かたちあるものにできなくて、いったいいつまでもがいているのでしょうと…自分でも思います…小さくてもいいから旅ができたら、といいながら…ときにはこんな引きこもり時間も必要な気がします
なにをきっかけに…どうしたら…残り時間の苦しさを少しでも減らせるのだろう…って
なにをどうしたいのか…どうしたら、時間が足りないって思えるのだろうって…こころのなかの声をもっとわかりやすく書くことができたら…どうしたら…
秋の、夕暮れはどうしても、こうももの悲しく、さびしく、いとおしく、あっというまにやってきてあっというまに、さっていってしまうのでせうね。山の端だったり、水平線の向こうだったり、ともあれ、残り香のようなかすかな、橙色の部分にどんどん、澄んだ群青色の部分が拡がってきて、グラデl-ションがきれいだなと、おもったとおもうと、もうそらには、明星やお月さんが光を帯びていて、あっというまに、あたりは、真っ暗。ススキも稲刈りを終えた田の色も、すうかり暗がりの向こうです。空が澄んでいるから、昼間の、雲のたなびいたり、拡がったり、もようになってりしている姿も、もう二度と同じ形の模様のないことが、観るたびに、そこはかとないもの悲しさを、醸しているのも、なんともはや、歳をかさねるというものは、おそらくきっと、見るもの、みえてくるものがかわっていくということなのでせうか。
おもうに、からだのへんかがおとぞれはじめる歳を、ひとまず、おいのそれというとするなら、(もっともおいとは、こころのそれはちがうというねがいと違いについては、ひとまずおいておいてという意味ですけれども)男の人のかんれきあたりが、おんなのひとには、それより、絵とひとまわりぶんくらい早く訪れるということなのかもしれませぬねぇ。も飛ばなくなるし、忘れっぽさは、どうしようもないほど、あきれるばかりだし、(私自身のことですよ)、忘れた事を忘れているしで、しあわせないのだか、あわれなのだか、おそらく、そのりょうほうでせうけれども。ともあれ。からだのなかがすこしずつ、必要とする栄養素やその量を異なしてくるころ、ひとは、また、若いだけのときとは違った、時間の重ね方を、はじめていくのでせうか。いずれにしても、脳幹がふとくて、右脳と左脳の連携がいいらしい方は、芝目だけはおそらくきっとよく読めますが、忘れる方もよほど早く、じてやってくるのでせうかねぇ。勘だけは、かろうじて、生きておりまするが。
便利と引き替えに、なんと、含羞のわかるおとなのおとこのひとが、西暦がふえればふえるほど、どんどん減っていってしまっているようにおもえるのは、気のせいでせうか。若く観られることのどうしてそんなにいいことなのか、パターするとき補足する意味とおなじくらい、さっぱりわからない、少なくとも出力のほとんどを右脳でやっているらしいわたしには、さっぱり理解にくるしむばかりでして。。。ばっくほーむするときに、歩測してから投げる野手がいますか?と、つい、こころのなかでおもってしまうのですね~。これは、だれにも言えない内緒ですけれども。しわがかっこいいのに。年輪のないふとい樹木はかっこいいですか?と、つい訊いてしまいたくなるのですよねぇ。カリブの島で9回投げさせてもらったときの、カメラマンの方は、年寄り若く観られるのが嫌だと言われてのが、とても印象的でした。その方の当時の歳はとうの昔に越してしまいましたが。。。18回をひとりで投げた、北端の県のあの投手の3歳下で、小中大と、とても捕手とは見えない体型でしたが、高3の夏は、後輩の守備が堅固でなくて大舞台は逸したそうです。北の大地での就職も、ノンプロも決まっていたのに、当時観た、何かの映像がきっかけで、それらをやめて、カメラマンになられたそうです。パスポートには、数え切れないほどのスタンプがありました。その方が観た映像って、何だったのでしょうと、訊きそびれたままいまです。それほど、人生の決心をかえるほどの映像って何だったのでせうねぇ。今でも、もし訊けるものなら、訊いてみたいです。キャッチボール。いいですねぇ。このボールが君に届けば。。。。そう願いながらこれを書いています。
