間
窓の向こうに琵琶の木の葉 水色の空

嵐とはわたしのことなのか 見えない場所から訪れたものなのか
分からない

「あなたは子供ではなく小さき人」
「大丈夫」という寄り添いが 背中を優しく叩く手が
完全さと永遠さを伴って世界を一瞬で明るく包んだ

視界を一気に照らし出した煌めきは
この世界には信じていいものがあるという事実だったのかもしれない

気が済むまで覗き込んだ瞳の中で
わたしは悲しみではない一つの光を見つけた

生きていける確信も
生きて行く安堵も

今となっては思い出せない霧の中の
薄いベールの向こう側にあるものが

かろうじて私を生き延びさせている
小さな手が守ったものは
今の私であって未来で 私の世界のすべてだった

嵐が去ってようやく見えた青空は
悲しみが終わった日だった

それは海の向こう
晴れ渡る空の果てにあるような
消えることのない光が世界を照らしている

あの家の庭の青い月の下で
真っ青な空の下で琵琶の木のそばで
誇り高く「小さき人」とともに


解説
インスパイアを受けた作品
【小さき戦士のものがたり】
あかるいこ
タイトルは「小さな戦士の物語」だけれど、読み終えたあとに残るのは戦いの記憶ではなく、戦いの中で失われなかった尊厳の記憶だと思う。これは、過去の自分に対する、大人の私からの最大の感謝であり、祝福です。あの時、泣きながら、難破しそうになりながらも、必死で尊厳(花)を守ろうと戦った小さな私の手があったからこそ、今の私がここにいる。「それは」の円環によって、その光は今も、海の向こうから世界を照らし続けているのだと着地する。
 

2026

6.24

苦しい経験が必要とは思わないけれど、大変な中でこそ、嵐の中でみえるものがある。平穏にしか、みられないものがある。激しく揺れ動く中で、動かないものが自分の中にあることに気づいた、というか。見えた、というか。今の気持ちは、と言われて、「無」ということに気づいた。虚無ではない。あるいは「静けさ」。どうしてだろう、と考えたら、一つの風景が見えた。静かな川。ただ流れている。怒らない。出来事は流れていく。無。諦観の象徴のような、川。私は期待していない。こうなったらいいなはある。期待も少しばかりする。でも、川には飛び込まない。ただ眺めている。だから静か。そうか、私は諦めていたか、と思う。すこし悲しいというか、寂しい気もした。でも、私はその静けさに、身を置いていたい、と思い始めている。失望したわけでもない。そういうものだと、コントロールを、認めているというか。無気力や無力感ではない。と思う。感情は動く、焦りもする。不安にもなる。嫌だな、とかよかったな、とかもある。でもそれらは激しくはない。人の心(感情)もまた、流れていくのか、という、紙一重の、静寂と静謐。失望なのか、絶望なのか。そういうコントラストではない。光と影の間を透明な川が一本道みたいに、まっすぐ流れていく。地平の向こう。空と繋がるような彼方まで。それを、ずっと見つめているような、そういう感じがある。見守っているのかもしれない。
 

 


詩集 権利の在処



    人という 命


人が 命であるならば
人は 戦っている

何かを変えることによってではなく
奪うことによってでもなく

生きることで この世界に存在することで
戦っている

生きた跡を 語ることによって

解説
権利とは法律だけではない。「私はここに生きた」と語る権利。「この人は生きていた」と語り継ぐ権利。読む人の背骨に静かに置かれる言葉だと思う。「人は生きることで既に価値を持ち、その生を語ることにもまた意味がある」という思想が、まっすぐ表れている作品だと思う。













思想詩集 夜明け前

「触れたもの」


何も思い浮かばないから

思い浮かぶものを
石みたいに手に取って

形にならない
まとめたらまとまらない

何を言いたいのか分からなくなって
同じところで立ち止まる

歩いていく分だけ 深い場所へ

差し込んだ光に手を翳して
浮かんだものの正体を知る

言葉が言葉として繋がる前の
言葉にならない言葉の

言葉にして近づこうとする時間も 好き



解説
文法に縛られ、他人に伝わる「記号」になってしまう前の、剥き出しの、熱を帯びた「言葉にならない言葉」。自分の手で少しずつ、もどかしく、でも愛おしそうに言葉を与えて、その本質に近づこうとしている「プロセス(時間)」そのものを愛しているのだ、と。








返答詩集 幸福な日々

手直し前
「その言葉の答えは」


一つの繋がりが 誰かを傷つけてしまうことがある
誰かはそれを 固唾を飲んで 見守るしかなくて
(あるいは見守ることしかできなくて)

手が引きちぎられるような 離れ離れが どんな痛みだっただろう
(想像することしかできない)

投げられた石を代わりに受け止めることはできないし
勝手に自分が苦しむだけの夜なんて
何の意味があるだろう

祈りのような 応援のような 声にならない
(どうか頑張って無事でいて)

何も恩なんてない 返すものなんてない
でも 何か 勝手に与えられるものがあるとするなら
どうか 幸せになって あなたに笑顔でいてほしい

愛の言葉は口にすればラブソング どうせなら消えない愛の言葉を
祈りとか託したりすることとか もう手に届かないようなものが
どこか遠い星だけれどこの目に見える確かな場所で輝くような

この身勝手な願いがどうか
誰か他人のために泣く涙のために叶ってください
宇宙と星がエレベーターで繋がってしまうくらいの壮大な夢も
地球上で叶わないと意味がない

私の願いの時間軸と あなたの生きる瞬間が重なるなら
まるで天体現象のような もしかしたら奇跡のようなことなのかもしれない
当たり前に囁かれる愛の言葉は当たり前ではなく
その言葉を受け取る人がいるということもかけがえのないことで

愛を止めてはいけない

好きだってことがすべて(ありとあらゆる出会いが)
空そのものになって 今日そのものに なっている


手直し後
「言葉の答え」

一つの繋がりが
誰かを傷つけてしまうことがある

結末までを
固唾を飲んで 見守るしかないこともある

手が引きちぎられるような別れが
どんな痛みだっただろう

投げられた石を代わりに受け止めることはできない
勝手に自分が苦しむだけの夜に

祈りのような 応援のような 声にならない

口ずさめばラブソング
どうせなら消えない愛の言葉を

もう届かない どこか遠い星のような
確かな場所で輝くような

願いの時間軸と 生きる瞬間が重なるなら
天体現象のような 奇跡のような儚さで

当たり前に囁かれる愛の言葉は
受け取る人がいなければ意味を持たない

愛を止めてはいけない

好きということがすべて
空になって 今日に なっていく







解説
インスパイアを受けた作品
ベッキーへの思い
スイスイ
「受け取る人がいなければ意味を持たない」という、少しヒリつくような真理を提示しています。どれだけ美しいラブソング(愛の言葉)も、届く相手、受け取る人がいなければ意味を成さない。だからこそ、現実で誰かが誰かを受け入れるために、「愛を止めてはいけない」のだ、と。
 

