孤独を否定するのではなく、孤独を抱えたまま歩く。寂しさを消すのではなく、寂しいまま自分で決める。
なかなか一歩を踏み出せない人がいる。
失敗するのが怖いからだろうか。
もちろん、それもあると思う。
でも、本当に怖いのは、
失敗することではなく、
そのとき、一人になってしまうことなのかもしれない。
新しいことに挑戦するとき、
人は少しずつ、それまでいた場所から離れていく。
誰かが敷いてくれた道ではなく、
自分で選んだ道を歩き始めるからだ。
正しいのか。
間違っているのか。
このまま進んでいいのか。
答えは、誰も教えてくれない。
そんなとき、
誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしくなる。
自分の選択は間違っていないと、
誰かに背中を押してほしくなる。
寂しくなれば、誰かに電話したくなる。
苦しくなれば、誰かに頼りたくなる。
それは、人間だから当たり前のことだと思う。
私だって、そうだ。
強い人間だから、一人で歩いてきたわけではない。
不安になることもある。
寂しくなることもある。
誰かに分かってほしいと思うこともある。
それでも、
最後の最後には、
自分で決めなければならないことがある。
誰かに手を握ってもらったままでは、
越えられない場所がある。
なぜなら、
その挑戦は、
誰かの人生ではなく、
自分の人生だからだ。
自分で決めたことなら、
うまくいっても、
失敗しても、
最後は自分で引き受ける。
そこから逃げてはいけない。
孤独は、決して格好いいものではない。
寂しさも、隠す必要はない。
夜、一人になったとき、
「本当は怖い」
と思ったっていい。
「寂しい」
と思ったっていい。
泣いたっていい。
ただ、
その寂しさを埋めるためだけに、
誰かの人生にしがみついてはいけない。
自分の人生を歩くためには、
いつか一人で立たなければならない時が来る。
その一歩は、
たぶん、とても怖い。
誰もついてきてくれないかもしれない。
振り返っても、
誰もいないかもしれない。
それでも、
自分で決めた道を、
もう一歩だけ歩いてみる。
孤独も、
寂しさも、
無理に隠さなくていい。
それは弱さではなく、
自分の人生を、自分で生きようとしている人が感じる痛みなのだから。
そしていつの日か、
一人で歩いてきた道を振り返ったとき、
あのときの孤独も、
あの夜の寂しさも、
それが自分をここまで連れてきてくれたのだと、
いつかはっきりと実感できる日が来る。
『 自走 』
のうのうと、
与えられた仕事だけでは不十分なのだ。
与えられた業務範囲を、
時にはその範囲を越えて、
結果を出すための、
自分なりの仮説を立てて実行する。
新しいサイクルを、
努力して実行すればプラス。
努力もせず、
同じことを繰りかえしていればマイナスである。
自分から走り出して、
それで1年動いて見て、
プラスが100個、
マイナスが99個。
成長とはそんなものではないだろうか。
『 マフィア型経営 』
私は冗談で、
自分の経営を、
「マフィア型経営」
と言うことがある。
もちろん、
反社会的という意味じゃない(笑)。
私が言っているのは、
仲間に対する結束のことだ。
血がつながっていなくても、
兄弟のように考える。
仲間に何かあれば、
絶対に守る。
だから、
安心して仕事をしてくれ。
その代わり、
みんなで豊かになるために、
みんなで利益を出そう。
一人で戦うんじゃない。
チームで戦おう。
仲間を置いて逃げるなど考えられない。
そんな関係だ。
「上に立つ人」の仕事は、
この関係をつくることなんじゃないかと思う。
上に立ったから、
偉くなるんじゃない。
上に立ったからこそ、
誰よりも人の面倒を見る。
誰よりも責任を取る。
誰よりも、
最後まで逃げない。
本当に守ってくれる人がいる。
失敗しても、
最後まで向き合ってくれる人がいる。
そう思えた時、
人は安心して力を出せる。
人の上に立つとは、
人を上から動かすことではない。
むしろ、
下から支えることなのかもしれない。
みんなが気持ちよく走れるように、
泥をかぶる。
誰かが転びそうになったら、
手を出す。
誰かが転んだら、
一緒に起こす。
そして、
何かあった時には、
最後は自分が前に出る。
そうしているうちに、
どちらが上で、
どちらが下なのかなんて、
分からなくなる。
たぶん、
それくらいで、
ちょうどいい。
『 ポエム58の夜 』
かつて、
「56の夜」という文章を書いた。
人に騙され、
裏切られるかもしれない。
そんな恐れは、
いつだって、
誰にだって存在する。
それでも、
相手を信頼する姿勢、
それを変えようとは思わない。
そう書いた。
今でも、
