こころのなかの、それらをもっとうまく書くことができたらいいのだけれど…
かたちあるものにできなくて、いったいいつまでもがいているのでしょうと…自分でも思います…小さくてもいいから旅ができたら、といいながら…ときにはこんな引きこもり時間も必要な気がします
なにをきっかけに…どうしたら…残り時間の苦しさを少しでも減らせるのだろう…って
なにをどうしたいのか…どうしたら、時間が足りないって思えるのだろうって…こころのなかの声をもっとわかりやすく書くことができたら…どうしたら…
あれ、どこまで書いていましたっけ…
ともあれ…、あくせいともりょうせいともかくていできぬ状態なのだそうです…様子を見るしかない状態…とも思える一方で…日々の一気に増えてありがたい予定の…一部は変更してでも…せかんど~を受けることを…最優先すべきなのでせうか…
じたばたしても…仕方がない…半分…と…急な多忙にかんきょうの変化の多様さに…からだが…いわば正常に…悲鳴を起こしているだけでせうか…

あと5日、あるいは1週間…様子をみるべきかいなか…思案中でいます…
あとすこしはやく来てたら…というのほど…やはりつらいものもなくはなく…予定はすべていまは考えないで…からだの方を~真剣に治癒の近道を最優先に…すべきなのでせうか…

かみのてでなくてもいいのでこくないでもっともよく診てくださる方をお教え頂けだら…このうえなく~です…
できるだけからだへのダメージを少なく…快方にできたら~、と…、
はてさて、とても良い季節というものは、どうしてかくもみじかいものなのでせうか…人生も同じ…ということなのでせうか…良いときというのは…たいてい時の流れのことなどおもひもおよばず…時のそんざいそれさえも忘れてしまうことさえままあって…つまりは…いまこのときにきもちがいしきが集中できるときは…良いとき…ということなのでせうねぇ…


そして、風土…と、人間…というものについて…ついおもひをはせずにいられないのも…こんな季節にかんけいしてしまうのでせうか…はてさて…半分がせとないかいのりょうしの流れをうけてるせいでせうか…はたまた…戦地でちったなかまをおもえば…そんなものをもらえるかと…おんきゅうなるものを…こじしたちちをこのうえなくほこりにおもえるのが自然と感じるせうぶんのせいでせうか…

いずれにせよ…ふ~をひゃくおくかいためいきたくなるこの地と思えること…は、かるくひゃくおくかいをこえてるせいでせうか…、ルースさんが唱えた、本音とたてまえどころか…それいぜんのやさしくくびしめる…の言い替えかしらんと思えることのひゃくおくかい…はてさて…それでも…、よいひとは、確実におられるのは間違いないのですけれども…それにしても…ふ~の方々の多さ、その屈折ぐあいには…、ひゃくおくかいのふ~が、静にやってくるのです…はやく次のお便りをしたためなければ…そう思って…思って…日々の流れに流されてるうちのこの季節です…そして、組織へんの検査です…はてさて…無事を願わずにはおられず…おそるおそる…のいきをしているところ…でいるのです…はてさて…
続きはまた書きます…!
いきるとは…なんでしょねぇ~、と、思わずにはいられないような…そんな気持ちで観ています…

体調に、ちょっぴりした変化がやってきて…いまのところ…スケジュールへの影響はありませんが…正直…祈るような思いで…組織片検査のでる日を…おそるおそるした気持ちでいます…なんとか…よくないものではありませんように…と…

まぁ、どんなことも…あるがままであるしかないのではありますが…。

時間というもののありがたさ、かけがえのなさに…打ちのめされるかのような…感覚に…なるものですね…

お金では買える空間はあっても…時間はない…そんな気がするようでもありますねぇ…


考えることにこだわらないと…こたえはでてこない…きりんさんのことばの中にありました…
あまりに深すぎてあっかんあっとうされる気もしてきます…

続きはまた今度…書くことにします…おやすみなさい…
月が少しずつ…、満ちていくときは…、澄んだ冷え冷えとした空気も…心なしか清らかにおぼえてくるよな…気がするのは…気のせいでせうか…ともあれ。月が少しずつ…、小さくなっていくときよりは…心なしか…こころづよくあるよう気がするものです…不思議なものです…

この世には…気の弱いおんなのひとが…いないのと同じ…くらいの確立で…とげの全くない会話をしている…おんなのひと同志というものも…ほとんど見かけることがないようにも思えます…ここのしゃねるさんが、のこされたことば通り~な女性は千人にひとりしかいないものよ~というのも、まっこと、いいえて妙だなぁ~と、感心するばかりです…