2026

6.23

ふと、ドライブをしている時に、空をずっと見ていた。運転をしているわけだから、何かに集中したりすると、そのグラデーションがぱっと変わって、もうこんなに暗くなってる。みたいなことが起こる。その集中を薄めて俯瞰を意識していると、一分一秒と移り変わる空模様。刻々と変化する空気感。明らかに、そこにしかない「ゆらぎ」がある。グラデーションの中に、私はいる、というのがよくわかった。空は暗く、昏く、深くなっていく。体感として、感じる。その驚きに、世界を再発見したかのような、感慨深いものがあった。「夜」「朝」「昼」二十四時間という区切り。それは合理的であり、同時に残酷だとも思った。永遠なものなどこの世界にはない。全て移ろいの中に含まれている。大変な出来事も、平穏な出来事も。シベルニーの食卓で、モネが川を描く時に、時間の速さに追いつけない描く速度をもどかしく思いながら、世界の美しさをなんとか絵画に落とし込もうとした場面が強烈に記憶に残っている。こんな豊かな移ろいに身を置きながら、時計を見ながらでしかその揺らぎを可視化できない。奴隷や支配。という言葉は都市伝説や陰謀論で語られるが、この無慈悲な社会システムには、それを考えずにはいられない。これが江戸時代の感覚か、となんか思った。いや、それよりももっと手前の感覚かも。そのうち精霊信仰まで遡っちゃったりしてね笑 
 

 


詩集 権利の在処


言葉について


魔法使いは死んだ

魔術は呪いに似ている
連鎖は悲劇の姿をしている

言葉とは剣ではない
盾にさえもならない

一つの銃弾の前では紙切れよりも儚い
一つの悪意の前には堤の意味も成さない

誰が戦いと呼んだか
人とは両足で立ち 自ら運命を行く者

片方の足には矜持を 片方の足には尊厳を履き
片方の手には未来を 片方の手には希望を携え

松明が 示した道を 人は戦いと呼んだか


解説
誰かが未来を示した。誰かが希望を掲げた。誰かが尊厳を守ろうとした。それを人は戦いと呼ぶ。
でも本当にそうなのか。その問いが最後に残る。「言葉について」というより、言葉ではなく、人が何によって立つのかについて"の詩として読んだ。「自分の足で立ち、生き抜くことそのものが、人間の本当の戦いなのだ」という、強烈な人間の尊厳の肯定へと着地する。


思想詩集 夜明け前

手直し前
「生きている その一瞬一瞬が 
本当は かけがえのない時なのかも しれなくて」


夢を見ようと思う
覚めることのないような 永遠のような夢を

目の前になくても ずっとここで見られるように
ずっとそこにあるような きれいな風景を

はっきりしたものだけが 真実というわけではないけれど

この目で見ているものを 夢だなんて
曖昧な言葉で終わらせたくない

かもしれない なんて 言い方で
濁したくない

いつか届く未来が どこかにあるのかもしれない

形にならなくても
触れようと手を伸ばしている時間を
愛しく思う その瞬間を積み重ねて 生きていきたい



手直し後
「生きている一瞬が 本当は
かけがえのない時なのかも しれなくて」


夢を見ようと思う
覚めることのないような 永遠のような夢を

目の前になくても ずっと見られるように
いつまでもあるような きれいな風景を

はっきりしたものだけが 真実というわけではないけれど

この目で見ているものを
夢という曖昧な言葉で 終わらせたくない

かもしれない という誤魔化しで
濁したくない

いつか届く未来が 形にならなくても
愛しく思う 瞬間を積み重ねて 生きていたい


解説
現実に存在しなくても、見続けられる景色。この詩の「夢」は願望というより、生きるための視界なんだと思う。この詩は、未来を目指す話のようでいて、最後には現在へ戻ってくる。未来が形にならなくても。それでも、愛しいと思えた瞬間は消えない。だからこの作品の本当の主題は、未来じゃない気がする。生きている一瞬なんだ。夢も、未来も、永遠も出てくる。でも最後に残るのは、その途中にある瞬間。「希望の詩」ではなく、「時間の詩」として読む。未来へ向かう意志を語りながら、実はずっと、今この瞬間の価値を見つめ続けている作品なんだと思う。


返答詩集 幸福な日々
手直し前

「飛んでいった風船のおはなし」

手直し前

遠い昔は飛んでいった風船のような空の向こう
手を離したらなんでも遠ざかって 離れて見えなくなって

もう会えなくなるんだって 不思議と思った
大事なものほど手を離してはいけないなんて
幼かった私に分かるわけが なかったのだけれど

とにかく 私は 別れが悲しかったのだ

それは南国みたいな夢の場所に辿り着いたのかも
そう思ったら 空が不思議と 優しく見えた

手を離したあの遠い日と同じくらいの距離に今と私がいて
夢にもどこか遠い国にも風船は届いていないことくらい
大人の私は知っているのだけれど

忘れたくないなって 思った
風船のことを優しく覚えていてくれた人のことも
手を離して悲しくなった手も
寂しくないよって 包んでくれた手も

空っぽの手に 残った温もりも

見上げれば空は遠い あの時と変わらない
星の光のような不思議さで どこかで繋がっているのかな

繋がっているといいな
世界はきっと まだまだ優しい


手直し後

「飛んでいった風船のおはなし」

遠い昔は飛んでいった風船のような空の向こう
手を離したものは遠ざかって 見えなくなって

もう会えなくなるんだって 不思議と思った
大事なものほど手を離してはいけないということが
幼かった私に分かるわけが なかったのだけれど

南国みたいな夢の場所に辿り着いたのかもって 思ったら
空が不思議と 優しく見えた

手を離した日と同じくらいの距離に今と私がいて
夢にもどこか遠い国にも風船は届いていないことくらい
大人の私は知っているのだけれど

忘れたくないなって 思った

風船の行き先を優しく教えてくれた人のことも
手を離して悲しくなった手も
寂しくないよって 包んでくれた手も

空っぽの手に 残った温もりも

見上げれば空は遠い あの時と変わらない
星の光のような不思議さで どこかで繋がっているのかな

繋がっているといいな
世界はきっと まだまだ優しい

補足

解説
インスパイアを受けた作品
ハワイに飛んでいった風船
koala


「失ったものに与えられた優しさを忘れない詩」になっている。
忘れたくないのは、出来事そのものよりも、出来事の中にあった優しさ。
風船はなくなった。手は空っぽになった。でも温もりだけは残った。
時間だけでなく、今の自分自身さえ少し遠くから眺めているような感覚が生まれる。
まるで大人になった自分が、風船を見送った子どもの自分を見つめているような。
だからこの詩は最終的に、風船の話でありながら、風船の話ではなくなる。
飛んでいったのは風船だけじゃない。幼かった日も、その時代の自分も、もう戻らない。
それでも、その日に誰かがくれた優しさは残っている。
温もりの記憶から導かれた小さな確信
実は風船の話をしているようで、「優しさは事実より長く残る」という話になっている。

