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yuripapa

転職して瀬戸内の小さな街に移り住みました。自然の移ろいが感じられるようなブログにしたいと思っています。

 次は北斎漫画

 黒葡萄のある花の静物

 磁器の花瓶の花、燭台・銀器

 磁器の花瓶の花、燭台・銀器(部分)

 磁器の花瓶の花、燭台・銀器(銀器部分)

 金地花文ティーセット

 花籠文ティーカップ受皿

 

三日月 寒くなってきました。先日、広島市内の県立美術館で開催されている「 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」を見に行ってきました。世界でスイスとオーストリアの国境、唯一、侯爵家の家名が国名となっているリヒテンシュタイン、本当に小さな町だそう。ただ侯爵の総資産はヨーロッパ一なんだそう(数千億円)。

 フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーの「磁器の花瓶の花、燭台、銀器」(1839年)の銀器、すっごく綺麗に描かれていました。17~19世紀以降のコレクションが中心でした。ブリューゲル(父)は一つだけでしたが、「市場への道」(1604年)が展示されていました。ブリューゲルらしい描き方、良かったです。次は北斎漫画だそう。

 

 

三日月  秋になってきました。近くのイチョウの葉も黄色く色づいてきました。

 広島県北の帝釈峡(神龍湖)

 人のいない土産物屋

 昭和初期の隧道

 桜橋が見えてきた

 昭和11年にできた桜橋

 桜橋から神龍橋を望む

 神龍湖の土産物屋さん

 何かもらおうと、、、

 土産物屋さんの猫

 

もみじ  朝夕寒くなってきたこの頃、あっという間にあと今年も2か月。広島県北東部の石灰岩地帯にある奇岩と湖水、避暑地として有名な帝釈峡(国名勝・国立公園)に行ってきました。まだ、紅葉シーズンには早いが、この頃は観光客もかなり減少し、過疎化ともあいまって閑散としていました。10月後葉には山々の緑が一気に紅く染まります。

 

 立派な日本建築風に

 江戸時代の百鬼夜行の絵巻

 面白い妖怪絵本

 姿を見れば、疫病退散、神社姫

 件(くだん)像

 アマビエ人形

 疫病退散にアマビコも出演

 

オバケ  秋晴れのなか、昨年度オープンした三次市の日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)へ行ってきました。妖怪コレクター湯本豪一氏から寄贈を受けた稲生物怪絵巻(三次藩が舞台)などの展示です。三次市の中心、三次町の風情ともマッチして、なかなか良い立地です。西条から375号線を北に1時間足らず。なかには江戸時代ごろのいろんな絵巻・絵本、木像など、歴史の教科書にはのらない庶民の願いや娯楽をしのぶことができます。

 平戸の浜に現れた神社姫(全長11m)は竜宮の使いです。「姿を見た者は病を避けることができる」といったそう。件像は予言獣、禍のある時に現れるといいます。アマビエ・アマビコも展示されており、厄病退散の願いのこもった展示でもありました。

 

 

 

 海カフェNEJIROから

 

晴れ  4連休のなか、少し糸崎まで足を延ばしました。糸崎は明治25年、山陽鉄道の三原駅(現糸崎駅)ができた場所。終点の機関区なので、現在も乗り換え駅となっている。糸碕神社の駐車場の入口は傾斜がついており、かなりの段差があった。そのため、車のフロントバンパーの底面を擦ってしまった。何等かのご縁をもらったものとは思ったが、糸碕神社にお参りになられる方はお気をつけを。。。

 瀬戸内海が一望できる海カフェNEJIROに行ってみた。2階からの満潮過ぎの瀬戸内海、因島、佐木島、生口島が見える。

 

 ゴーヤもおわりごろ

 スイカは熟れ頃

 ナスは切り戻しました

 オクラは硬かった

 枝豆のあと

 

台風 10号台風の直前、不安に駆られつつも、枝豆のあと、白菜・大根など秋冬野菜のためにと、土を掘り返し、有機石灰・鶏糞・腐葉土を入れておりました。ゴーヤも終わり、8月終わりに切り戻したナスがまた出来てきました。オクラはすぐに採らないと硬くなってしまいます。台風の被害が最小限ですむように。

 

