母86歳 | PRAINSのブログ

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昨日12月16日は1934年(昭和9年)生まれの母の86歳の誕生日だった

戦前生まれの母は3歳だった1937年(昭和12年)に日中戦争で長兄を亡くし

小学校に入学した1941年(昭和16年)の7歳の時に太平洋戦争が開戦

戦況が悪化した戦争晩年は疎開先で過ごし11歳の1945年(昭和20年)に終戦を迎えた

戦後母は清水が丘学園高校の1期生となり卒業後はキミ洋裁学院で洋裁を学び

中通りのザイマ洋装店の縫子を経て洋裁師として独立した

呉海上自衛隊勤務だった福岡県久留米市出身の父とはダンスホールで知り合い結婚

1963年(昭和38年)の29歳の時に長男の僕が誕生したという事だ

 

写真はおそらく二十歳前後の1954年(昭和29年)頃だと思うが

彩色は薄いが当時にしてはとても珍しいカラー写真だ

昔の映画にでも出てきそうな雰囲気だが(笑)母の古いアルバムを見ると

けっこうお洒落な服装をしてる物が多いと感じる

当時は、ちょうど日本人が和装から洋装へと移行し始めた頃だと思うのだが

まだ既製品は少なく洋服はオーダーの時代だったんじゃないかと思う

更には母は洋裁師だったから最新ファッションにも精通してたんだと思う

カジュアルなファッションが広まるのは1960年代に入りVAN創設者の

石津謙介さんがアメリカからアイビーファッションを持ち込んだ頃の事

1950年代の日本を描いた映画を観ると男性も帽子にスーツ系が多く

現代のチープなカジュアルファッションよりずっとお洒落に感じますもんね

 

そんな母も今では重度の認知症を患い施設で生活してる

しかし今年は冬場のインフルエンザ予防、春先からのコロナ騒動で面会も出来ない

今年母は施設で2度骨折して入院したが会ったのはその時の病院で2度だけ

頭もボケて自力で歩けず車椅子に乗ってる生活を思うとやるせない

そうかと言って寿命がいつまであるのかは神のみぞ知るという事だ

人は死に方は選べないが僕がもしそうなったら死んだ方がマシだと思う

人は必ずいつか老いる、僕はいったいどんな晩年を迎えるのだろうか・・・