今の若者の「普通じゃない」ことからくる
苦しみ、悩みについてのテレビ番組をみた。
自分が嫌われないよう、はみ出ないよう、
一生懸命「普通の人」を演じているそうだ。
演じているのだから、その「普通」はまやかし、
仮の姿であって本当の自分ではない、
つまり自分は「普通じゃないからおかしい」と。
日本の若者の自己肯定感の低さにつながっているようだ。
普通ってなんだ?
誰が決めたんだ?
大部分の人がたいていそうするってことでしょ。
人に迷惑をかけない、集団が、その時がうまくいくために
取るべき行動を取れているか…というだけでは?
それは社会によっても集団の向かうところや質によっても
それぞれが違うもののはず。
そこで普通のことは別の場では普通ではなくなることも。
もちろん、家庭や親の言う普通もしかり。
その場で生きるのに快適に過ごすのに
「その場での普通」でいることに努めるのはいい。
だけど、合わせていることで本当の自分と違うからと
自分を否定することはない。
その場の普通と自分のありのままを照らし合わせて
自分というものを知ればいい。
普通じゃないことを面白がる空気も存在するではないか。
個性として。
はみ出たもの、異質なものを言う個性ではなく
ありのままの姿、特徴という個性なら
大いに肯定し、愛そうではないか。
それはそれとして大切にして、場には一応合わせる。
それでいい、否定することも悲しむこともない。
50を過ぎるとね、
やりたいこと、やってみたいことがあっても
環境が、体などがそれを許さないことが増えてくるのよ。
情熱が勝てない時が増える。
現実と照らし合わせてあきらめたり、闘わなくなったり。
それを悲しみ失望したりもするけれど、一方で
闘わないことでほっとしたりすることも。
たくさんの体力、時間、可能性をもった若い人たち…
(私の言う「若い」は青少年に限らない)
違いを、否定を、失敗を恐れず、
どんどん可能性に飛び込んで行ってほしい。
失敗は学びにつなげればいい。成長の種にすればいい。
恐れて何もしないより、起きたことから学べばいい。
もちろん、成功体験、感動体験もたくさんもってほしい。
合わせることは柔軟であること、
「自分じゃないからダメ」じゃない。
何が好きで、何が嫌で、どんなことが悲しくて
人にはどうあってほしくて、自分はどういたくて…
そんなこんなを、その時の自分をきちんと知る、把握する。
それをもって時に強く、時に柔らかく生きる
それでいい。
色いろの限界に種々のため息をつく
おばさんカウンセラー 大村なおでした。