こんな風によわいを重ねられたらなぁ~と思える…ひとの…どれだけ見渡してもみえないかんきょうもまた、別のきょうくんをあたまに…自分の判断、行いを磨く機会かもしれませぬと…言い聞かせては…みざるきかざる~を、こころのなかでつぶやくしだい…もっとも…千人にひとりしか…同様…少なくとも…ひとまずおんなのひとについて…のことについて…けうはかいているつもりです…いやはや…ろーまんずご~のことわざを知らぬではありませんが…井の中度せかいいちとおもえるまわりに…ふしん…は…続くのですねぇ…やさしや~も…は、ほんとはやさしく~す~の、建前に過ぎぬらしい…というのも…げに…と、思わずなっとくの…この風土…いこーるひとがらなのでせうね~ことばは、ほとんど建前にしか聞こえてこないのは…どうしてでせうね~同じ雪国でも…あったかいこころの…ばしょもあるとか…
それとも~、多少は隣の芝生に無い物ねだりが…多少は入ってくるせいでせうか…ともあれ。いずれも…ひとまず、いまはあくまでおとこの方ではない方々についてのこうさつを…書いてみました…ふ~、いきるとは~たいへんですねぇ~どこにいても…なのでせうかねぇ…

わかるひとが、ことばの通じるひとが…少しでもあることで…ひとは…きっとやさしくも…そして、ほんの少しは辛抱つよくなることができるのでせうか…これを読んでくださる方…のあることを…思うと…随分と救われた気持ちで…それが…大きな支えに感じられるのです…

秋の、夕暮れはどうしても、こうももの悲しく、さびしく、いとおしく、あっというまにやってきてあっというまに、さっていってしまうのでせうね。山の端だったり、水平線の向こうだったり、ともあれ、残り香のようなかすかな、橙色の部分にどんどん、澄んだ群青色の部分が拡がってきて、グラデl-ションがきれいだなと、おもったとおもうと、もうそらには、明星やお月さんが光を帯びていて、あっというまに、あたりは、真っ暗。ススキも稲刈りを終えた田の色も、すうかり暗がりの向こうです。空が澄んでいるから、昼間の、雲のたなびいたり、拡がったり、もようになってりしている姿も、もう二度と同じ形の模様のないことが、観るたびに、そこはかとないもの悲しさを、醸しているのも、なんともはや、歳をかさねるというものは、おそらくきっと、見るもの、みえてくるものがかわっていくということなのでせうか。

 

おもうに、からだのへんかがおとぞれはじめる歳を、ひとまず、おいのそれというとするなら、(もっともおいとは、こころのそれはちがうというねがいと違いについては、ひとまずおいておいてという意味ですけれども)男の人のかんれきあたりが、おんなのひとには、それより、絵とひとまわりぶんくらい早く訪れるということなのかもしれませぬねぇ。も飛ばなくなるし、忘れっぽさは、どうしようもないほど、あきれるばかりだし、(私自身のことですよ)、忘れた事を忘れているしで、しあわせないのだか、あわれなのだか、おそらく、そのりょうほうでせうけれども。ともあれ。からだのなかがすこしずつ、必要とする栄養素やその量を異なしてくるころ、ひとは、また、若いだけのときとは違った、時間の重ね方を、はじめていくのでせうか。いずれにしても、脳幹がふとくて、右脳と左脳の連携がいいらしい方は、芝目だけはおそらくきっとよく読めますが、忘れる方もよほど早く、じてやってくるのでせうかねぇ。勘だけは、かろうじて、生きておりまするが。

 

便利と引き替えに、なんと、含羞のわかるおとなのおとこのひとが、西暦がふえればふえるほど、どんどん減っていってしまっているようにおもえるのは、気のせいでせうか。若く観られることのどうしてそんなにいいことなのか、パターするとき補足する意味とおなじくらい、さっぱりわからない、少なくとも出力のほとんどを右脳でやっているらしいわたしには、さっぱり理解にくるしむばかりでして。。。ばっくほーむするときに、歩測してから投げる野手がいますか?と、つい、こころのなかでおもってしまうのですね~。これは、だれにも言えない内緒ですけれども。しわがかっこいいのに。年輪のないふとい樹木はかっこいいですか?と、つい訊いてしまいたくなるのですよねぇ。カリブの島で9回投げさせてもらったときの、カメラマンの方は、年寄り若く観られるのが嫌だと言われてのが、とても印象的でした。その方の当時の歳はとうの昔に越してしまいましたが。。。18回をひとりで投げた、北端の県のあの投手の3歳下で、小中大と、とても捕手とは見えない体型でしたが、高3の夏は、後輩の守備が堅固でなくて大舞台は逸したそうです。北の大地での就職も、ノンプロも決まっていたのに、当時観た、何かの映像がきっかけで、それらをやめて、カメラマンになられたそうです。パスポートには、数え切れないほどのスタンプがありました。その方が観た映像って、何だったのでしょうと、訊きそびれたままいまです。それほど、人生の決心をかえるほどの映像って何だったのでせうねぇ。今でも、もし訊けるものなら、訊いてみたいです。キャッチボール。いいですねぇ。このボールが君に届けば。。。。そう願いながらこれを書いています。

