内海利勝 キャロルを語る | PRAINSのブログ

PRAINSのブログ

昭和と趣味と日記のブログ
車・バイク・音楽・映画・ファッション・釣り・ゴルフ・・・
時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

 

キャロルの両輪だった、永ちゃんとジョニーは、ソロ活動後に

それぞれ著書を出して、それぞれの立場でキャロルを語っているが

リードギターのウッチャン事、内海利勝さんとドラマーの、ユウ岡崎さんは

キャロル解散時に発売されたメンバー全員の手記が掲載してある

「暴力青春」という本でしか、キャロルの事を語っている著書はない。

かわさきFMに「LOVE&PEACE 同じ空の下から」という番組を持つ

ウッチャンは番組内で時々キャロルの思い出を語る事はあるのだが。

 

僕も長年キャロルファンをやってますから、ある程度のキャロルの経緯や

逸話は知ってるが、メンバーの著書に書かれてない事柄や

都市伝説的な噂は、どこまで信憑性があるのか疑問符が付く物もある。

 

と、いう事だが、本ではないが今はYouTubeの時代という事でウッチャンが

YouTubeにゲスト出演してキャロル時代について語ってる動画を見た。

その中で僕の琴線に触れたエピソードを幾つか抜粋した。

 

 

当時、暴走族の象徴とされたキャロルだが実は素顔は至って真面目で

ただの音楽好きのバンドマンで、ウッチャンに至っては

キャロルの象徴であるリーゼントなどやらないタイプの人間

逆にリーゼントしてる人種を嫌ってたそうだ。

 

これは何となく想像できる。

永ちゃんもビートルズを模したマッシュルームカットだったし

ユウさんはハードロックの星と呼ばれたドラマーで、ロン毛だった。

キャロルがデビューする時、ジョニーがハンブルグ時代のビートルズを

模して革ジャンにリーゼントを提案したが永ちゃんもウッチャンも

諸手を挙げて賛成した訳じゃなかったとジョニーが著書に綴っている。

 

キャロルの解散が決まった時にウッチャンは、やっと解き放たれる

誰が何と言おうが、早いとこやめたかったと思っていたそうだ。

 

そっか~、そうだったのか。

僕はてっきりジョニーと永ちゃんの確執で解散する事になり

ウッチャンはどちらでも良かったが孤立してた永ちゃんより

仲が良かったジョニーに付いて流れたのかと思ってた。

今思えばビートルズのジョージのような雰囲気だったウッチャンは永ちゃんに

口説き落とされメンバーになったが、永ちゃんとはモチベーションにギャップがあり

本当にやりたい音楽とキャロルのイメージは音楽性の違いがあったんだろう。

 

 

先日記事にしたホンダCB750K2に乗ってるキャロルのポスター。

やはり情報通り、どうやらバイクは撮影用で借り物らしい。

当時メンバーは誰もバイクの免許すら持ってなかったらしい。

永ちゃんは普通車の免許は持ってたが二輪免許は持ってなかったそうだ。

まあ言われてみればウッチャンが跨ってるCBのタンクには

「KIMOTO」ってステッカーが貼ってあるんですよね(笑)

 

しかし、1973年(昭和48年)に公開されたATGキャロルって映画の中で

CB750に乗って走ってる永ちゃんの映像があるのだが・・・

ご興味がある人は是非ご覧になってみて下さい。

 

ATGキャロル 

 

 
 
「燃えつきるキャロル」のタイトルで日比谷野音で1975年(昭和50年)に
開催された伝説のキャロルラストコンサート。
最後にステージが燃えたのは演出の為に仕込んでいた爆竹が
発泡スチロールの看板に引火したハプニング、事故であったと
永ちゃんやジョニーは語っているがウッチャンは
あれは事故じゃなく計画的に燃やした確信犯だと言っている。
コンサート前から、そんな雰囲気があったそうで
ウッチャンは最後に燃やすんじゃないかと思ってたそうだ。
 
いや~、既に時効だろうが、それがもし本当なら恐ろしい事だぞ。
ある意味、放火ですからね~(笑)
まあ想定してたより大事になったんだろうとは思いますけどね。
 
抜粋元のYouTubeを貼り付けておきますので
ご興味のある方は是非ご覧になって下さいね。
と、いう事だが、是非ウッチャンにも著書を書いて欲しいな~(笑)
ジャンジャン!!