進化論ってなんですか?Ⅱ | 果樹園の草むしりおじさんpart2

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進化論の、主にダ―ウィンの「種の起源」を社会科学に応用したのがマルクス主義の系統だ。

「種の起源」では弱肉強食の中でいかにして生存を維持し、種を繋げるかという見地から「進化」を捉える。

生存を維持するものは力を求めて進化するという論理が貫かれている。



「種の起源」では人間は猿から進化したと見られる発表がなされ、ダ―ウィンから17年後にこれを受けたエンゲルスは、「猿が人間になるについての労働の役割」の中で人間が猿から進化したと断言するに至った。



(フリ―ドリッヒ・エンゲルス)

熱帯雨林で木から木へと移動していた猿はアフリカ大陸東部が東西に分断され東側は草原になった。

取り残された猿はやむなく草原で暮らすようになり、二足歩行を覚えた。

すると手が空いた。
手はやがて物を持ちやすいように指が向き合ってきた。直立すると咽頭が下がり、複雑な声を出せるようになり、やがて言語を使うようになった。

草原に出た猿は手を使い、道具を持って労働し、集団で生活すると言語を使い、やがて火を使うようになり、人間になった…という内容である。

猿と人間では種子が違う。猿は猿しか生むことができない。雨林に居ようが草原に居ようが猿はキキキと鳴くだけであり、言語を話す知能も創造力も持たない。

(カ―ル・マルクス)

マルクスはエンゲルス説とへ―ゲル左派の唯物弁証法を加味して唯物史観を作り上げたのである。

猿が草原に出て虎やライオンとの闘争に打ち勝つためには、集団で道具と言語を用いて労働により進化させ強者となる、進化は階級闘争に打ち勝つ―――という歴史観である。

唯物弁証法では下部構造が上部構造を規定するという考え方をする。

人間の意識は物質(環境的予見)により生まれるという命題を掲げて経済を分析したのがマルクス主義経済学である。

随分昔のことだが、勉強した西洋近代哲学では精神が先だ、いや物質が先だと偉い学者さんたちは言い争っていた。

人間の行動をみると、「私は行く」という意志、つまり精神の働きがあって行くのであり、「食べよう」と考えた時に食べているのである。

唯物弁証法では世界を対立物の闘争と見る。

プラスの電荷とマイナスの電荷は対立しているのだと解釈する。

そしてプラスの電荷とマイナスの電荷が闘争するのだそうだ。

対立とは指向性、到達点を異にする関係を言うのだが、実際はどうだろう。

対立しているのはプラスの電荷同士、マイナスの電荷同士ではないだろうか。

磁石で実験すれば子供でも解ることだ。

プラスの電極とマイナスの電極はくっつこうとして引き合うではないか?

唯物弁証法から見ると、男と女は対立、親と子は対立、資本家と労働者は対立、政府と国民は対立の関係になる。

それはすなわち闘争の関係になる。

唯物史観から見る歴史の必然は、労働者、農民が資本家を打倒して打ち立てる、社会主義国家の集合体=共産主義社会となり、人類のユ―トピアが実現するのだ、となる。

唯物論は宇宙の起源を対立物という、いわゆる物質に置くのだから、宗教の説く神仏、死後の世界を否定する。

宗教の説く「創造論」こそ唯物論、共産主義の敵であるから世界から追放し、抹殺しようとする。

抹殺のための理論的、思想的武器が共産主義の正体である。革命とはこの理論、思想の現実的行動様式なのである。

共産主義社会では宗教者を強制収容所に送り、過酷な労働を強いる。支給するのは食事ではなく、最小限のエサとなる。

何故かと言えば宗教者は進化する以前の猿にも劣る存在だから、労働と言語(共産主義思想)により人間に進化させなければならないからである。

以上の如く、ダ―ウィンの「種の起源」とへ―ゲル左派の考えはエンゲルスを経てマルクス主義に発展し、レ―ニン、スタ―リン、毛沢東、金日成に受け継がれ、今日の収容所国家を築いてきたのである。