 

絵もほんとに、行けるときは限られていますが、もう、初めて1年と10ヶ月ほどになります。まだ、5作ほどしか出来ていません。それも4号3号以下のものばかりです。ただ。筆と、色と、夢中で描いているときだけは、無心になれるのがとても嬉しい時間のひとつです。つい、いましかない、と思える、空や、雲や、夕暮れの色合いなどを、車から遭遇するたびに、カメラに収めておきたいと想うようになったのも、歳のせいか。。。あるいは、絵を描くようになったせいなのか。。。カメラと言っても、ケータイという名の、その機能で撮ってしまうのにすぎませぬが、走りながらの一コマほど、よりいっそう、その刹那感、瞬間感!?がでるように思えて。。。海と空と雲と、そこに夕焼けの色が混じろうものなら、手がついつい、カメラボタンを探してしまうとなのですねぇ。10月終わりの、24節季はなにでしたっけ?日和がよければよいほど、いまことのときをとめてしまいたい。。。そうおもえる空気が漂う季節に思えます。。。

続きです…今朝はいつもの水平線が見えません…昼過ぎには降りだすのでせうか…

はがきを書きました…さくや投函しました…間に合うでせうか…

それでもまだ、お気持ちを察することと…時間のたいせつ…未来の不確定さを…葛藤しています…

それでもなお…いまある時間を思わずにはいられない気持ちでいます…

続きはまたあとで書くことにします…m(__)m!

予定はそのままで…その期間の中で…タイミングが…あるいは…なにかのお役に立てたらと…おせっかいとしりつつ…ごめんなさい…と…わかりながらの…そのメッセージです…

続きはお昼から…また書きます…
なってしまいました…お昼から…なのはあめりかたいりくくらいでしょうか…
ともあれ。申し訳ありませんm(__)m!毎度とはいえ…。あしたまたきちんと書くますね~と言ったまま…いったい幾晩ねたでせうという…海の向こうの友だちがいったいどれほど…そ~しゅぺいた~、れいとのとぅもろ~でごめんなさい!で書かないと…永くの友たちは…、恐らく半分あきらめ…半分…おやおやまたまたか~と思っているのでせうかねぇ…ともあれ。ともあれです。

きょうの午後の動き方でさえ…自分で…わからないのですから…わたしがわたしに馴れるのさえ…ふしんしているというのに…そんな先のことはわかりません…というのは…かつてバードぼいるど?と言われた映画の台詞にでてきませねでしたっけ…ともあれ。

歳を重ねると…これまでの本質とは正反対の星が顔を出し始める星にあるわたしです…なんということでしょう…と、内心…どうなるこてやら…と…、半分あきらめてもいるところでせうか…元気だったとき、あれほど衝突してやまなかった…母さんの本質の星が顔を出してくるなんて…頬をひきつらせたモンクのようなあの顔文字を書きたくなる気分がしないでもない気分です…おやおやですねぇ…このあとあのときの母さんの気持ちがわかってもねぇ…と、誰にも言えないことを思ってしまいます…まぁ、なんとかなるでせう…

それにしても…4つの星が全部…4種類ばらばらになるひとって…どのくらいあるのでせうねぇ…一瞬先がわからない…一瞬先の思ってることがわからない…はてさて…面白すぎるのもにんともかんともですねぇ…それでも、それぞれに違った形と質のたいへんさ…はあるのでせうというのは…わかるように思えます…ひとの数だけ…

ことばはいくらでも、ほんとうとちがうことばをならべることはできても…空気はそれぞれのまわりに自然とでている空気は…決してうそはつかない…本人の意思ではどうにもかえられないものなのかもしれませんねぇ…

またっ続きはお昼から…書くことにします…
こんなところに返信を掲載するのは失礼千万、ほんとうにごめんなさいというのが半分、でも半分以上は…どうか読んでくださっていますように…と願いながら書いています…

