水口晴幸 | PRAINSのブログ

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縁あって主催する事になった元クールスのピッピさん事、水口晴幸氏の

ライブだが雲の上をフワフワ浮いてる夢のような時間だった。

1975年(昭和50年)にデビューしたR&RバンドCOOLSを

約半世紀に渡り見続けて来たがオリジナルメンバーで

唯一生で姿を見た事がなかったのがピッピさんだった。

 

それもそのはずピッピさんはロカビリークラブ時代の

1979年(昭和54年)の郵便貯金ホールライブで広島に

来られて以来ソロになられて初めての広島だったそうだ。

 

個人的には舘さんは高校時代にステージで見たし他のメンバーは

2015年に主催したクールス40周年ライブ他でもお会いしたし

その時居なかったキイチさんも35周年ライブで見ている。

そして最後の砦だったピッピさんについにお会いしたという事だ。

 

 

2月17日土曜日午後3時半、ライブ会場となるクラブクリーム前で

初対面しガッチリ握手し喫茶店にて雑談しながら遅めのランチ。

 

その後リハーサルに挑まれたのだがリハーサルで聴いた

ピッピさんがクールスとして最後になった

1979年リリースのアルバム「NEW YORK CITY N.Y.」に

収録されている「追憶」を聴いた時は鳥肌が立った。

高校入学当時の映像が脳裏に浮かび懐かしさと共に

サングラスの奥に込み上げてくるものがあった。

 

開場時間の午後6時になると続々とご来場者が詰め掛け

あっという間に会場は満杯になり6時半から前座のステージが始まった。

そして7時になりピッピさんのステージが幕を開けた。

オープニングはクールスのデビュー曲「紫のハイウェイ」

2曲目に「シンデレラ」とクールス時代、ソロ初期のナンバーが続く。

 

 

1980年(昭和55年)リリースの達郎さんがプロデュースした

ソロファーストアルバム「BLACK or WHITE」に収録されてる

同名タイトル曲BLACK or WHITEも心が揺さぶられた。

やはり音楽はタイムマシーンでもあるし感動は忘れかけた

過去の中にあるという僕の持論を再確認した思いだった。

 

ピッピさんは今年で72歳になられると仰ってたが

ステージで魅せるパフォーマンスは全然衰えてない。

永ちゃんにも勝るとも劣らないキレで見る者を圧倒する。

約2時間アンコールまでブッ通しで歌い切ったが

再度オーディエンスからアンコールがかかり

セットリストにはなかった「Johnny B. Goode」を熱唱。

Johnny B. Goodeはクールスデビュー直後のまだオリジナル曲が

少なかった時代のピッピさんの十八番の曲だった。

 

あっという間に2時間のライブが終わりピッピさんは

ファンからの記念撮影やサインに快く応じておられた。

誰とでも気さくに話されてる姿を目の当たりにして

ピッピさんのお人柄が偲ばれた。

 

 

その後の打ち上げ会場にも顔を出して下さり美味い酒を

酌み交わしながら深夜まで色んなお話を聞かせて下さった。

そして翌朝早朝6時にピッピさん御一行は帰京されたが

「昨日はありがとう。 お疲れでした。 俺も楽しかったよ! また…!」

ってメッセージを頂いた、ピッピさん本当にありがとうございました。

 

当日は僕もピッピさん御一行と同じホテルに宿泊してたが

チェックアウトの時偶然に県外からご来場下さった

ファンの方達と出くわして1時間くらい談笑した。

連絡先も交換したしこうしてまた仲間の輪が広がった。

同じ時代を生きた同志として共に残りの人生を楽しみたいですね。

ジャンジャン!!