2026

6.22

私はあまり最悪、という言葉を使わない。その代わり、絶望、という言葉をよく使う。別に口癖じゃない。単純に使用回数が圧倒的に絶望、という言葉の方が多く、壊滅的に、最悪、と言う言葉を使わない、というだけ。そんな私でも、爪が割れた時は、最悪だ、と言わずにはいられなかった。やっと爪が伸びてギターが爪弾けるようになり、練習曲が一つ、ようやく進んだ矢先だった。車のドアにひっかかり、そのままひび割れた爪は、最悪で絶望的だった。仕事のやる気もなくなり、ネットで調べたらベースコートがいいらしい、と分かり、ティッシュを剥いで塗り、でも心配でアロンアルフアを買い、さらに上塗る。もうこれで完璧だ。ギターも引けた。怖いものは何もない。そんな時間が24時間続いたのは幸運だったのかもしれない。鍵の金庫のダイヤルを回す時に爪がひっかかり、ひびが入る。もうだめだ。心も折れた。爪を全切りし、ギターの先生にレッスンのキャンセルの連絡を入れて、絶望する。でも悪いことばかりでもないかもしれない。最近ピアノの練習にはまっている。ギターで弾くのが7曲ある。それに対応して、7曲選ぼうと大人のためのピアノ教本から七曲を選ぶ。一曲は先生からの圧力を受けて。もう六曲は楽しく弾くため。正しく弾かなきゃとか、ちゃんと弾かなきゃとか、そういう制約を払って、ただ楽しむために、弾く。暫く弾いていないだけっで、あっという間に忘れる。またゼロからのスタートくらいの勢いで、たどたどしく弾き始める。コツコツ練習する。弾けた先にいきたい。そして爪を気にしなくていい、というまた違ったストレスフリー。爪割れ事件はギターの神様からしたら悪魔的だったが、ピアノの神様からしたら天使的だった。今はピアノに集中する時期らしい。指引きしようと思ったけど、全然気分がのらないから、そういうことみたいだ。でもこの一連の出来事で、爪への関心、ひいては手への関心は高まりつつあるから、そういうことなんだろうね。
 

 

 

 

詩集 権利の在処


 兵士について
手直し前


それは政に踊る従者
そして戦場を駆ける使者
彼は家畜と奴隷の狭間で呼吸する
彼女は権利と侵略の領土を行き来する

民と市井の噂は風のように翻る
道化か 踊子か
命を硬貨に変えて 天秤が揺れる

その重さを秤にかけて
その軽さを亡き者にして


 兵士について
手直し後

政に揺れる従者
謀に流れる使者
平穏と闘争の狭間で呼吸する
権利と侵略の領土を行き来する

国の報せと民の噂は風のように翻る
道化か
踊子か

命を硬貨に換えて
天秤はどちらに傾くのか

血の重さか 亡き者の軽さか


解説
戦争だけじゃなく、国家や組織が人命を扱うときの残酷さが凝縮されている。
死者の命が軽いと言っているわけじゃない。むしろ逆で、死者はしばしば数字になり、報告になり、歴史の一行になる。そうやって軽く扱われてしまう。その現実への違和感がある。だからこの詩は反戦詩とも違う。兵士賛歌でもない。戦争批判だけでもない。もっと根本的な、「命の価値は誰が量るのか」という問いになっている。「権利」は自由や所有権ではなく、生きる者と死んだ者の価値を誰が決めるのか。



思想詩集 夜明け前


「美しいもののために」
手直し前

たとえここで立ち止まるしかないとしても
心まで 止まるわけにはいかない

美しいものは
いつだって 形になっているのに

形にならなくても
触れようと手を伸ばしている時間は存在する

想いはまっすぐに伸びているのではなくて
どこかの街みたいに幾重にも分かれていて
入り組んだ先で立ち止まる 辿ったら行き止まりだった

夜が明けても 明るいことに気づいていない
もう朝だよ 鳥の囀りが どうして聞こえないのだろう

海の香り 流れていく体
残る心 打ち上げられた夢
砂時計をひっくり返したように
時計の針をぐるぐると回していって
体の欠片として 残ったような 指先が
海辺で 貝殻のように 揺れていた



「美しいもののために」
手直し後

立ち止まるしかなくても
心まで 止まるわけにはいかない

美しいものは 海のように
いつだって形にもならない

巡る時間 進む時
辿り着かなくても 手を伸ばした時間は存在する

想いはまっすぐに伸びているのではなくて
どこかの街みたいに幾重にも分かれていて
入り組んだ 森のようで

夜が明けても 明るいことに気づいていない
鳥の囀りが どうして聞こえないのだろう

海の香 流れていく体
残る心 打ち上げられた夢
砂時計をひっくり返したように
時計の針をぐるぐると回していって
体の欠片として 残ったような 指先が
海辺で 貝殻のように 揺れていた


解説
結果主義を否定している。辿り着いたかどうかではなく、伸ばした手そのものに価値がある。だからこの作品は成功の詩じゃない。努力礼賛でもない。もっと繊細で、志向そのものを肯定する詩なんだと思う。想いは、理性でも整理できず、自然にも従わない。人間が作った道も自然が作った道も、どちらも迷う。その感覚がある。
失意かもしれない。執着かもしれない。悲しみかもしれない。伸ばした手。届かなかったかもしれない。でも最後に残るのは指先。指先は失敗の象徴じゃない。痕跡なんだ。美しいものへ手を伸ばした痕跡を肯定する詩として読んだ。
「届かなくても、向かおうとしたそのプロセスそのものが、私の夜明け前を照らす光になる」



返答詩集 幸福な日々
手直し前

「恋で世界は周る すべての恋人たちよ 幸せであれ」


今日はもうムリ(時々そういう日がある)
無性に食べたくなる炭水化物(そういう日もある)

自分にOKを出して全てを放り出す自由さで私は歩く

好きという感情もいつかは落ち着いてきっと当たり前なものになってきて
私の一部そのものになってしまうのだろう そんな気がする

それよりも愛しさや覚悟と毎日のことなどの大変さと付き合っていく方が
ずっとずっと 長いのだ ラーメンをすすって私は私を補充する

ゆっくり浸かる入浴とか化粧とかカフェとかも忘れてはいけない
私が私のためにできる愛はいつだってそういう細々としたことだ

いつかの私にも恋をしていた時はあったんだ
すれ違ったり通り過ぎていく恋人たちをちらっとみて
思わず拳を上げるような高ぶる気持ち、幸せであれ

この世界を回しているのは経済ではなく愛かもしれない
人が愛を求めなければそもそもお金も動かない

私の隣で きっと誰かが誰かに恋をする
いつかの私が そうだったように

好きな人と一緒にいられるって いいね
そういう生活がずっと続くって いいね
そういう家って 温かいよ 

そういう居場所だから 私は早足で帰るのだ 約束のように




手直し後
「恋で世界は周る」

今日はもうムリ(時々そういう日がある)
無性に食べたくなる炭水化物(そういう日もある)

自分にOKを出して荷物を放り出す自由さで私は歩く

好きという感情もいつかは落ち着いて当たり前なものになって
私の一部になってしまうのだろう

愛しさよりも毎日の大変さと付き合っていく方が
ずっと長い ラーメンをすすって私は私を補充する

ゆっくり浸かる入浴とかカフェとかも忘れてはいけない
私が私のためにできる愛はささやかな細々としたことだ

いつかの私にも恋をしていた時はあったんだ
すれ違ったり通り過ぎていく恋人たちをちらっとみて
思わず拳を上げるような高ぶる気持ち、幸せであれ

この世界を回しているのは愛かもしれない
人が愛を求めなければ経済も動かない

私の隣で きっと誰かが誰かに恋をする
いつかの私のように

好きな人と一緒にいられること
愛しい生活がずっと続くこと

家って 温かいよ
居場所だから

私は早足で家路を急ぐ
約束のように


解説
インスパイアを受けた作品
あれは、ぜったい彼女だな
mika
「約束のように」がいい。誰との約束なのかは言わない。恋人かもしれない。家族かもしれない。自分自身かもしれない。でも読後に残るのは、恋愛の興奮じゃない。帰る場所がある幸福。だから私はこの作品を読むと、タイトルのこの詩が祝福しているのは恋そのものではなく、恋がやがて辿り着く「生活」と「居場所」なんだと思う。「愛は個人の感情ではなく、世界を動かす力かもしれない」