 小枝まで取り去っていった念の入れよう


雨  8月に入って雨の降る様子がなかったのですが、ようやく今日の午後、一雨来ました。今年の夏も来たか!と思ったキジバト、何度か夫婦で来てたのですが、よくよく見ると、少しずつ小枝が撤去されていた様子。結局、ショボい巣となっていた小枝は移動され、新たな巣に使われていたみたい。やはりヘビが来たことがダメだったんですね、台風でも逃げなかった夫婦でしたが、やはりヘビは危険だと判断したようす。新たな営巣地に引っ越して、良い子を産んでください。。。

 昼の雨の前、遠雷がなっていましたが、ご近所で亡くなったゴールデンレトリバー君(生前はうちの庭に逃げ込んできましたが、、、)怖がってないといいけど、、、ご冥福を祈ります。。。

 

 今年も庭に来た

 昨年よりも小枝が少ない

 

晴れ ご無沙汰です。7月には庭に大蛇(全長1.2mほどのシマヘビ)が出て、トネリコの木に登ってキジバトの巣に間借りしていた雀の子を丸呑みするという恐ろしい情景を目の当たりにしました。その間数種の野鳥が大蛇の周囲を飛び回り、警戒音(聞いたことのない凄い鳴き声です)を発していましたが、かわいそうな雀の鳴き声に他の野鳥が大小集まってきたという感じに見えました。図らずも鳥種を越えた野鳥のコミュニケーションを知ることができました。その後、巣に陣取る大蛇に八チアブ・ジェットを拭きかけると、かなり焦って退散しました。次の日、向こう隣りのおうちで出現した様子(すみません)。蛇の忌避剤を撒いておいたら来なくなりました。

 昨年作った冴えない巣に再来したキジバト。去年と同じ個体なのかどうかはわかりませんが、おそらく同じつがいのようです。2日前に二羽で巣の近くの枝にとまり、営巣の相談をしていました。その後、雄鳥が去り、雌鳥が巣に陣取りました。なぜかわかりませんが、二羽は巣からさらに小枝を抜いていた様子。瑕疵物件となった巣ですが、今年も二人は堂々営巣を始めます。昨年よりさらに貧弱になったショボい巣です。

 雑草だらけ

 ナスとピーマンは良好

 人参は店頭モノまではいかない

 

カエル  九州ほかで、大雨・洪水被災された方々へのお見舞いを申し上げます。

少し放っておいた畑、夏野菜の収穫がはじまりました。ナスとピーマンは順調でしたが、ゴーヤ・ズッキーニ・ミニトマトははかなりやられました。人参が去年よりも大きかった。

 ファサード正面

 当時の外壁も利用

 北面観

 復元と当時の外壁

 3階の中島町復元ジオラマ

 本川小学校から産業奨励館と大正屋呉服店

 

ブーケ2 小雨のなか、7月1日にリニューアルされた平和公園レストハウスへ。広島文理科大学旧校舎(広島大学旧理学部1号館)が建築される少し前、昭和4年に造られた大正屋呉服店(清水組)、中区中島町1丁目1番にあります。屋根から外壁まで大幅にリニューアルしておりました。広島市はながらく、この中島町で唯一生き残った被爆建造物を撤去して丹下健三に新しいレストハウスを建てさせようとしていました。広島市の被爆建造物に対する考えは極めて冷淡で、ユネスコや市民団体、研究者らの反対を無視し続けた対応が続いておりました。さまざまな方々の努力で撤去が先延ばしになり、現在は広島市の「観光資源化」方針により、存続が「許された」建造物です。

 休憩所ですので、南西側にはエレベーターとトイレが別棟で付設されていました。文化庁の度重なる指導もあり、当時の柱などが残され、一部見学できるようになりました。外壁は修復の上塗りがはがされて当時のままの部分が現れていました。レンガ風のスクラッチタイルも昭和初年のRC建造物の特徴的な面持ちを醸し出しています。復元も当時に似せた技術で、なじんでいました。ファサードのコーニスの廂に3つのライトはなかなか斬新なデザインだったかと思います。2階部分はカフェになっていましたが、音響環境が悪く、かなり響きます。3階は旧中島町のジオラマが中心にあり、江戸時代から当時の状況に関する展示や、片渕須直監督によるアニメ映画『この世界の片隅に』のなかの、大正屋呉服店がでてくるシーンなどが解説されていました。