私にとっては

医者、看護師、看護師長、ソーシャルワーカー

の5人でおこなった

この面談は苦しい時間でした


重い心まま

病院からの途中に、ガソリンを入れ
いったん実家に帰りました



自分を取り戻すために時間が必要でした


長女が気にしてくれて、

たわいもない会話でコーヒーブレイク


つかの間の平和な時間を過ごしました


これから1ヶ月以上の入院になるので、

食べ物が腐ったりしないように

長女と2人で
冷蔵庫の中を片付けて

空っぽにして電源を抜き


実家のブレーカーを落とし

実家をあとにしました




山口に着いたのは
21時くらいだったかな?

(車で6時間かかりました)

家に着くと

疲れと不安で

自分がぐしゃぐしゃな状態になっているのがわかります



いつもは、うちのパパの能天気なところが

イラつくんだけど


こーゆーときは

その能天気さが救いです


いろいろな思いが込み上げ
今は、わたしは余裕がないです!と言うのが

精一杯でした。
しばらく、テレビの前で黙って座っていました



長く夫婦やってるので
パパからすればそんな私は想定内
扱い方もわかってます笑笑

私の不安や悲しみという感情をひとしきり

大爆発させてくれ
ゆっくりと落ち着いて話せるまで

気長に付き合ってくれました


いや〜

パパ、本当に感謝よ。
この間、特に反応しないのが、パパのよさ。

うなずくことも、声をかけることもない。

ただ、横の辺りに、座ってるだけ。


仏像のよう笑



長い1日が終わりました。
お父さんの抗がん剤1日目の様子はどうかな?

明日にでも、お父さんから電話ないかな?

お父さんの抗がん剤

1日目7/8昨日

オプジーボ


2日目7/9本日

エトポシド


昨日は副作用もなかったらしい




担当医の病状の説明が終わると


ソーシャルワーカーさんと


退院後のお父さんの生活について

1階の相談室で、相談することになりました


ソーシャルワーカーさんは私に
何枚かのパンフレットを見せて
説明をし始めました


お父さんの今の認知の状態で行くと
介護認定はよくて要介護1


もしかしたら要支援になるかもしれない


そうすると


自宅で


一人暮らしをしても


介護のヘルパーさんが


来るのは週数回ぐらいかもしれない


有料のサービス付き高齢者住宅をいくつかご紹介するので


山口の自宅に帰られたらインターネットで見比べておいてください


その見せられた
サービス付き高齢者住宅のパンフレットの金額に私は驚愕しました


入居前に


30万から50万のまとまったお金が必要で
毎月家賃のように


十数万の賃貸料がかかります


もちろん介護料とは別のお金です


介護が

1ヶ月になるのか何年になるのか分からない


サービス付きといっても、ワンルームの個室で、まるで賃貸マンション暮らしという内容、サービスって、こちらから望まないとないも等しい。



初めて知った、介護と医療



どうしようか途方にくれ

とりあえず、介護認定の書類を書いて


何も決められないままソーシャルワーカーとの面談を終えました。


後、病院に入院できるのは、約1ヶ月。

この間に、決めないといけない。

期限のある時間のプレッシャーが私を襲ってきました。

7/9 10時 呼吸器内科へ

長女は病院に入れないので
実家に残したまま病院へ行きました

10時前に受付にいき
申請書を書き、病棟への許可証を首からぶら下げると
受付の人が呼吸器内科へ連絡しました。

県外の方を病棟へ上げます。許可ください。

あー、私が県外ってだけで、病院の人も大変だ!


病棟まであがると、
看護師長さんがお出迎えです


まず先に

父の下着とスプーンと

ペットボトルのお茶を6本渡しました

私がお父さんに、今できることは、これくらいしかないから、もどかしいです。



それからすぐに、
冷房のない、狭い面談室に行き
担当医、担当医看護師、ソーシャルワーカー、看護師長、私の5人での面談がありました。

密な状態で、5人とも額から汗です💦

この時期は、冷房がないみたい




担当医の先生は
想像どおりのゆるキャラ
優しいクマさん

メモをかきながら、私にわかるように詳しく説明されました。事前に電話で聞いていたからか理解もよくできました。

初めて、お父さんの胸のCT画像をみました。

肺のリンパがすごく腫れて大きくなっているのが素人にもわかります。

末期という言葉も
ステージという言葉も使われなかったけど

ほっておくと、1ヶ月以内に
状態は悪くなるらしい


私も亡き母もガン患者
お父さんがどの状態にあるのかは

なんとなくわかりました

私「先生、母もガンで亡くなっていて、痛みの中、苦しみながら亡くなりました。その時の後悔から思うことがあるのですが、抗がん剤治療をして苦しむより、緩和という道を選ぶということは、どう思われますか?」


先生は、図を描いて教えてくれました。



先生「今は、治療の中に緩和があるんですよ。治療の苦痛をとりながら、過ごすことが緩和治療なんです。」

治療が終わって、やることが全て尽きたら

緩和になると思っていた私は
先生の説明に少しほっとしました。



抗がん剤が合わなかった私は

抗がん剤に対していいイメージがありません
辛い治療をお父さんに行うことになりそうで

自分の経験と重なって怖くなりました

ところが

お父さんが抗がん剤に対して

あまり怖さを感じていないことがわかりました

先生が言うには
「よかった、よかった、薬で治療するからよかった」と今でも言ってるしい

もし

抗がん剤をしないという選択をしたら
自宅に戻り認知障害があるお父さんが
一人暮らしを継続できるだろうか?


介護保険も要支援1がせいぜいだそうだから

週数回のヘルパーさんの支援ぐらいになるのかな?それ以外の残りの日は、どうすればいいんだろう?

私が、仕事をやめて、単身で介護するしかないのかな?



山口に6時間をかけてお父さんを連れて帰ることも考えたが、お父さんの体力的に無理だな。

そんな困惑した私の様子をみて

担当医から
「抗がん剤2クール終わるまでは、入院できるようにしましょう。」
と言ってもらった。



頭の中が
途方に暮れていた私は


その時
抗がん剤治療がいいとか悪いとかより

その提案を受け入れるのがベストだと

自分の中で選んだ



この時の自分気持ちを

詳しく思い出してみようと思っても

今でも、あまり記憶にない



1日も早く抗がん剤治療を始めたほうがいい

という先生の意見にすがるしか
知識も決断の時間もない私には

できませんでした



その時、選択したことが
その時のベストな選択だと
思うしかありません



また、この抗がん剤治療の選択について
周りに説明しなければならないと思うと


説明するが怖かった



え!抗がん剤なんかするの?って言われそうな気がして怖かった。


だって

抗がん剤の副作用を体験して

抗がん剤に対して悪いイメージしかなくて

抗がん剤を嫌っていた私だもん


良いとか、悪いとかではなく
その決断をせざるを得なかった


そんな選択もベストだと思おう