37歳の時に知的なしの自閉症スペクトラムと診断された現在40代半ばの兄のことを書いています。
兄の怪我はマラソン中にこけたわけでも交通事故にあったわけではなく、ひき逃けでした。
↓関連記事になります。
ここから再掲載になります。
改めていま読み返すとなんとも言えない気持ちになります‥‥。
再掲載↓
兄は昔から周りの人とよく衝突していまし
今日は息子たちのことではありません、私の兄のことを書いてます。
ブログにも何度か書いていますが、私には兄が2人います。
長兄は健常者で既婚、子供が2人います。
転勤族でいまは仕事の関係で関東にいます。
次兄は独身、いまは実家で暮らしており、37歳の時に知的なしの自閉症スペクトラムと診断されました。
この次兄ですが、昔から事あるごとに「障害者差別」発言が多かったです。
いまは引っ越しされておられませんが、昔養護学校をされている先生が実家の近所に住んでおられました。
よく生徒さんが遊びに来られていて、私も何度か一緒に遊んで頂いた記憶があります。
なかには言葉を話されず、叫んでいた生徒さんもいらっしゃった記憶がありますが、言葉は話されなくてもその方はニコニコされていて、とても優しかった印象でした。
長兄とわたしは何度か遊んでもらいましたが、次兄はいつもその場には来ませんでした、「気持ち悪い」と言い‥‥‥
当時、わたしが小学生中学年位でしたので、次兄は中学生位だったので自分の意思はしっかり持っていたと思います。
他にも事あるごとに「ガイジ」発言も多く。
※ガイジ=障害児という認識で話してたのだと思います。
実家周辺にその土地に住んでる人なら誰でも知っている精神病院があるのですが、その前を通る度に、その施設に入所されている方へのバカにした発言。
極めつけは長男が発達障害と診断されたことを話した時に出た言葉は、態度(ここには書きませんが)一生私は忘れません。
長男が診断されてから数年後、私が兄に指摘したことがあるんです、あなたも発達障害ではないかと。
長男の特性などを勉強していくうちに、兄も間違いなくそうだと思ったから。
すると兄は「俺を障害者と一緒にするな!」とぶちきれていました。
その数年後、とあるきっかけがあり(また書けたら書こうと思います)自身で発達検査を受けることを決め、その結果あれだけ毛嫌いしていた障害者当事者に兄はなりました。
あれだけ下にみていてバカにしていた障害者に自身がなった時、兄は一体どんな気持ちだったのでしょうね。