間違っていたとは思わない。
人を疑って生きるくらいなら、
信じて、
騙された方がいい。
付け込まれたっていい。
痛い目にあったっていい。
意味のない痛みなど、
この世にはない。
ずっと、
そう思ってきた。
でも。
今度ばかりは、
少し違う。
怒っているんじゃない。
腹を立てているわけでもない。
ただ、
残念だった。
本当に、
残念だった。
信じていたからだ。
何ができるとか、
できないとか。
そんな話ではない。
もっと、
その人そのものを、
信じていた。
長い時間を、
同じ方向を向いて歩いてきたと、
思っていた。
だから、
いろいろなことを話した。
いろいろなことを任せた。
仕事だけじゃない。
その人の大切な人たちのことも、
その先に続いていく人生も。
余計なお世話だったのかもしれない。
人には、
自分の人生を選ぶ自由がある。
どこへ行くのか。
何をするのか。
そんなことを、
他人が決めることはできない。
そんなことは、
嫌というほど分かっている。
昔の自分なら、
最後にこう書いたと思う。
新しい道でも頑張ってほしい。
これからの人生が、
素晴らしいものになることを願っている。
でも、
そんな綺麗な言葉を書いたら、
嘘になる。
ただ、
人生の大きな決断をしているのだ。
もう一度だけ、
立ち止まって考えてほしい。
目の前に見えている景色は、
本当に、
そこにある景色なのか。
今見えているものだけでなく、
その先に何があるのか。
そして、
その選択が、
自分の大切な人たちの未来にも、
本当につながっているのか。
ここは刹那的な自分だけの気持ちで、
後先考えずに判断しては絶対ダメな場面なのだ。
いつもこんなことを繰り返してきたのだろう。
何故自分のところで終わらせられなかったのだろう。
全部を見て、
それでも進むというのなら、
僕が言うことではない。
人生は、
自分で決めるものだ。
「56の夜」で、
人生を豊かにするもの、
それは、
人と人との出会い。
そう書いた。
今も、
そう思いたい。
人を信じることを、
怖いと思ったことはなかった。
騙されたっていい。
裏切られたっていい。
また信じればいい。
そう思って、
58年生きてきた。
でも、
今夜ばかりは、
そう簡単には思えない。
信じた人に失望するというのは、
思っていたより、
ずっと、
痛い。
ポエム58の夜に。
『 表情という「見てくれ」 』
「人は見た目ではない。」
よく耳にする言葉だ。
私も、その考え方には賛成。
人として本当に大切なのは、中身だ。
しかし一方で、私は思う。
人に不快な思いをさせない最低限の身だしなみや、相手が安心できる表情は、大切なマナーではないだろうか。
私はそれを、「表情という見てくれ」と呼んでいる。
人の状態や心は、不思議なほど表情に表れる。
元気な人には笑顔が多い。
心に余裕がある人は、自然と穏やかな表情になる。
もちろん、誰にでも落ち込む日や疲れる日はある。
それでも、人と接するときに少しだけ笑顔を意識する。
それだけで、その場の空気は大きく変わる。
私は子どもの頃から、人を笑わせることが好きだった。
今でも営業や打ち合わせの前には、
「今日はどんな一言で場を和ませようか。」
そんなことを本気で考えている。
なぜなら、人は良い状態でなければ、良い仕事はできないと思っているからだ。
会議でも、商談でも、最初に笑顔が生まれるだけで空気が変わる。
意見を言いやすくなる。
お互いの距離が縮まる。
結果として、合意形成も早くなる。
私は、これまで多くの人を見てきた。
仕事ができる人には、共通点がある。
それは、人が集まってくることだ。
そして、そのような人は決まって表情が柔らかい。
反対に、どれほど能力が高くても、いつも不機嫌そうな顔をしている人には、人は近づきにくい。
仕事も相談も、自然と遠ざかってしまう。
今の時代、人と人とのコミュニケーションは以前より少なくなった。
「おはようございます。」
「お疲れさまです。」
それだけしか言葉を交わさない日もある。
だからこそ、その一言くらいは笑顔で交わしたい。
マックじゃないが、
笑顔は、お金も才能も必要ない。
しかし、人の心を動かす力を持っている。
『 厨房理論 』
私は経営の中で、長年ひとつの考え方を持っている。
それを私は「厨房理論」と呼んでいる。
例えば、あなたが飲食店を経営しているとしよう。
調理人が5人、ホールスタッフが数人いる。
しかし、開店してみると客数は伸びない。
売上は目標に届かず、赤字が続く。
そこでオーナーである社長が従業員を集めてこう言う。
「もっと流行を勉強しろ。」
「今の時代に合ったメニューを考えろ。」
「このままでは店は潰れるぞ。」
すると調理人の一人が反発する。