絵もほんとに、行けるときは限られていますが、もう、初めて1年と10ヶ月ほどになります。まだ、5作ほどしか出来ていません。それも4号3号以下のものばかりです。ただ。筆と、色と、夢中で描いているときだけは、無心になれるのがとても嬉しい時間のひとつです。つい、いましかない、と思える、空や、雲や、夕暮れの色合いなどを、車から遭遇するたびに、カメラに収めておきたいと想うようになったのも、歳のせいか。。。あるいは、絵を描くようになったせいなのか。。。カメラと言っても、ケータイという名の、その機能で撮ってしまうのにすぎませぬが、走りながらの一コマほど、よりいっそう、その刹那感、瞬間感!?がでるように思えて。。。海と空と雲と、そこに夕焼けの色が混じろうものなら、手がついつい、カメラボタンを探してしまうとなのですねぇ。10月終わりの、24節季はなにでしたっけ?日和がよければよいほど、いまことのときをとめてしまいたい。。。そうおもえる空気が漂う季節に思えます。。。
誕生日でした。もしかするともういない、(いえ、少しおおげさですね。ともあれ)、もう、あうことがないかもしれないかたへ書いているのかもしれないと、ふと、想うときがあります。ともあれ。年下の友人が励ましてくれました。それは、せっかくの記念日なのだから、数はどうあれ、楽しく受け止める日なのですよと。かもしれません。数字はあくまで、きかいてき、便宜的、ものに過ぎなくて、こころのもちよう、が、そして、時間との中のよさが、数が多くなればなるほど、たいせつになってくるのかもしれないと。。。。そう、受け止めるように想った日でした。それでも。主に、海外がほとんどでしたが、友人達からのメッセージがなにより、とてもうれしいことばの数々でした。どれも、他愛ないフレーズと一言が多くのでしがが、それでも。送ってもらえるというそのことが、なにより、かけがえのないことなのだと。これまでの、いろいろが、そうして、気持ちの支えになってくれるものであるのだということを。
そういえば。いつか、書いたことがありましたっけ。このような人になりたいと。それは、ほんとうに、それまでそれほど、深く意識をしたこともないけれど、なんとなく、すごいひとだなぁ~ということだけは感じていて、それが、ふと、その瞬間に、頭に浮かんで、名前を出した方だったのだと記憶しています。いまはなき?カメラフィルムのしーえむでのひとこまが、当時とても印象に残っていたせいもあったからなのかもしれません。なんでもユーモアにかえてしまうちからに、圧倒される者を感じていたのかもしれません。すべてのひとが、そんなふうに、達観できたり、おおきくなんでも受け止められたりするわけでないこともじゅうじゅう承知で、素直に、ああすごいなぁ~と思えることそのものが、とても、たいせつなことのひとつなのだろうなぁと、自然と思えた日々でもありました。芯がないと、つよくないと、めげない静かななにかが心の中に支えとなっていないととてもできないことなのだろうなぁ~とも思いました。
書きたいきもちはやまのようにありますが。こうして静かに清貧で(いるのも、とてもたいへんだと感じるこの地、井の中度せかいいちと少なくとも今の私には思えてしまう現実はあるのですが。これは口には出せませんし、誰にも言えませんが。ともあれ)が、安らかに、時間にさほど追われないで、ただ生きてることだけでいいと思えるのがいちばんなのではないかしらんと、なまくらもののわたしはついおもってしまうとです。が。ともあれ。8日ぶりの休みはあっという間にもう日暮れとなり。どんなにひとりが好きなひとでも、秋の夕暮れだけは、これほどものがなしいものもないなぁと感じるのもまた、しかりですねぇ。なんともはや。金魚さん達はどうしているのだろうと思います。植物は知っているも、美しい文字の紫色の訂装の著書も、手元にしました。まだよんでいませんが。(すみません)。左利きのせいか、こうして両手を動かしているとすらすらでてくるのに、ものごころつく前に直された右手にペンを持つとなかなか、このようにすらすらとはいきません。書きたいと想っているうち 歳が過ぎ になってしまいせうです。ふ~。あの21球を書かれた方がいかれた歳になってしまいました。あの方がいらしたら、あの紫色の文字の入ったユニフォームがとても似合ったあの右腕をどうきりとり描かれたのでせうと、ほんとうに、かなしいほどにつくづく想います。これまでで、いちばんどと言ってもいいようにわたしには思えました。周囲の刈り取りはほとんど済んで、また、あの厳しい冬がやってくるとおもうと、それだけで、こころが半分、生きていなくなってしまいそうで。。。半島と言う場所は、風光明媚と隣り合わせで、ことばにはできないむずかしさが、いやはや、ため息がついついでてしまう場所なのかもしれませんねぇ。近いうちに、近いうちに、とおもっていながら、はて、どれだけ時が流れたのでせうか。。。。。、