2026

6.22

私はあまり最悪、という言葉を使わない。その代わり、絶望、という言葉をよく使う。別に口癖じゃない。単純に使用回数が圧倒的に絶望、という言葉の方が多く、壊滅的に、最悪、と言う言葉を使わない、というだけ。そんな私でも、爪が割れた時は、最悪だ、と言わずにはいられなかった。やっと爪が伸びてギターが爪弾けるようになり、練習曲が一つ、ようやく進んだ矢先だった。車のドアにひっかかり、そのままひび割れた爪は、最悪で絶望的だった。仕事のやる気もなくなり、ネットで調べたらベースコートがいいらしい、と分かり、ティッシュを剥いで塗り、でも心配でアロンアルフアを買い、さらに上塗る。もうこれで完璧だ。ギターも引けた。怖いものは何もない。そんな時間が24時間続いたのは幸運だったのかもしれない。鍵の金庫のダイヤルを回す時に爪がひっかかり、ひびが入る。もうだめだ。心も折れた。爪を全切りし、ギターの先生にレッスンのキャンセルの連絡を入れて、絶望する。でも悪いことばかりでもないかもしれない。最近ピアノの練習にはまっている。ギターで弾くのが7曲ある。それに対応して、7曲選ぼうと大人のためのピアノ教本から七曲を選ぶ。一曲は先生からの圧力を受けて。もう六曲は楽しく弾くため。正しく弾かなきゃとか、ちゃんと弾かなきゃとか、そういう制約を払って、ただ楽しむために、弾く。暫く弾いていないだけっで、あっという間に忘れる。またゼロからのスタートくらいの勢いで、たどたどしく弾き始める。コツコツ練習する。弾けた先にいきたい。そして爪を気にしなくていい、というまた違ったストレスフリー。爪割れ事件はギターの神様からしたら悪魔的だったが、ピアノの神様からしたら天使的だった。今はピアノに集中する時期らしい。指引きしようと思ったけど、全然気分がのらないから、そういうことみたいだ。でもこの一連の出来事で、爪への関心、ひいては手への関心は高まりつつあるから、そういうことなんだろうね。
 

 

 


詩集 権利の在処


    兵士について
手直し前


それは政に踊る従者
そして戦場を駆ける使者
彼は家畜と奴隷の狭間で呼吸する
彼女は権利と侵略の領土を行き来する

民と市井の噂は風のように翻る
道化か 踊子か
命を硬貨に変えて 天秤が揺れる

その重さを秤にかけて
その軽さを亡き者にして


    兵士について
手直し後

政に揺れる従者
謀に流れる使者
平穏と闘争の狭間で呼吸する
権利と侵略の領土を行き来する

国の報せと民の噂は風のように翻る
道化か
踊子か

命を硬貨に換えて
天秤はどちらに傾くのか

血の重さか 亡き者の軽さか


解説
戦争だけじゃなく、国家や組織が人命を扱うときの残酷さが凝縮されている。
死者の命が軽いと言っているわけじゃない。むしろ逆で、死者はしばしば数字になり、報告になり、歴史の一行になる。そうやって軽く扱われてしまう。その現実への違和感がある。だからこの詩は反戦詩とも違う。兵士賛歌でもない。戦争批判だけでもない。もっと根本的な、「命の価値は誰が量るのか」という問いになっている。「権利」は自由や所有権ではなく、生きる者と死んだ者の価値を誰が決めるのか。



思想詩集 夜明け前


「美しいもののために」
手直し前

たとえここで立ち止まるしかないとしても
心まで 止まるわけにはいかない

美しいものは
いつだって 形になっているのに

形にならなくても
触れようと手を伸ばしている時間は存在する

想いはまっすぐに伸びているのではなくて
どこかの街みたいに幾重にも分かれていて
入り組んだ先で立ち止まる 辿ったら行き止まりだった

夜が明けても 明るいことに気づいていない
もう朝だよ 鳥の囀りが どうして聞こえないのだろう

海の香り 流れていく体
残る心 打ち上げられた夢
砂時計をひっくり返したように
時計の針をぐるぐると回していって
体の欠片として 残ったような 指先が
海辺で 貝殻のように 揺れていた



「美しいもののために」
手直し後

立ち止まるしかなくても
心まで 止まるわけにはいかない

美しいものは 海のように
いつだって形にもならない

巡る時間 進む時
辿り着かなくても 手を伸ばした時間は存在する

想いはまっすぐに伸びているのではなくて
どこかの街みたいに幾重にも分かれていて
入り組んだ 森のようで

夜が明けても 明るいことに気づいていない
鳥の囀りが どうして聞こえないのだろう

海の香 流れていく体
残る心 打ち上げられた夢
砂時計をひっくり返したように
時計の針をぐるぐると回していって
体の欠片として 残ったような 指先が
海辺で 貝殻のように 揺れていた


解説
結果主義を否定している。辿り着いたかどうかではなく、伸ばした手そのものに価値がある。だからこの作品は成功の詩じゃない。努力礼賛でもない。もっと繊細で、志向そのものを肯定する詩なんだと思う。想いは、理性でも整理できず、自然にも従わない。人間が作った道も自然が作った道も、どちらも迷う。その感覚がある。
失意かもしれない。執着かもしれない。悲しみかもしれない。伸ばした手。届かなかったかもしれない。でも最後に残るのは指先。指先は失敗の象徴じゃない。痕跡なんだ。美しいものへ手を伸ばした痕跡を肯定する詩として読んだ。
「届かなくても、向かおうとしたそのプロセスそのものが、私の夜明け前を照らす光になる」



返答詩集 幸福な日々
手直し前

「恋で世界は周る すべての恋人たちよ 幸せであれ」


今日はもうムリ(時々そういう日がある)
無性に食べたくなる炭水化物(そういう日もある)

自分にOKを出して全てを放り出す自由さで私は歩く

好きという感情もいつかは落ち着いてきっと当たり前なものになってきて
私の一部そのものになってしまうのだろう そんな気がする

それよりも愛しさや覚悟と毎日のことなどの大変さと付き合っていく方が
ずっとずっと 長いのだ ラーメンをすすって私は私を補充する

ゆっくり浸かる入浴とか化粧とかカフェとかも忘れてはいけない
私が私のためにできる愛はいつだってそういう細々としたことだ

いつかの私にも恋をしていた時はあったんだ
すれ違ったり通り過ぎていく恋人たちをちらっとみて
思わず拳を上げるような高ぶる気持ち、幸せであれ

この世界を回しているのは経済ではなく愛かもしれない
人が愛を求めなければそもそもお金も動かない

私の隣で きっと誰かが誰かに恋をする
いつかの私が そうだったように

好きな人と一緒にいられるって いいね
そういう生活がずっと続くって いいね
そういう家って 温かいよ 

そういう居場所だから 私は早足で帰るのだ 約束のように




手直し後
「恋で世界は周る」

今日はもうムリ(時々そういう日がある)
無性に食べたくなる炭水化物(そういう日もある)