「社長は料理ができるんですか?」
「食材の知識はあるんですか?」
「厨房に立ったこともない人に、そこまで言われる筋合いはありません。」
周囲の調理人たちも同調する。
「そうだ。」
「現場を何も分かっていない。」
そして組織は崩壊する。
この店が潰れた原因は、料理の味だけではない。
社長が現場を理解していなかったことにある。
もちろん、経営者が調理人になる必要はない。
料理人より料理が上手くなる必要もない。
しかし、一度も厨房に立ったことがない人間と、
少しでも厨房に立ったことがある人間では、
見える景色がまったく違う。
これが厨房理論である。
私はもともと金融機関勤務だった。
教育事業の経験はゼロだった。
にもかかわらず、建設業向け教育事業を創業した。
もし、
「教育事業の経験がなければ建設業向けの教育事業などできない」
という理屈なら、
私は最初から起業できなかったことになる。
だから私は現場に入った。
営業をした。
経理をした。
総務をした。
教材を作った。
クレーム対応もした。
そしてホームページも作った。
当時の私はHTMLの知識など全くなかった。
ホームページビルダーを買い、
試行錯誤しながら申込フォームや資料請求フォームを作った。
完成したときは達成感があった。
だが後になって分かった。
ホームページは作って終わりではない。
そこからが本当の勝負だった。
どんなボタンなら押したくなるのか。
どんな文面なら反応するのか。
どこに配置すれば申し込みが増えるのか。
今で言う導線設計である。
当時はアクセスカウンターを設置するホームページが多くて、数字の数が集客力を示すバロメーターになっていた。
毎日自分で何千回もクリックして帰宅したことさえある。
それだけで1時間はかかる作業だ。
今思えば笑い話だが、
その過程で私はWEBマーケティングの本質を学んだ。
そして驚くことに、
二十数年前に身につけた原理原則の多くは、
AI時代に変わろうとする現在でもほとんど変わっていない。
ツールは変わる。
技術は変わる。
しかし、
「人がどう動くか」
という本質は変わらないからだ。
経営者は全ての専門分野のプロになる必要はない。
だが、
少しは厨房に立たなければならない。
少しは営業をしなければならない。
少しは経理を見なければならない。
少しはシステムに触れなければならない。
その経験があるからこそ、
顧客目線で考えられる。
その経験があるからこそ、
現場で何が起きているのか理解できる。
その経験があるからこそ、
専門家との議論についていける。
そして何より、
その経験があるからこそ、
社員は経営者の言葉に耳を傾ける。
人は、
自分の仕事を理解しようともしない人間には従わない。
逆に、
たとえ未熟でも現場に立った経験がある人間には敬意を払う。
厨房理論とは、
「経営者は専門家になる必要はない。しかし、現場を少しでも経験しなければ、本当に見るべきものは見えない」
という考え方である。
そして私は、
経営者の仕事とは、
厨房に立ち続けることではなく、
厨房が見える場所に立ち続けることだと思っている。
『 創業当時 』
創業当時の私は、完全に“現場の人間”だった。
朝は誰よりも早く出社し、オフィスのごみを捨てる。
そしてスタッフが出社してくる前に、その日に発送するダイレクトメールの準備をする。
準備が終わると、電話営業を始める。
リストは電話帳だった。
「当社の教育はいかがですか」
そのトークを、一日中繰り返す。
昼になると銀行へ行き、振込を行い、小口現金を引き出す。
会社へ戻れば、
「パンフレットが足りない」
と気付き、印刷会社へ納期短縮の交渉をする。
夜になると、今度はホームページ作りだった。
当時の私は、ホームページの知識などゼロだった。
Yahooがまだ登録型のポータルサイトだった頃である。
それでも、
「これからは確実にインターネットの活用がビジネスでも必須になる」
そう確信していた私は、ホームページビルダーを使い、自社のホームページを作り始めた。
HTMLなど分からない。
それでも、とりあえず作ってみた。
いや、自分としては、特にトップページの出来はなかなかのものだったと、今でも思っている。
WEBマーケティングに答えはない。
トップページのボタンを赤にするのか白にするのか。
それすら、やってみなければ分からない。
だから、とにかく触る。
分からないことがあれば調べる。
試す。
失敗する。
またやり直す。
その繰り返しだった。
そんな中、完成した自社ホームページをYahooの「資格」カテゴリーへ登録申請した。
当時、Yahooに登録されることは、東大に入るより難しいとまで言われていた。
そして申請から約1週間後。
Yahooから一通のメールが届いた。
