7/9 10時 呼吸器内科へ
長女は病院に入れないので
実家に残したまま病院へ行きました
10時前に受付にいき
申請書を書き、病棟への許可証を首からぶら下げると
受付の人が呼吸器内科へ連絡しました。
県外の方を病棟へ上げます。許可ください。
あー、私が県外ってだけで、病院の人も大変だ!
病棟まであがると、
看護師長さんがお出迎えです
まず先に
父の下着とスプーンと
ペットボトルのお茶を6本渡しました
私がお父さんに、今できることは、これくらいしかないから、もどかしいです。
それからすぐに、
冷房のない、狭い面談室に行き
担当医、担当医看護師、ソーシャルワーカー、看護師長、私の5人での面談がありました。
密な状態で、5人とも額から汗です💦
この時期は、冷房がないみたい
担当医の先生は
想像どおりのゆるキャラ
優しいクマさん
メモをかきながら、私にわかるように詳しく説明されました。事前に電話で聞いていたからか理解もよくできました。
初めて、お父さんの胸のCT画像をみました。
肺のリンパがすごく腫れて大きくなっているのが素人にもわかります。
末期という言葉も
ステージという言葉も使われなかったけど
ほっておくと、1ヶ月以内に
状態は悪くなるらしい
私も亡き母もガン患者
お父さんがどの状態にあるのかは
なんとなくわかりました
私「先生、母もガンで亡くなっていて、痛みの中、苦しみながら亡くなりました。その時の後悔から思うことがあるのですが、抗がん剤治療をして苦しむより、緩和という道を選ぶということは、どう思われますか?」
先生は、図を描いて教えてくれました。
先生「今は、治療の中に緩和があるんですよ。治療の苦痛をとりながら、過ごすことが緩和治療なんです。」
治療が終わって、やることが全て尽きたら
緩和になると思っていた私は
先生の説明に少しほっとしました。
抗がん剤が合わなかった私は
抗がん剤に対していいイメージがありません
辛い治療をお父さんに行うことになりそうで
自分の経験と重なって怖くなりました
ところが
お父さんが抗がん剤に対して
あまり怖さを感じていないことがわかりました
先生が言うには
「よかった、よかった、薬で治療するからよかった」と今でも言ってるしい
もし
抗がん剤をしないという選択をしたら
自宅に戻り認知障害があるお父さんが
一人暮らしを継続できるだろうか?
介護保険も要支援1がせいぜいだそうだから
週数回のヘルパーさんの支援ぐらいになるのかな?それ以外の残りの日は、どうすればいいんだろう?
私が、仕事をやめて、単身で介護するしかないのかな?
山口に6時間をかけてお父さんを連れて帰ることも考えたが、お父さんの体力的に無理だな。
そんな困惑した私の様子をみて
担当医から
「抗がん剤2クール終わるまでは、入院できるようにしましょう。」
と言ってもらった。
頭の中が
途方に暮れていた私は
その時
抗がん剤治療がいいとか悪いとかより
その提案を受け入れるのがベストだと
自分の中で選んだ
この時の自分気持ちを
詳しく思い出してみようと思っても
今でも、あまり記憶にない
1日も早く抗がん剤治療を始めたほうがいい
という先生の意見にすがるしか
知識も決断の時間もない私には
できませんでした
その時、選択したことが
その時のベストな選択だと
思うしかありません
また、この抗がん剤治療の選択について
周りに説明しなければならないと思うと
説明するが怖かった
え!抗がん剤なんかするの?って言われそうな気がして怖かった。
だって
抗がん剤の副作用を体験して
抗がん剤に対して悪いイメージしかなくて
抗がん剤を嫌っていた私だもん
良いとか、悪いとかではなく
その決断をせざるを得なかった
そんな選択もベストだと思おう