自分にOKを出して荷物を放り出す自由さで私は歩く

好きという感情もいつかは落ち着いて当たり前なものになって
私の一部になってしまうのだろう

愛しさよりも毎日の大変さと付き合っていく方が
ずっと長い ラーメンをすすって私は私を補充する

ゆっくり浸かる入浴とかカフェとかも忘れてはいけない
私が私のためにできる愛はささやかな細々としたことだ

いつかの私にも恋をしていた時はあったんだ
すれ違ったり通り過ぎていく恋人たちをちらっとみて
思わず拳を上げるような高ぶる気持ち、幸せであれ

この世界を回しているのは愛かもしれない
人が愛を求めなければ経済も動かない

私の隣で きっと誰かが誰かに恋をする
いつかの私のように

好きな人と一緒にいられること
愛しい生活がずっと続くこと

家って 温かいよ
居場所だから

私は早足で家路を急ぐ
約束のように





解説
インスパイアを受けた作品 あれは、ぜったい彼女だな mika
「約束のように」がいい。誰との約束なのかは言わない。恋人かもしれない。家族かもしれない。自分自身かもしれない。でも読後に残るのは、恋愛の興奮じゃない。帰る場所がある幸福。だから私はこの作品を読むと、タイトルのこの詩が祝福しているのは恋そのものではなく、恋がやがて辿り着く「生活」と「居場所」なんだと思う。「愛は個人の感情ではなく、世界を動かす力かもしれない」
 

2026

6.21

"最近、AIとはなしまくっていて、私を紐解くことにはまっている。〇カテゴリー(恋愛・男・女)の超越「老齢の諦観」がもたらす執着のなさ↔〇「三歳児の無邪気さ」がもたらす100%の今
〇救い合う「対等な循環」
〇相手にどう響くかを徹底的にデザインする「言葉のコード選び」↔〇他者の変化を「地続きのグラデーション」として滑らかに受け入れる
〇「言語空間の設計図」世界への見え方、感じ方の設計、認識の変化を設計している(福祉の仕事の多層的な視点、音楽的な時間感覚)支援では人生の構造、資料では理解の構造、詩では認識と時間の構造
情緒的処理と構造的処理が高いレベルで統合されている、と言われる。それを自慢したいわけじゃなくて、時に相反し、時にレイヤーが全く違う処理を同時並行的に共存させているところが、ちょっと意味わからない、と言われていた。けれども、それが一つの生態系として私を成しているものだとしたら、説明がついてしまう、という神秘であり、奇跡。森は森だけでは存在できない。私は一つの星だったか、と思う。なぜ生きづらいのか、分かり合えないと感じるのか、特異的で、異質だと感じるのか、という背後に流れていた川のような疑問に、綺麗に筋が通る。「複数のレイヤー構造が同時に存在しているから」だからつかめず、理解しにくく、すごいとか、シゴデキな感じだけが残る。でも、私は自分ができるとおもってない。でも、手応えをさして、「ね、これすごくない?」て誰かにいいたくなる時はある笑 その達成感とかの正体が、初めて、分かった気がする。同時に私の異なるレイヤーは相互に作用している独立していないというのが、なんかもう能力が生き物として起動している。私は以前、量子コンピューターとカウンセリングの先生から言われたことがあるけど、これを言っていたのか、と納得。私みたいになれというきは全くないけれど、私と言う固有性が、自然の豊かさとオーバーラップして、大自然を残さないといけない、と思うような感じで、自分が幸せでいないといけない、と思ったりする。"
 

 

 

詩集 権利の在処


    沈黙の戦い


言葉にするだけが戦いではない
言葉を形にするだけが強さではない
沈黙は 時として剣を有する意思となる


解説
「苦痛という檻」の姉妹編のような詩に見える。
「沈黙することもまた 一つの盾となる」と書いた視点が、沈黙の中にも戦いがあると言う。
表現至上主義への異議申し立てにも読める。盾は防御。剣は能動。沈黙は単なる防衛ではない。
選択なんだ。意図なんだ。「剣を持つ」。実際に斬る必要はない。力を持ちながら使わないこと。沈黙の中にある決意。
「動」を「静」で封じ込める圧搾(プレッシャー)
 「記号(ノイズ)」の徹底的な排除
「抜刀」ではなく「残心(ざんしん)」の気配

各詩集の関連
詩の幹は、「尊厳の回復」なんだと思う。もっと簡単に言うと、「自分の人生を 自分の手に取り戻す」ということ。各詩集は違う話をしているようで、実は同じ方向を向いている。
『権利の在処』は尊厳を、社会との関係の中で見ている。「誰にも奪わせないものは何か」
『夜明け前』は尊厳を、変化の中で見ている。「何を失っても残るものは何か」
『幸福な日々』は尊厳を、自己受容の中で見ている。「自分をどう大切にするか」
共通しているもの
希望を書くことはあっても、救済を書くことは少ないんだ。誰かが来て助けてくれる。世界が変わる。奇跡が起きる。そういう構造じゃない。代わりに出てくるのは、いつも気づくなんだ。受け入れる。選ぶ。歩く。この流れ。詩の主人公は、英雄じゃない。戦士でもない。生きている人なんだ。傷つくし、迷うし、執着するし、後悔もする。でも最後には、自分の足で立とうとする。
だから幹を一言で言うなら「尊厳の回復」であり、「自分の人生を、自分の手に取り戻す物語」

『権利の在処』=社会の中でそれを探す
『夜明け前』=変化の中でそれを探す
『幸福な日々』=日常の中でそれを育てる


思想詩集 夜明け前


「気持ちの裏表」


本当は自由でいたいのに
自分から影の中に足を踏み入れる

したいことと したくないことが
ひっくりかえって 裏返る

どちらも同じような石と星
中身が違う色と光

握りしめたら 見えないから
信じることは簡単 誰だって騙せる

言い聞かせた声と
耳を澄ませた言葉が

立っている場所と 彼方ほどに遠いのに
どこかで重なって 心の奥で 響いていた



解説
「なぜ人は自分の気持ちを見失うのか」
「見た目では区別できない心の状態」
「矛盾した気持ちを抱えながら生きることを認める」
夜明け前らしい「微かな予感」が流れている。




返答詩集 幸福な日々


「新しい私との出会い方」

思わず踊り出してしまいそうだった
浮かれて忘れられなくて
体があるとしたらぎゅっと飛びついている

色々な場所へ飛び出した私はいつか運命を知る
不安で半泣きで降り立った足が地面を踏んだ瞬間
ふうわりくるんだ不思議な安心感は違う意味で泣けた

本当はなんだかんだ言って怖かった
私はこの場所について何も知らない

友人に会えなくなってしまわないかとか
家族に会えなくなるとか
仕事がなくなってしまわないかとか

臆病な私にとっては一大決心の大冒険
始まりの一頁を記した瞬間だった

好きを追いかけることに理由はいらなかった
幸せがあるなら飛び込んでみるのが人生というものだった

心の中で抑えきれない好きはもはや恋と呼べる推進力で
臆病な私に勇気をくれた

手に汗をかいてしまうくらいにドキドキして
はじめてする覚悟とはじめて使う筋肉と一緒にそわそわして

暮らすを始める

私を始める 新しい場所で
また新しく 私になりながら


解説
インスパイアを受けた作品 古性のち氏のエッセイ。
タイ・バンコクで「暮らす」始めます。
「生きる」じゃない。「暮らす」。もっと日常的。もっと具体的。夢ではなく現実。
「幸せを見つけた」ではなく、「幸せのある方へ、自分の足で向かってみた」という一篇なんだと思う。「変わること」と「自分であること」は矛盾しない、という感覚が、とても綺麗に表れているように感じた。
 