登録承認の通知だった。
思わず何度もメールを読み返したのを覚えている。
今にしてみれば、検索される土台に乗っただけの話かもしれない。
しかし、その時の私は確信した。
「建設業に特化した教育事業は成功する」と。
もちろん根拠などない。
だが、ネット社会の到来を感じていた。
そして何より、自分自身の力でゼロからホームページを作り上げたことが大きかった。
中でも最も苦労したのは申込フォームだった。
今思い返しても、なぜ自分にあれが出来たのか分からない。
約3カ月間。
試行錯誤を繰り返しながら取り組み続けた結果、専門知識のない自分でも形にすることができた。
その事実が私に教えてくれた。
限界はない。
あるとすれば、それは自分自身が勝手につくり上げているだけなのだと。
夜更け。
誰もいなくなった50㎡ほどの小さな事務所で、一人そんなことを考えていた。
これは設立から3年目頃の話だが、私の毎日は総務、営業、経理、ホームページ更新。
時にはパートやアルバイトの方の文房具が足りなくなれば、新橋の文房具店まで買いに走った。
会社運営に必要なほぼ全ての業務を担当していた。
その日やるべき仕事が全て終わる頃には、終電がなくなっていることも少なくなかった。
そんな日は会社に泊まった。
ドン・キホーテで買ったパイプベッドが私の寝床だった。
土日になると教育セミナー会場へ向かう。
机を並べる。
受付をする。
司会をする。
講義の準備をする。
朝から晩まで働き、土日も現場に出る。
休みという概念は、ほとんどなかった。
今振り返れば、完全に“馬車馬”状態だったと思う。
よく身体が壊れなかったなと思う。
丈夫な身体に育ててくれた両親には、感謝しかない。
だが、不思議と苦ではなかった。
成功したかった。
そして、自分の中にずっとあった問いがあった。
――金か、心か。
人生において本当に大切なのは何なのか。
その答えを、自分自身の人生で確かめたかった。
だから働いた。
朝も、昼も、夜も。
誰に言われたわけでもない。
ただ、自分で決めた道だった。
それだけで十分だった。
その頃の私は、まさか28年後に年間9万人近い受講生を抱える会社になるとは想像もしていなかった。
ただ目の前の一日を必死に積み重ねていただけだった。
Vol.32:第5章:生かされた日
疑いがあるという病気について徹底的に調べた。
治療期間は、約半年。
その文字を見た瞬間、
目の前が真っ暗になった。
当時の私は、完全なプレーイングマネージャーだった。
後継者育成。
事業承継。
組織化。
そんなものに、本気で向き合えていなかった。
毎日、自分が先頭に立って走ることで、会社を回していた。
もし、自分が半年経営から離れたらどうなるのか。
いや、もし死んだらどうなるのか。
その瞬間から、頭の中では緊急対応が始まっていた。
社員にはどう説明するか。
銀行には何と言うか。
資金繰りはいつまで持つのか。
当面の指揮は誰が取るのか。
次の社長はどう決めるのか。
家族は大丈夫か。
相続で混乱しないためには何を準備するべきか。
私は、成功ばかりを考えていた。
目標。
夢。
成長。
挑戦。
金と心。
それだけを見て走ってきた。
だが、そのとき初めて思い知らされた。
会社は、社長の健康ひとつで崩れることがある。
夢だ、目標だと言いながら、
自分はどこかで、
「目標のためなら、多少身体を壊しても仕方がない」
「二日酔いでも走ればいい」
そんな甘い考えを持っていたのだと思う。
だが、それは違った。
経営とは、成功を目指すことだけではない。
会社のステージに応じて、
組織化し、
権限委譲し、
次を準備していくことでもある。
それを、自分は後回しにしていた。
まさか、自分自身の健康が原因で、
すべてが崩れかけるなど、考えたこともなかった。
その現実を前にして、
私は初めて、自分の未熟さと向き合うことになった。
Vol.31:第5章:生かされた日
ー 生への執着 ー
「悪性リンパ腫が強く疑われる」
何も考えられなかった。
会社に戻る途中、道がわからなくなった。
頭が整理できない。
妻に伝えた。
両親に伝えた。
あまりに突然のことであり、泣き言を言ったのだ。
そのとき、自分の中にあった感情はひとつ。
「まだ死ねない」
それだけだった。
事業も、成功も、まだ何も決着していないじゃないか。
ただ、生への執着心だけは失わず、
それだけを強く願っていた。
だが、その一方で、
私は別の恐怖にも襲われていた。
もし、本当に治療が始まったらどうなるのか。
まず、自分の病気について徹底的に調べた。
5種類の抗がん剤治療。
免疫力低下。
感染症対策。
長期療養。
治療期間は、約半年。
その文字を見た瞬間、
目の前が真っ暗になった。

