傷心ジェームス・ディーン愛の伝説 | PRAINSのブログ

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1996年に公開されたアメリカ映画「傷心ジェームス・ディーン愛の伝説」を観た

昭和の時代に青春時代を送ったヤンチャ達が最初に憧れたハリウッド俳優が

ジェームス・ディーンだったって人は僕を含め多いんじゃなかろうか

 

マクレガーの赤いブルゾンに白いTシャツ、ジーンズというファッションは

ジェームス・ディーンを象徴するスタイルであり中学生の時の僕も憧れ真似したもんだ

 

 

「傷心ジェームス・ディーン愛の伝説」は不世出のハリウッドスター

ジェームズ・ディーンと女優ピア・アンジェリの恋を描いたラヴ・ロマンス

 

監督はマルディ・ラスタム、脚本はダン・セフトン

撮影はアーヴ・グッドノフ、ゲーリー・グレーヴァー、音楽はゴードン・ウォーラー

 

出演はキャスパー・ヴァン・ディーン

名優ロバート・ミッチャムの孫であるキャリー・ミッチャム

「ワイルド・アット・ハート」のダイアン・ラッドほか

 

 

<あらすじ>

 

自身の初主演映画「エデンの東」撮影中だったジェームス・ディーンは

隣りのスタジオで撮影中だった1歳年下のイタリア人女優ピア・アンジェリと知り合い

ジミーは美しく真面目で信心深い彼女にたちまち惹かれ二人は愛し合うようになる

 

 

海岸を歩くなど慎ましやかなデートを続けていた二人だが僅か数ヶ月で破局を迎える

ピアの母親が野蛮なジミーを嫌い宗教上の違いもあり結婚に反対したのだ

ピア一家はイタリア系の民族であり当時のイタリア系の人達は

何よりも家族を大切にするという価値観でピアは母親を裏切れなかった

 

歌手のヴィック・ダモンとの結婚を望むピアの母親の思惑もあって

二人は愛し合いながらも別れる事になる

「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」でスターの座を

射止めながらもピアを忘れれる事が出来ないジミー

 

そんなある日、ピアが突如ヴィックとの婚約を発表したのだ

ジミーとの交際を母親から強く反対されたため諦めたピアが

その反動から急な結婚を決意したのだ

ピアの結婚式をジミーは遠くから涙を浮かべて見守っていた

 

 

その後、既にハリウッドを代表するスターになってたジミーに主演作品のオファーが届く

後にポール・ニューマンが主役を演じた「傷だらけの栄光」という作品だった

しかしプロデューサーから妻役にピアを起用する事を承諾して欲しいと告げられる

 

複雑な心境だったジミーは直接ピアに会い話し合う

本当はジミーと結婚したかったピアは演出上とは言えジミーの

奥さんを演じられる事を喜び、ジミーも出演を決める

 

こうして「傷だらけの栄光」で二人の共演が決まったのだが

その直後ジミーはカーレースに出場するためにレース場に向かう道中

事故に見舞われ若くしてこの世を去ってしまう・・・

 

 

<感想>

 

いや~ 僕もジェームス・ディーンファンの一人として彼が主演した

代表作3作は当然観たが、こんなラブロマンスがあった事はよく知らなかった

そう言った観点から言うと感慨深いと思ったし

「傷だらけの栄光」での二人の共演が観たかった

 

しかし以って、映画のクオリティーという面においては?だった

興味ある事柄だから面白くないって事はなかったが

クオリティーという面では1950年代、60年代の映画ならわかるが

90年代の映画にしてはテレビドラマのレベルだと思った(笑)

 

 

こうしてピアの母親によって引き裂かれた二人の愛だが

ピアはヴィックと離婚、結局ピアは二度の結婚に失敗

 

その後ピアはハリウッド映画の作風が暴力・性的表現が過激化するにつれ

付いて行けなくなった事から歌手としてアルバムなどの作品をリリース

しかし人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる

 

1971年9月10日、ピアは睡眠薬バルビツールの過剰服用により急逝

39歳で短い人生を終えたが自殺説も囁かれた

 

家族より愛を優先させて欲しいと願ったジミー

愛より家族を優先させたが結局幸せになれなかったピア

天国で二人は結ばれたんだろうか・・・

ジャンジャン!!