先のブログを書いていたちょうどそのころに、あの書簡を投函頂いていたなんて…と思うと…やっぱり偶然というものはないのかもと…思ってもしまいます…

ともあれ。そんなことで…仕事がやすめる水曜日と木曜日に…もしかしたらご迷惑…というより…うれしいよりうれしくない方が多いかもしれない…と、お気持ちをわたしなりに…たくさんたくさん考えました…それでも…その文面から…わたしに聞こえてきたのは…そんな風に聴こえてきたように思えました…

突然は困る…というのは…すごく想像はできてるつもりですが…(;o;)、ほんの少しでも…必要なもののお買い物だけでも…と…車をお近くで借りるつもりでいます…あさいちの…列車に乗ったら…何時頃つくでせうか…ちょうど通院の足になれたらいいのですが…

続きはまたあとで書くことにします…m(__)m!お昼から…

誕生日でした。もしかするともういない、(いえ、少しおおげさですね。ともあれ)、もう、あうことがないかもしれないかたへ書いているのかもしれないと、ふと、想うときがあります。ともあれ。年下の友人が励ましてくれました。それは、せっかくの記念日なのだから、数はどうあれ、楽しく受け止める日なのですよと。かもしれません。数字はあくまで、きかいてき、便宜的、ものに過ぎなくて、こころのもちよう、が、そして、時間との中のよさが、数が多くなればなるほど、たいせつになってくるのかもしれないと。。。。そう、受け止めるように想った日でした。それでも。主に、海外がほとんどでしたが、友人達からのメッセージがなにより、とてもうれしいことばの数々でした。どれも、他愛ないフレーズと一言が多くのでしがが、それでも。送ってもらえるというそのことが、なにより、かけがえのないことなのだと。これまでの、いろいろが、そうして、気持ちの支えになってくれるものであるのだということを。

 

そういえば。いつか、書いたことがありましたっけ。このような人になりたいと。それは、ほんとうに、それまでそれほど、深く意識をしたこともないけれど、なんとなく、すごいひとだなぁ~ということだけは感じていて、それが、ふと、その瞬間に、頭に浮かんで、名前を出した方だったのだと記憶しています。いまはなき?カメラフィルムのしーえむでのひとこまが、当時とても印象に残っていたせいもあったからなのかもしれません。なんでもユーモアにかえてしまうちからに、圧倒される者を感じていたのかもしれません。すべてのひとが、そんなふうに、達観できたり、おおきくなんでも受け止められたりするわけでないこともじゅうじゅう承知で、素直に、ああすごいなぁ~と思えることそのものが、とても、たいせつなことのひとつなのだろうなぁと、自然と思えた日々でもありました。芯がないと、つよくないと、めげない静かななにかが心の中に支えとなっていないととてもできないことなのだろうなぁ~とも思いました。

 

書きたいきもちはやまのようにありますが。こうして静かに清貧で(いるのも、とてもたいへんだと感じるこの地、井の中度せかいいちと少なくとも今の私には思えてしまう現実はあるのですが。これは口には出せませんし、誰にも言えませんが。ともあれ)が、安らかに、時間にさほど追われないで、ただ生きてることだけでいいと思えるのがいちばんなのではないかしらんと、なまくらもののわたしはついおもってしまうとです。が。ともあれ。8日ぶりの休みはあっという間にもう日暮れとなり。どんなにひとりが好きなひとでも、秋の夕暮れだけは、これほどものがなしいものもないなぁと感じるのもまた、しかりですねぇ。なんともはや。金魚さん達はどうしているのだろうと思います。植物は知っているも、美しい文字の紫色の訂装の著書も、手元にしました。まだよんでいませんが。(すみません)。左利きのせいか、こうして両手を動かしているとすらすらでてくるのに、ものごころつく前に直された右手にペンを持つとなかなか、このようにすらすらとはいきません。書きたいと想っているうち 歳が過ぎ になってしまいせうです。ふ~。あの21球を書かれた方がいかれた歳になってしまいました。あの方がいらしたら、あの紫色の文字の入ったユニフォームがとても似合ったあの右腕をどうきりとり描かれたのでせうと、ほんとうに、かなしいほどにつくづく想います。これまでで、いちばんどと言ってもいいようにわたしには思えました。周囲の刈り取りはほとんど済んで、また、あの厳しい冬がやってくるとおもうと、それだけで、こころが半分、生きていなくなってしまいそうで。。。半島と言う場所は、風光明媚と隣り合わせで、ことばにはできないむずかしさが、いやはや、ため息がついついでてしまう場所なのかもしれませんねぇ。近いうちに、近いうちに、とおもっていながら、はて、どれだけ時が流れたのでせうか。。。。。、