今でこそ美味いラーメン屋があると聞けば調べて食べに行ったり
ツーリングなどの旅先でも美味いラーメン屋を探すなど
ラーメン大好きを自称してますが実はラーメン好きの原点は
子供の頃に母が作ってくれてたインスタントラーメンなんですよね。
時は昭和40年代、ウチは外食に連れて行ってくれるような
家族じゃなかったので子供の頃に外食で食べたラーメンの記憶は
中通りの映画館サン劇横の東和園しか記憶にない。
ウチではまだカップ麵も一般的じゃなかった事もあり
家でラーメンと言えば母が作るインスタントラーメンだった。
当時の学校は土曜日は休みじゃなく午前中4時間授業があって
給食を食べずに終業する半ドンというシステムだった。
お昼過ぎて帰宅して家で昼ご飯を食べるのだが
ウチでは土曜日の昼は母が作るラーメンか
お好み焼きのテイクアウトってパターンが多かった。
母が作るラーメンは何故かいつも日清の出前一丁①だった。
しかしそれはただ単にラーメンを作るんじゃなく
具だくさんの野菜炒めがトッピングされたラーメンだった。
出前一丁スペシャルを食べてスポーツ少年団の練習に行く。
これが小学高5~6年の時の僕の土曜日のルーティンだった。
山下家の昭和40年代の出前一丁スペシャルの具材は牛肉の切り落とし
赤ウインナー、キャベツ、絹さやえんどう、卵が定番だった②。
嘘か本当か母はインスタントラーメンを製造する過程で
麺を固める時に使う物質が人体に悪いと信じており
一度目に使ったゆで汁を捨てて二度茹でしてた④⑤。
卵以外の食材を塩コショウで炒めて茹で上がったラーメンの
上に盛る③のだが玉子はゆで卵ではなく生卵を
ゆで汁の中に直接落とすってやり方だった⑥。
最後に、ごまラー油をかけて出来上がり⑦。
出前一丁スペシャルはラーメンライスで食べる事が多かったが
ご飯は温かいご飯じゃなく冷やご飯が相性が良かった。
冷やご飯の上に熱い麺を一度置いて食べる。
段々ご飯にラーメンの汁が染みて来て
猫まんまみたいになってご飯も美味くなった。
と、いう事で先日の鼠径ヘルニア手術で療養中に作ってみた。
何十年か振りに出前一丁スペシャルを食べたが超美味かったし
超懐かしい味がしたし当時の映像が脳裏に浮かんだ。
母の遺影に「ありがとね」って言葉を掛けた。
ジャンジャン!!