1976年(昭和51年)洋画にハマってた中学1年生の少年は
封切られる作品全てを制覇するが如く足蹴よく劇場に通っていた。
当時の呉では洋画は呉大映劇場の2階の呉シネマで公開されていたが
観賞する作品を楽しみにしながらも実は少年は呉大映劇場1階で
公開されてる日活ロマンポルノの看板が気になって仕方なかった。
当時はポルノ映画でも手描きの大型看板が堂々と飾られてた時代
思春期の少年には日活ロマンポルノの看板は刺激的だった。
当時は田中真理、白川和子、伊佐山ひろ子、東てる美、泉じゅん等の
ポルノ女優が人気を集めていたようだが、まだ幼さが残る
少年の目には彼女たちは少々オバサンに見えていた。
そんな中で少年の心を捉えたのが日活ロマンポルノの黄金期を支え
その清純さと飾り気の無い笑顔が話題を呼び数々の作品が
大ヒットを記録し絶大な人気を博した「原悦子」さんだった。
いや~、当時の原悦子さんを令和の現代においての
AV女優と比べるとルックスも大した事ないし貧乳(笑)だが
当時のポルノ女優では群を抜いて美形で若々しかった。
しかし声を大にして言いたいのは当時のポルノ女優は
物語の中に濡れ場や激しい絡みがあるという設定であり
演技力も女優と遜色ないレベルだったが現代のAV女優は
ロリから熟女、美形から化け物まで選り取り見取りだが演技力は
ほぼ皆無でただヤルだけで絡みシーンが90%くらいを占めている。
原さんは当時のポルノ女優としては珍しくアイドル路線で
売り出され大学生を中心に若年層を劇場へ呼ぶことに成功した。
観客の年齢層が高く集客に伸び悩んでいたポルノ産業へ
新風を吹き込むきっかけとなりファンクラブの会員は
全盛期には76万人を誇る人気女優だった。
そんな彼女は1980年になり「愛の妖精」「初恋パンチはストレート」
という2枚のシングルとアルバム「はだかんぼ」もリリースしている。
いや~、初めて聴いたがある意味強烈な曲ですな~(笑)
もともと原さんはモデルをやっていたが女優志望で
「われら青春」や「俺たちの旅」にチョイ役で出演していた。
その同時期に萩本欽一さんの「オールスター家族対抗歌合戦」の
アシスタントなどもやってたが女優としては鳴かず飛ばずで
ある日事務所からピンク映画出演の話が来たそうだ。
最初は躊躇したが女優でやっていくんだから裸になることも
受け止めようと決心し伝説のポルノ女優として開花した。
そんな原悦子さんを初めてスクリーンで観たのは
高校1年生になった1979年(昭和54年)の事だった。
日活ロマンポルノは未成年者の入場は出来ないって
規則だったと思うが学生服の上着を脱ぐ程度で
何のお咎めもなく入れてくれた。
あの時代はパチンコだってディスコだって喫茶店で中高生が
喫煙してても見て見ぬふりしてくれる緩~い時代だった。
作品名までは覚えてないが当時の彼女と友人カップルの
4人で観たのだがポルノ劇場内の一種異様な雰囲気や
何とも言えない饐えた臭いは今でもよく覚えている。
女子高生連れだったからか刺さるような痛い視線も感じたし
トイレがずっと使用中だったのも不気味だった(笑)
原さんは1980年(昭和55年)には日活制作の一般映画
「おさな妻」へ主演しているが劇場はポルノ映画が観れなかった
未成年者の原さんのファンや女性の観客で埋まったそうだ。
尚、ロマンポルノを引退した理由は一般映画やTVへ活躍の場を
広げるためであったが日活から「本番」を求められるように
なったのも理由だと後のインタビューで答えている。
現代のAV女優は本番なんて当たり前の時代だが
あの時代は本番なんか無くとも十分刺激的でしたね~。
ジャンジャン!!


