古田博司氏の黙示録 | 果樹園の草むしりおじさんpart2

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私が尊敬して止まない現代の学者が三人いる。
長谷川三千子氏、中西輝政氏、古田博司氏の三人である。(故人となった偉人は省く)

歴史や思想に関心が深く、学びながら現代を見つめてきた私にとり、いわゆる「進歩的文化人」と称される戦後日本の知識人や、平面的な情勢分析で本を書く陰謀論者たちは、私には苦々しい思いを募らせるものたちであった。

彼らが築いた時代の峠を越えるために、私はどれ程の時間と労力と傷心を編んで来たことだろう。

私とはそのようなぼろ布なのである。


愛するがゆえに憂いを持ち、情念をたぎらせ学問を切り開く学者こそ本物の思想家であると私は思っている。

大学に教授は山ほどいるが、そのような人士は希にしかいない。殆どが「白い巨搭」の使役人である。

私は今日、尊敬する学者、古田先生の最新の言葉をこの記事で紹介したい。思想家であり、文明論も書く朝鮮半島の専門家が、正論5月号(「崩れゆく近代を憂いつつ詩に及ぶ」)に寄せた記事は、学術的な論文ではなく、心の奥底から絞り出した予言者のごとき詩編であった。





【詩でしか書けない今がある】古田博司。

目があってもめしい、耳があっても耳しいの市民たちよ。
これを聞け。

あなた方は死んだ卵を生み続ける石の鶏、
海の向こうの壺には卵をかえす蝮、
廊下には巣を織る蜘蛛がいる。

かれらは癒えた傷を裂き、
油でなだめず、塩をすり込み、すべて新たにあなた方の歴史のせいにする。

人さらい、島泥棒、海盗人たちよ。
さらった人たちを奴隷にし、解放したものに灰を被せ荒縄を巻きつけて帰国させた。

下の蜘蛛は奴隷制の歴史をもたぬ国に性奴隷の濡れ衣を着せ、禿山にアカシヤを植え、雨にそれを育てさせた。

木を刈って薪とし、暖をとり、一部をとって木を刻み、韓国史の偶像を彫り、その前にひれ伏す。

そして彼らは言う。
「ああ、温まった、熱くなった」と。

海盗人たちよ、砂をおいて海の境とし、超えることができないようにしたのに、お前たちは大いなる災いをもってやってきた。

激しい暴風が海の果てより起こり、お前たちが屠られ、散らされる時がくる。
泳げぬ船員よ、泣き叫べ、群れを率いる牧者よ、潮をかぶれ。
お前たちは焼けたスルメのように熱くひからびる。

廊下の蜘蛛どもよ、彼らには疫病が送られ、
家屋には臭気がのぼり、鼻をつく。
整形した女たちの肌は雪のように白くなる。

壺の蝮どもよ、彼らには汚濁と爆裂が襲う。
遠く逃れ、風に吹きさられるもみがらのように、竜巻渦巻く塵のように追いやられる。

天の万象は衰え、もろもろの近代は巻物のように巻かれ、歴史書となる。
その万象は、スギの花粉の散るようになり、公孫樹(いちょう)の実のように異臭を放つ。

市民たちよ、はだしにならないように、家と大学と外務省に閉じ込めたのに、あなた方は言った。

「それは駄目だ、私は異なる国のものを愛し、それに従って行こう」と。
憤りとつむじ風がおこり、街頭に集まり騒ぐものたちのこうべを撃ち、かさぶたで被う。

市民の女の美しい顔は変わり、焼き印を押された顔となる。
家に戻れ、その家はこぼたれ、その妻は汚される。
大学に帰れ、その大学は縮み、そがれて、貧しくなる。

国民たちよ、あなた方は、かつてあなた方の死の卵を降らせたケルビムに助けられる。

非核三原則を虚しくしなければならない。
やがて海の向こうは、すべて核保有国になる。

疲れた兵士を奴隷制の「捕囚」の柵に入れ、キプチャク・ハ―ンの子孫は八千発、中華を夢見る古代の蝮は二百六十発、五百年遊んだ蜘蛛たちが、一緒に巣をかければ五、六発。

中世なく、近代を挫かれた古代の蟻喰いどもが、近代以後のアリを嫉妬し、憎み、そねみ、ねらう。

国民たちよ、あなた方は備えなければならない。

安保法制に沿い、珠玉の堤をアリのつばで堅く練り固めよ。
明日もあさっても、今日のようではないのだ。