仁義なき毒親~息子苦闘編 -3ページ目

仁義なき毒親~息子苦闘編

両親ともいわゆる毒親です。
過度の暴力こそないものの、幼い頃から主に精神的な苦痛を与えられ続け、今に至ります。
毒親の言動を紹介すると同時に、解毒の道を探りたいと思います。

毒親の説教の際に必ず出た言葉。それは『ほうける』

 

ほう・ける【×惚ける/×耄ける/×呆ける】 :出典 デジタル大字泉(小学館)

 知覚のにぶった状態になる。ぼんやりする。ぼける。「起きぬけの―・けた顔」「病み―・ける」

 動詞の連用形に付いて、そのことに夢中になる意を表す。「遊び―・ける」

 

さらに調べれば「呆ける」だと全体的にボーッとした様子を表し、「惚ける」は強い指向性がある様子を指すらしい。

毒親の使い方からすると「惚ける」なのだと思う。

 

毒親は、俺が何かに夢中になるのが嫌いだった。

テレビのアニメや特撮を観る、マンガを読む。

幼かった俺はそれらがどんなに楽しかったか伝えたくて夢中で話す。

普通の親だと分からないなりに話を理解しようと努めたり、子供と一緒にそれらを観たり読んだりするだろう。

 

しかし、ウチの親は逆だった。

さもつまらなさそうに「へぇ」「あぁそう」または無視。

それでも話そうとすると「しつこい!同じ話ばかりせんの!」と怒られる。

どころか「コイツは今コレに惚けてる」とチェックが入る。

そして、それが説教の時に炸裂するんだ。

 

忘れられない出来事がある。小学校2年生か3年生の時の『事件』だ。

当時、俺は「ドラえもん」が好きだった。TVも観ていたし、マンガもねだって10何冊買ってもらっていたと思う。

同じ藤子不二雄作品ということで「忍者ハットリくん」や、TVで観ていた「天才バカボン」も併せて20冊くらい持ってたと思う。

自分で言うのも何だけど、学校の成績は良い方だった。

テストはいつも100点から90点台。悪くても80点台をキープしていた。

しかし、その時に限って何故か70点台しか取れないかったんだ。

 

その時の毒母の怒り狂いっぷりは凄かった。

世界が終ったかのように嘆き「何でこんな点数しか取れんかったん!」と怒鳴った。

「もうこの子の人生が終った」と言わんばかりに涙さえ流していた。

幼い俺はその狂いっぷりに圧倒され、ひたすら「ゴメンなさい。次は頑張るから」と泣きながら謝った。

 

しかし、毒親の狂いっぷりはさらにエスカレートした。

仕事から帰宅した毒父は、毒母からそのテストの答案を見た瞬間発狂した。

「こんな点数を取るなんて、お前はワシの子供じゃない!」

「やっちもない(晴レノ國弁:つまらない・くだらない)もんに『惚けとる』からじゃ!」

怒鳴り散らしたかと思うと、本棚からマンガを全部出してきて積み上げた。

「こんなもんがあるから勉強が出来んのじゃ!」と1冊1冊破り始めた。

縦に割るのではなく、横に裂いた。

その力にもビックリしたが、大事な本を破り捨てられることがショックだった。

 

「やめて!ほんとに次は頑張るから。それだけはやめて!破らないで!」と叫んだ。

喉が痛くなるほど叫び、泣いて頼んだ。

今までの人生で「哀願」したのは後にも先にもこの時くらいだ。

しかし『殺害予告』をされている身なので動くことは出来ず、泣き叫びながらマンガが1冊また1冊と破られていくのを見るしか出来なかった。

その後のことは覚えてないが、翌日ゴミ袋が破かれたマンガで満杯になっていたのだけはよく覚えている。

「ここまでやるか」とぼんやり思ったこともよく覚えている。

そして、本当にこの親には「逆らえない」と深く心に刻みつけられたんだ。

 

それ以来、俺は「自分の好きなこと」を毒親に知られることを極度に恐れるようになった。

好きなことがあっても詳しくは話さず、特に興味のないふりをして隠すようになった。

まぁ、猜疑心の強い毒親のことなので俺が学校に行っている間に本棚や机の中を漁ったりノートをチェックされるようになったが、それはまた別の話だ。

 

本当に毒親は『恐怖』で子供を支配する。

「親には逆らえない」と完膚なきまでに心に植え付ける。

子供の方は最初から「親に逆らおう」なんて思ってないのにな。

逆に慕って、可愛がって貰おうと思ってるのにな。

でも、毒親は子供を『動物』程度にしか思っていないんだ。

逆に幼さゆえに言葉が足らない、理解力に乏しいことを何故か「恐れて」、怒って叩いて言葉で縛って「支配」しようとする。

そうやって育てば他人に心を開けなくなるし、「自分」すらも嫌いになってしまって心を病んじまうんだ。

 

俺は毒親のすることは精神的な「殺人」で、全ての毒親は「殺人鬼」だと思っている。

ホント、毒親の罪状を暴いて死刑にする法律でもありゃいいのにねぇ。