役所に行ったり、ヤドカリ生活の為に溜まったゴミや生活物資を整理して、ヤドカリの殼を返すために掃除や何やら、忙しかったです。
ヤドカリは新しい殼を手に入れました。
新しい住まい(殼)には金がかかりました。
そんなこんなで、私は次の人生に備えて、リフレッシュの為の釣り行脚をすることにし、少しずつ準備して来ました。
南房総の春のアオリイカ、堤防のテトラポットの奥に潜む根魚たち、岩場のイシガニや砂場の渡りガニなどなど少年に帰った私のアイデアは尽きません。(笑)
私は堤防や磯での釣りの体験はあまりありません。
殆どが釣り船でした。
釣り船には魚群探知機が備えられており、海の中の魚の群れを見ることができます。
船頭さんはその魚探を見て「水深何メ-トルに魚がいるよ」と教えてくれます。
だから船釣りは船頭さんに釣らせてもらう釣りなのです。
しかし堤防や磯での釣りは天候やら海水の温度、潮の濁り具合、流れの速度やら方向、潮の干満、魚の習性を熟知しなければ成果に繋がりません。
つまりプロの漁師さんと同じ基準が求められます。
人生と同じものを私は感じます。
私はど素人です。(笑)
しかも私は海なしの埼玉県育ちですから釣りの知識も情報も殆どありません。
しかし、冒険心とはそういうもので、何らかの裏付けを必要としないのです。裏付けはトキメキとはならないのです。
皆様、小さいときにハックルベリ-・フィンやトム・ソウヤ-たちの少年にとっては冒険の世界であった、あのトキメキの世界をご存じでしょうか。
私が小さい頃の人気漫画であった"冒険ダン吉"の世界もそうでした。
生命力とは何かと聞かれれば私は迷わず「それは喜びを得たいという耐えがたい衝動だ」と答えるでしょう。
その衝動こそ少年時代の活力の基礎となるのです。
少年の冒険はその象徴的行為なのです。
私は現実生活の苦難を越えていまトキメイています。
ワクワクしているのです。
このワクワクこそ生命力ではありませんか?
未知なるものに好奇心を持って、時代的な限界をもつ"常識"に囚われずに、「非常識な常識」を求めるのが少年の本分なのです。
私は70歳の少年です。
明日から宛どもない釣り行脚が始まります。