「passol」やさしいから乗っていた。(笑) | PRAINSのブログ

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当時物のヤマハ パッソルの宣伝広告パンフレットを入手した(爆)

 

「やさしいから乗ってます。」のキャッチフレーズと共に

優しくて庶民的なイメージの人気女優・八千草薫さんを

イメージキャラクターに迎え1977年(昭和52年)に

ヤマハから発売されたパッソルは販売台数100万台を超え

その後に続くスクーターブームの火付け役となり今でも

日本のスクーター史に残る名車として語り継がれている。

 

 

コンパクトな車体のパッソルはスカートを穿いた女性でも乗れるように

足を置く場所がフラットとなった当時としては革新的なステップスルーを

採用しプラスチックカバーを多用し軽量化が図られたパッソルは

女性ユーザーをメインターゲットに開発された。

人気女優・八千草薫さんをイメージキャラクターに迎えたパッソルは

テレビCMを始め各メディアに向けて戦略的なプロモーションを展開。

その結果、瞬く間に当時の50cc市場を独占した。

 

しかし不動の人気を確立した1978年(昭和53年)頃から

発売元であるヤマハ関係者でさえも予想しえなかった

八千草薫さんのイメージとは180度対極にある

予想外の人種がパッソルに食い付いてきた。

それは10代の不良たち、つまりヤンキーである。

 

当時「ツッパリ」とも呼ばれたヤンキーたちは一様に股を

大きく広げるライディングスタイルで土曜の夜の繫華街では

足でスタンドをアスファルトに押し付け火花を散らしながら走り回った。

まだ原付のヘルメット着用が義務付けられてなかった時代の話だ。

 

1978年と言えば僕は中3の時だが初期のパッソルは

自転車の鍵やマイナスドライバーでもイグニッションキーが

回ってたので当時盗難も多かった・・・ようだ(笑)

 

 

僕が高校生になった1979年(昭和54年)当時、原付免許を

取ったらギアチェンジ付きの50ccロードバイクに乗る奴と

パッソルに乗る奴に分かれてたような気がする。

自動二輪免許を取得してミドルクラスのバイクを

所有してる奴でもセカンドバイクとして

パッソルをスリッパ代わりに乘ってる奴も多かった。

 

個人的には高校時代はHONDA CB400FOURがファーストバイクだったが

原付免許取得と同時に新車で買ったYAMAHA GR50を

自動二輪免許取得を機に新車の白いパッソルに買い替えた。

 

無理矢理ハンドルを絞ってグリップを替えナポレオンミラーを取り付け

ウインカーレンズを白色に替えハイフラッシャーコントローラーを

取り付けブレーキランプも点滅するようにリレーを組んだ。

マフラーをSUGAYAのチャンバーに交換しレンコンを抜いて

直管にしショックアブソーバーもKAYABAを入れた。

 

 

ボディーカラーが白の時は足元のカバーに日章旗をペイントしてたが

やがて自分で缶スプレーで全体を黒に全塗装した。

その後このパッソルは免許取り消しになる17歳の

春先まで乗ってたがその後どうしたのかは記憶がない。

 

当時あれだけ多かったパッソルだが約45年経った今では街で見る事ない。

旧車のイベントに行くと稀に見る事ありますが今は欲しいとは思わない(笑)

ジャンジャン!!