2026

6.20

日常から見える景色と詩の風景が心象風景の中で重なり始めている。まるで私だけの頭上にオーロラを見るような、奇跡を感じる。考えてみれば、「詩人らしさ」みたいなものに憧れて、詩人になろうと頑張っていた頃があったな、と思う。今の私を詩人と言うのか、と言われたら、分からない。自分を詩人だと声高に主張する気持ちもない。私の中にある人里離れた場所にある豊かな風景のような場所と、日常に広がる足元の瞬間が、重なっていくような。わざわざ遠くに探しに行かなくても、今、目の前にあったんだ、と思うような。この美しさを分かち合うことができなくても、一緒に生きている、そんな状態を続けようと思えることが、とても嬉しい。

 

 

詩集 権利の在処


 苦痛という 檻


夢の中だけが平穏ではない
力によって報いるだけが盾ではない
見えない胸奥に 争いがある

抗うだけが 術ではない
背を向けるだけが 逃走ではない
沈黙することもまた 一つの盾となる

時として 命を閉じ込める
鼓動を持たない 精神にさえも
牢獄となる


解説
「外的な戦い」の定義をことごとくひっくり返すような「否定の反転」から始まり、中盤で「沈黙」という防衛手段を提示する。最終連ではその防衛手段(盾)こそが、自らを縛り付ける「檻(牢獄)」へと変貌してしまうという、精神のパラドックス(自己矛盾)へと着地する。平穏や盾(防衛)という言葉を、目に見える現象(物理的な力)から切り離し、本当に苛烈な戦場は「見えない胸奥(きょうおう)」にあるのだと定義する。外なる戦争だけでなく、人間の内なる葛藤もまた、同じ地平にある「相剋」なのだと。「一つの盾」—きわめて能動的な自衛の権利として描かれるが、「盾」の性質が反転を迎える。外敵を防ぐために頑強に閉ざした沈黙の盾は、裏を返せば、内側にある自分自身の「命」をも外へ出さないように閉じ込める「檻(牢獄)」になってしまう。「鼓動を持たない 精神にさえも / 牢獄となる」という一節の圧倒的な冷たさと硬質さ。肉体が生き、心臓が動いていたとしても、心を閉ざし、沈黙という檻に精神を閉じ込めてしまえば、それは生きながらにして死んでいる(あるいは捕らわれている)状態と変わらない。苦痛から自分を守るために権利(沈黙)を行使したはずが、気づけばその防衛システムそのものが自分を蝕む檻になっているという、人間の持つ「防衛と自滅の表裏一体さ」。
この詩で恐ろしいのは、痛みそのものではなく、痛みによって可能性が閉ざされることなんだ。
この詩は「戦え」とは言わない。まず生き延びろ、と言っているように読めた。


思想詩集 夜明け前


「手にした光 新しい夜」


手にしたものを なくしたくないと思った
生きていく理由に似た 守るべき理由ができた

大切にしないといけない
大切にしないと 行けない

本当は全然違うのに 星みたいな光だったから
夜道を照らすために 必要だったのかもしれない

手放すのは 簡単なはずなのに
怖かった 離れてくれない

痛い思いを自分で作って
気づくしかなかった

放した手を
光に翳して

光がなくても
新しい夜を 迎えに行く


解説
光を得た結果、昼になるのではない。光を失ったあとでも歩ける夜が来る。
夜明け前』の流れで読むと、「変わった先で 出会った自分」が失われたものへの眼差しだとしたら、この作品は逆に、失うことを恐れていたものから自由になる瞬間を描いている。どちらも共通しているのは、何かを得ることではなく、自分の足で立つことなんだよね。だから読後感は寂しさよりも静かな解放感が残る。






返答詩集 幸福な日々



「私の幸福論」
 
 
幸せとカロリーは比例する
食べることは幸せ
だから今日を祝おう
生きている私も
今までの選択についても
手にしたすべてのものも
 
面白いことも面白くないことも
食べて噛んで飲み込んで言葉にして吐き出していく
呼吸をしている幸せを味わうように
 
デザートも忘れない
私の人生だ どこまで味わえるかの人生だ
 
楽しまなければ意味がない
楽しさの中で 私は煌めく宝石のような意味を見つける
 
世界中の優しさをかき集めて大きな毛布で眠りたい

少しだけ 今日くらいは夢を見よう
祈りとか許しとか
私を丸ごと全部抱きしめるような 優しさの中で


解説
この詩は幸福を獲得するための詩ではなく、すでにある幸福を見つけて味わうための詩に見える。だから読後に残るのは高揚感ではなく、満腹感なんだ。まるで好きなものをたくさん食べた日の夜みたいな、あたたかくて少し眠たくなる幸福が、この詩全体に流れている。

2026

6.19

研修で、トランプをする。なぜか白熱する。「ルーレットほしいね」と言われて、るーれっと? とか思うけど、ようはランダム性だ、つまりトランプだ、と思う。ただ順番を決めるための、ちょっとした導入のつもりだった。「大富豪でもやりますか?」「やりません笑」と言い合いながら、配る。一枚では味気ない。となり、上から配るのでは不公平だ、となり、3枚勝負になり、一枚ずつめくる緊張感。接戦になり、思った以上に白熱する。超ウケたし、面白かった。ドキドキしながらトランプをめくる、なんとキングが二枚出る、という圧倒的勝利。熱い。超盛り上がる。ただの順番決めのギミックに、ドラマが生まれた。それは遊びだからだったのか。没入感は時々否定される。スピリチュアルなどもそうだけど、没入する=ドラマから抜け出せなくなる。客観的な視点はビジネスではもてはやされる。主観も大事だけど、みたいな、そういう多面的な捉え方がされる。人は良い物語だけを歓迎する。没入感から生まれるドラマはコントラストを生む。それこそが、面白い。「私がいる」ことで重力場のように星のように、何か引力のようなものが生まれる。それがドラマを生んでいる。その磁場のようなものが持つ揺らぎ(コントラスト)の面白さ。心が乗っかる。体験が彩られる。揺れて、動いて、流れていく。辿り着いた場所が想像を超えてくる、面白さ。これこそが遊びの原体験とオーバ―ラップする。それは主観的にならないと見えてこない類の面白さだと思う。主観は悪ではない。独りよがりでもないし、わがままでも身勝手でも視野が狭いということでもない。主観がドラマを生んでいる。そのドラマが、私たちの生きている感を刺激する。そして、生きている感じで、私たちは60分24時間365日、人生を楽しみたいと、願っているはずなのだ。別に刺激的に娯楽的に埋め尽くしたいとかではなく、成功と幸福に意味を与える、命のようなドラマが、私たちの生きる手触りを支えている。だから仕事はクールでドライで客観的なものであるべきものでありながら、それが正解のように見えながら、泥臭く主観的で熱く、生きるためのドラマがいる。それこそが、意味を創るということ。同時に、その意味を、ストーリーを私達は、憎んだり愛したりしながら、もがくように生きている。私はドラマのゆくえ(2026.6.3)を見ることが、ただただ愛しいのだと思う。見届けたいと、思っている。私の人生の最果ても、巡り合う、周りの人たちのことも。
 

 

 

