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私が中学校で燃えたのは、部活と、勉強でした。
小学4年の終わりから通い始めた地元では評判の進学塾の塾長が怖くて、
でも、覚えるのも楽しくて(特に英単語)、
中学に入る頃には、だいぶ予習ができている状態でした。
そして、初めての定期テスト。
塾長のアドバイスを素直に守り、1日約4〜5時間の勉強をしました。
(休みの日は、1日8時間くらい)
そしたら、5教科250点満点中、232点。
学年の順位は、約330人中、6位でした。
その結果に自分でもびっくりしてしまいましたが、
父も母もとても喜びました。
特に母がよく言ってくれたのは、
「お茶刈りで急な斜面とか大変なところの仕事になった時は、
『2・3・2、2・3・2』(232点が嬉しいってこと)って言いながら
仕事がんばっているんだよ。」
という話でした。
それが、わたしはとっても嬉しかったし、誇らしかったんです。
それ以来、私は常に学年3位以内の成績を3年間続けることができました。
初めて学年1位になった時は、
「これ以上の成績ってないんだなあ。自分には、追いかけるものがないんだなぁ。」って
何だか、孤独感・虚無感みたいなものを感じました。
テスト前になると、夜中の1時くらいまで勉強をして、
そこから1時間素振りをして、
お風呂に入って2時過ぎに寝るみたいなことをしていました。
夜中のお風呂は怖かった。
「なんでこんなに頑張っているんだろう?」
って少し思ってはいましたが、
当時はその理由がわかりませんでした。
さらに、馬鹿話が好きだったので、
テレビも見たいものは見ていたし、
ガリ勉という感じはありませんでした。
そして、姉がお洒落さんで、一緒に古着を買いに行ったり、
時には東京まで買い物に行ったりしてくれて、
私は友達から「おしゃれだね」と言われることも多かったです。
だから、何だか、中学時代の私は、
「勉強もできて、
部活も頑張っていて、
お洒落で、面白い、完璧な人」
のように言われることがありました。
(自分で言うのも、かっこ悪いけど)
「○子さんは、天才!」とか
「○子さんてすごすぎる!」とか
「○子さんは〇〇小学校の星だ!」とか言われました。
当時の私は、謙遜していましたが、
心の中で
「私がどれだけ努力していると思っているんだ!」
「私ぐらいに努力すれば、誰だってできるのに。」
と、私を褒めちぎる人を馬鹿にしていました。
今になって思うのは。
この時に周りからもらった全能感みたいなものや
親の期待に100パーセント応えられているという満足感が、
いまだに忘れられないのだということ。
「本当に、自慢の娘だ。」
「○子ほどの頑張り屋さんはいない。」
「○子さんは、すごすぎる。」
そんな声がいまだに、こだましてしまうんです。
「昔とった杵柄」ということわざの意味はよくわかっていないけれど、
杵柄にまだ執着しているのだと思います。
だから、
新しい職場へ行ったり、新たな出会いがあると、
また中学時代のように
「すごい人」「完璧にできる人」
って思われたくて、頑張りたくなってしまうのかなと、
昨日娘に話しながら1人で納得していました。
中学時代の輝かしい過去をいまだに引きずっている私。
でも、そんな私に気がつけて、良かった。
また頑張りすぎるだろうけど、
そんな時は、
「あー、また中学時代の杵柄、欲しがっちゃてるねー。」
って笑えたらいいな。
この写真もネットから。
(セーラー服でしたが、こんなに可愛くはありませんでした・・・チーン)
さてさて、次は、輝かしい中学時代から一転。
暗黒の高校時代について書いていきます。(お楽しみに!!)