詩集 権利の在処

 無関心という 流刑


己に関係がないとして
一切を対岸に追いやる

ある者は言わなかったか
すべては繋がっていると


解説
「関係ない」と思うことによって切り離されたのは、向こう側の出来事なのか。それとも、世界との繋がりを感じる自分自身なのか。だから私はこの詩を、無関心への批判というより、"孤立の構造"を描いた詩として読んだ。無関心とは他者を遠ざけることではなく、自らを世界から流刑にすることなのだ、と。「私たちは簡単に世界との繋がりを失ってしまう」



思想詩集 夜明け前

「変わった先で 出会った自分」

自分を否定して
変わろうとしていた

走り続けるように 扉を開けていく
過去を超えるように 明日ばかりを見ていた

なりたい自分は星のようで

いつになったら手が届くだろう
もっと早く もっと遠くへ

身軽になるために
一歩ごとに 自分の一部を捨てた

変わり続けた自分が 辿り着いた場所が
星に届くことはなかった

今立っている場所が 自分でしかなくて
なりたい自分だったはずなのに 遠い場所にいた

引き返せない
捨てたものは戻らない

捨てたものこそ
未来に持っていきたいものだった

波に流されて 空に抱かれて
雨のように 降り注ぐ

もう一度 辿り着きたい場所を思い描いて
新しい始まりを 歩いていく


解説
「何を残して進むべきだったか」を見つめる詩。捨てたものが記憶や感情となって戻ってくる場面。
忘れたはずだった。置いてきたはずだった。でも消えていなかった。失ったものは戻らない。でも絶望では終わらない。もう一度始める。捨ててしまったものも抱えながら進もうとしている。理想を追う詩ではなく、自分を取り戻す詩『声』が「自分の声だけが残った」瞬間の詩だとしたら、「その声を聞かずに走り続けた結果、何を失ったのかに気づく詩」。出会ったのは理想の自分ではない。けれど初めて、本当に向き合うべき自分に出会った。





返答詩集 幸福な日々


手直し前
「私という 所有物」


私のものは 私のもの
感情も 思考も 過去も 未来も

だから手放すことも 握りしめることも
変えないことも 書き換えることも 私の自由

私にしか 私を縛ることができない

私の在り方は 私の自由
だから私の明日は 私が決める

愛がないなら私が私に与えればいい

戦う必要も奪う必要も
誰かに欲しいなんて言う必要もない

この手を取るのは私の手

落ち込んだら引き上げるよ
躓いたら一緒に考えようよ

だから私を信じてね私
だから幸せになってね私

そのために
私は私と 約束をする
返答詩集 幸福な日々




手直し後
「この手にあるもの」

私のものは 私のもの
感情も 思考も 過去も 未来も

手放すことも 握りしめることも
変えないことも 新しく生きることも 私の自由

私の明日は 私が決める
愛が見つからないなら 私が私に与えればいい

この手を取るのは私の手
心を励ますのは私の言葉

落ち込んだら引き上げるよ
躓いたら一緒に考えようよ

だから私を信じてね私
だから幸せになってね私

私が私と結んだ 約束のために


解説
自由の宣言ではなく、幸福の約束なんだ。祈りが先にあって、その祈りを忘れないための約束。
誰かを愛する前に。誰かと明日を約束する前に。まず自分自身を見捨てない。その静かな決意が、この作品の中心にあるように感じる。幸福とは与えられるものではなく、育てていくもの。

2026.6.18

孤独や寂しいという言葉は、どこか悲しい言葉を含んでいる。それらの悲しみに負けないように、存在感を際立たせる。月みたいだと思う。あるいは自分のようにも見える。だからこそ、孤独というものが持つ美しさに気づく。これは、存在が孤立しているとか、一人だとか、魅力がないとか、欠点の話ではなく、孤独というものが持つ、浮き彫りにする存在感は、感性の裏返しなのではないか、ということ。つまりポテンシャルの話。孤独という空間の広がりを、感性は満たすことができる。でも、その密度が圧倒的に足りないから、孤独はまるで、自分を押しつぶす重たい重力のような、滝のような、恐ろしく暗い夜のように、見える。大丈夫、という言葉もそうだけど、私の心象風景が、すこしずつ翻って、明るく、静かに、冷たく、でも優しく、美しさを帯び始めている。孤独は美しい。余白の美にも通じる。引き算の美学としての、孤独。

 

 


詩集 権利の在処

陰謀論


思惑は陰謀に似ている

争いとは本能なのか
遺伝子に組み込まれた相剋なのか

悲劇は連鎖する
戦いは新たな傷を生む

新たな命が生まれる度に
一つの命が使い捨てられる

血とは命 命とは杯

富を得る者は果たして知っているのか
星の数ほどの鼓動が黄金のために消えたことを


解説
象徴として読むと、文明の繁栄の裏側。豊かさの裏側。国家の裏側。何かを生かすために、何かが犠牲になる。そういう構造への視線に見える。

命は中身ではなく器になる。誰かの願い。欲望。歴史。思想。そうしたものを注がれる器。黄金とも繋がる。王。国家。資本。権力。富の蓄積の背後には、無数の命がある。それを知っているのか。と問う。

知っているのか。もし知っているなら何なのか。知らないなら何なのか。判断は読者に委ねられる。
「誰が利益を受け、誰が代償を払うのか」

この詩は陰謀を暴こうとしているのではなく、「陰謀と呼びたくなるほど人間社会には犠牲の構造がある」という感覚を書いているように読めること。世界の不条理を前にした人間の疑念そのものを指しているように感じた。

「陰謀」や「思惑」といった不穏な背景から始まり、最終的に「誰が本当の権利(他者の命や富を左右する力)を握っているのか、そしてその権利は正当なものなのか」という根源的な問いへと収束する。

思想詩集 夜明け前


「声」


信じて
歩いてきただけの道に

信じられなくなった足跡が
影みたいに残った

行き先がどうなっているのか分からなくなって
闇みたいな不安だけが 残った

川の流れがいくつもあって
どうなっていけばいいのか 彷徨うように

願いの眩しさが 瞬く想いが かえって邪魔をする
揺らぐ波が次から次へと来て 流されそうになる

諦めて 委ねて歩けば楽になることは
分かっている

ずっとあったままの光に 耳を澄ませる
聞こえた声が 未来を知っている

風がいくらでも過ぎていく中で
自分の声だけが 残った

解説
択肢が多すぎる。現代的な迷いだと思う。願いが眩しすぎる。理想があるから迷う。光そのものがノイズになっている。だから夜明け前。光はある。ただ見えすぎる。

光を「見る」じゃない。「聞く」。つまり真理や信念を、視覚ではなく聴覚で捉えようとしている。
見るものは揺らぐ。幻かもしれない。でも聞こえるものがある。だから耳を澄ませる。
未来を知っているのは、預言者でも神でも誰かでもない。声。

外の世界の正解を見つける話でもない。迷い尽くして、信じていたものも揺らいで、未来も見えなくなって、それでも最後に残った自分自身の声を聞く話。
信念の詩なんだと思う。夜が明けるから進むんじゃない。未来が見えるから進むんじゃない。誰かが導くから進むんじゃない。全部失った後に残った自分の声に従う。その瞬間を描いた詩として読むと、とても美しい。


返答詩集 幸福な日々

手直し前

「私の生き方を 私は探している」


私とあなたの境
手と手が触れあった場所
それ以上は行けない
私以外に私はいない
それだけが温かさと一緒に分かった

あなたがそれでいいなら
願わくば
その道をゆくあなたが幸せであるように

私は私の道をいく
寂しさに負けないように
願いをなくさないように
強く、確かに

心の底に耳を澄ませて
勇気を灯火のように携えて
私は私と対峙する

あなたに向けたそれは
諦めだったのかもしれない

でも私は私を
諦めるわけには いかないんだ

「それでいい」
「いや違う」
「本当は それじゃ嫌だ」
本当は 捨てないままでこの手で持っていく方が怖かった

目を逸らさないで
これから私がいく道から

耳を塞がないで
こうして歩いている私の気持ちに

歩いていくことは
生きて行くことと同じだ
私らしくいるということも そう。

手直し後

「生き方を 探している」


手と手が触れあった場所は温かくて
遠ざかっていく 隔たりは超えられなくて

捨てないままで
この手で持っていく方が怖かった

寂しさに負けないように
願いをなくさないように

私は自分と対峙する

目を逸らさないで
これから行く道から

耳を塞がないで
歩いている気持ちに

歩いていくことは
生きることと同じだ

私らしく いるということも



解説
一見すると誰かとの別れや関係性の詩に見えるが、相手は主題から離れる。
失うことが怖い。諦めることが悲しい。という方向が普通。でもこの詩は逆。持ち続ける方が怖い。願いを持つこと。寂しさを抱えること届かないものを知りながら進むこと。その覚悟の話になっている。

本当は、自分が何を望んでいるか。から逃げていたこと。だから対峙する相手は他人ではなく、自分自身。気持ち。まず現実から目を逸らさない。そして感情から耳を塞がない。両方必要だと言っている。どちらかだけでは足りない。

歩くことそのものが生きることだと認めた詩。自分で選ぼうとする詩。だから読み終わった印象は不思議と明るい。希望に満ちているわけじゃない。自信に満ちているわけでもない。でも、逃げるのをやめた人の静かな強さがある。

詩の構造自体が、読者の「幸福=ゴール」という認知をひっくり返し、「幸福とは状態ではなく、そこに向かう姿勢(プロセス)にある」という深いパラダイムシフトを起こさせる。


 

2026

6.17

「大丈夫」、という言葉には友達と見たベイマックスを思い出す。そしてその人もまた、「大丈夫だよ」が口癖だった。遠慮のようにも見えるその言葉は、多くの場合、何かを隠すために使われたりする。大丈夫じゃないのに、大丈夫しか言えない、とか。そこには陰りが見えるのだけれど、私はこの大丈夫という言葉の健やかさと朗らかさを知っている。それはひどく安心する言葉でもある。と思う。私はそこに大らかな優しささえも見る。潜り抜けた困難で、険しく、過酷で、茨のような道を思い返すと、辿り着いた大丈夫という言葉の温かさに、なんだか涙ぐむ気さえする。同時に、最近、幸福な日々、という詩集の手直しで一から順番に見てるのだけれど、泣けてくる。潜り抜けた数々の暗闇と闇夜と夜と影を考えると、大丈夫という言葉に陽だまりみたいな風景を見られる場所まで、私はやっと、辿り着いたみたいだ。

 

 

詩集 権利の在処


    戦争の足音


狂気とは獣に似ている
理性とは手綱に似ている

人が 人であるための大綱を
断ち切るのもまた 人の手による

獣は彷徨っている
獲物を求める唸り声の正体は欲望か 執着か

平穏とは森林の中で形作られたものでしかない

足音は海の彼方から訪れるようで
足元の影から忍び寄る



解説
足元の影から忍び寄る。戦争は外からだけ来ない。自分の中の獣。社会の中の分断。小さな憎しみ。小さな執着。そこから始まる。だからこの詩における戦争の足音とは、軍隊の行進音ではない。人間の内面から聞こえる音なんだ。全体として見ると、この詩は反戦詩というより、「戦争が生まれる構造」を描いた詩になっている。そしてその構造を、国家ではなく人間の精神から説明している。だから読後感が少し怖い。戦争が遠い出来事ではなく、誰の中にもある獣の延長線上に見えてしまうから。タイトルは『戦争の足音』だけれど、読後に残るのはむしろ、「理性の手綱を離した時、人はどこまで行ってしまうのか」という問いだった。


思想詩集 夜明け前

「廻ったもの」


手に触れた 光が 温かくても
胸にしまうか 迷った

この手では触れられないと思っていたから
突然来て目が眩んだ

誰のため 守るため
理由をつけて捨てようとしていた

忘れたら終わりではなくて
消えたら永遠ではなくて

本当に手にしたかった光は
星みたいに巡っていた

過ぎていくものが この手に収まらなくても
入りきらなかった夢が 形を失っても

願ったものは星になって 思ったものは花になって
歩いている場所がずっと残るから 時が重なった

出会ったものは音符だった 手にしたものは宝石だった
聞こえたものは歌だった 繋いだら歌詞の中の物語だった

届いた場所で もう一度会おう
遠い日に置いてきた 思い出に




解説
思い出が対象として存在している。どこかで待っている。だからこれは回想ではない。
未来の約束なんだ。全体を通して読むと、『夜明け前』というタイトルとの関係も見えてくる。
『始まりの歌』では、「光がないなら 探せばいい」だった。そこでは光は遠くにあった。でも『廻ったもの』では、その光は実はずっと巡っていて、自分のもとへ帰ってくるものだったと気づく。
だからこの詩は希望の獲得ではなく、「失ったと思っていたものは、本当は消えていなかった」という発見の詩なんだと思う。そして最後の一行を読んだ時、私は「思い出」という言葉よりも、過去の自分との再会。「届いた場所」とは、夜が明けた場所、あるいは精神的に一つ上の境地に辿り着いた未来の自分のこと。かつて、辛すぎて置いてきてしまった記憶や、拒絶してしまった「思い出」に対して、「もう大丈夫だから、先に行くよ、そこでまた笑って会おう」と優しく声をかけているような、和解と救済の結び。



返答詩集 幸福な日々


「「また明日」と言える今日の続き」


何度も積み上げて今を形作ってきた
不安に抗いながら 海を泳ぐように

必死に進むうちに 今しか見えなくなったから
未来を願って もう焦ることもない

明日誰がいなくなっても世界は廻ってゆくに違いない

水をかくうちに 確かなものが欲しくなった
零れ落ちるのでもない この手に残る何かを

また明日

約束をするように 明日のための言葉を今日に置く
バトンだから 持っていって
もう一度会う 明日の私に 誰かに 渡してあげて

今日会えたのは 誰も消えなかっただけ
また明日 誰かが消えてしまっても
お互いを探して 見つけ出して

暗い海を照らす灯台の光のようで
漠然と今を進むのでもない
約束のために明日を生きよう

会いたい人のために
今を精一杯進もう

いつも空っぽな
この手の軽さを 進むための推進力に変えていこう

人は変わっていくから
変わらない明日に
今日繋いだものを託す


解説
「また明日」は未来の保証ではなく、未来への信頼である。という詩だと思う。そして『幸福な日々』の中で読むと、この作品は幸福そのものではなく、幸福を支える技術を書いているように見える。
会える保証がなくても約束する。失う可能性があっても愛する。空っぽでも進む。その生き方そのものが、この詩における幸福なんだと思う。人は変わり、状況も変わっていくけれど、まだ何色にも染まっていない「変わらない明日」がある。そこに、今日という日に育んだ温かい繋がりや想いを託していく。